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第65話

「あれから、一体どれだけの時が流れたのでしょう……あの修道女は私に飢え死にしろと言うのかしら」


 修道女に放置されて不貞腐れること、三時間。

 普通の人なら、ちょうど夕食の時間でお腹が空いてきたな? というタイミングで、ルシアナはそう文句を言い出した。

 当然、それを聞いている者は誰もいないため、ただの独り言である。

 ルシアナは空腹を紛らわそうと、窓から外を眺めようとして――窓が曇っていて外の景色が見えないことに気付いた。それなら窓を開けようかと思ったが開く様子がない。

 窓の調子が悪く、窓を閉めても閉めても勝手に開くようになったため、釘で固定していたのだった。


「窓にまで馬鹿にされて……私はなんて不幸なのかしら。シャルド殿下――早く迎えに来てください。ルシアナはここにいますから」


 そう言って、ルシアナはさながら悲劇のヒロインのように両手を合わせ、曇りガラスの向こうに広がる茜色の空を見上げた。

 その瞳にはうっすらと涙が浮かぶ。

 見た目は可愛らしい令嬢のため、そのまま黙っていたら絵になっていただろうが――


「そして、あの陰険修道女に裁きをお与えください! 私の食事は子羊のローストでお願いします。紅茶とスコーンも用意してくださいませ」


 言葉を口に出すと内面の性格の悪さがにじみ出てしまう。

 そして、さらに三十分が経過した頃、ようやく先輩修道女が戻ってきた。


「ようやく戻ってきましたの。一体何をなさってたんですか?」

「何って、夕食だけど――はぁ、腹六分目」

「私より先に食事ですか……それで、私の分はどこですか?」

「ん? あるわけないじゃん。もう食事の時間は終わりだし」

「なっ! 私に飢え死ねと仰るのですか?」

「あはは、ルシアナは大げさだね。人間、一週間くらい何も食べなくても死なないって」


 そう言って、先輩修道女は床に置いてあった荷物を蹴飛ばし、自分のベッドに座った。


「あなた、今私の荷物を――」

「ここからこっちは私の領域だって言ったでしょ? そんなところに置いているあんたが悪い。貴族だって、領地を侵犯したとかしてないとかで戦争したりするんでしょ? それと同じよ」

「全然違います。そもそも、戦争なんて私が生まれてから一度も起きていないではありませんか」

「え? そうだっけ? なんか十年くらい前だったかな? 西の国境付近の街で起こった反乱に乗じて、ファンバルド王国が侵略してこなかったっけ? 確か、流行り病で壊滅寸前になった街の人たちが、西の砦に薬と食料を奪いに入ったのが始まりだったとか」

「そんなの知りませんわ」


 十年前と言えばルシアナはまだ七歳。

 そんな昔の事なんて覚えていない。


「え、そうなの? 確か、そこで聖女ミレーユ様が――」

「聖女の話はしないでください!」


 その聖女こそが、国王陛下にルシアナとシャルドの婚約破棄を進言し、ルシアナをこのような目に合わせた張本人であることは聞いている。

 ミレーユの名を聞くだけで虫唾が走る。 

 ルシアナは立ち上がると、一人で部屋を出た。


「あ、ルシアナ、トイレはここを出て左の奥よ」

「あなたは少し黙りなさい! 公爵令嬢はトイレに行きません!」


 ルシアナはそう叫び、修道院内を移動する。

 修道院長を見つけて文句を言うためだ。

 少なくとも、部屋を変えてもらわなければならない。


「修道院長はどちらにいらっしゃるのかしら。そもそも、私が来ているのに挨拶にも来ないというのはどういうこと?」


 ぶつぶつと文句を言い、奥へ奥へと進んでいく。

 すると広い場所に出た。


「ここは――食堂かしら?」


 やけに小さな椅子が並べられていた。

 ルシアナはいつの間にか修道院を抜けて、孤児院に入り込んでいたらしい。

 こんなところに修道院長はいないだろうとルシアナは引き返そうとして、ふと視線を向けられているのに気付いた。

 部屋の隅の席で、五歳くらいの小さな女の子が黒いパンを持って、じっとルシアナを見ていたのだ。


「あなた、修道院長はどちらにいらっしゃるかご存知かしら?」


 ルシアナがそう尋ねると――


「お姫様?」


 少女はルシアナの服装を見て、そう尋ねた。


「ええ、そうですわ」


 姫と尋ねられたことに、ルシアナは当然のように頷いた。

 ルシアナは将来、シャルドと結婚することになるのだから、姫と呼ばれるのは正しいと思っていた。


「それで、私の質問に答えて下さる? 修道院長はどちらかしら?」

「……? わからないです」

「はぁ、期待した私が愚かでしたわ。そういえば、ここは食堂なのよね? 料理人はいらっしゃる?」

「いないです。ごはんは修道女のお姉ちゃんたちが作っています」

「料理人もいないのですか……ということは、まともな料理には期待できませんわね」


 とその時、ルシアナのお腹がぐぅと鳴った。

 それを聞いた女の子は、ルシアナに、「おひめさま、たべる?」と持っていた黒パンを差し出す。

 それを聞いて、ルシアナは、


「パンですか? 堅そうですわね。しかも黒い……焦げているのかしら。白いパンはございませんの?」

「白いパン? 見たことないです」

「白いパンを見たことがないのですか?」


 それを聞いたルシアナは不思議に思った。

 この修道院では、焦げたパンしか食べていないのだろうか?

 実際は、パンに使われている原料が違うだけなのだが、パンは全て小麦からできていると思い込んでいる彼女は不思議に考え、そして思い至った。


(なるほど、焼き加減ですわね)


 ルシアナが食べるステーキ肉は、中に赤みが残っているレア肉で、ステーキは中が赤いのが普通だと思っていたことがあったけれど、最近になって、ステーキにはじっくり焼いたウェルダムという焼き方もあり、その場合、中が黒くなっていると知った。

 そして、ルシアナもそのじっくり焼いたステーキ肉を食べてみたこともあった。

 少し硬かったが、それはそれで結構おいしかった。

 つまり、この黒パンは、硬いけれど美味しい可能性がある。

 そう考えた。

 実際のところ、使われている原料が小麦かライ麦かの違いだけなのだが。


「まぁ、せっかくの申し出ですから、頂きますわ」


 そう言うと、ルシアナは少女の持っていたパンを食べた。

 最初に感じたのは、硬いということだった。

 しかし、嚙み切れないことはない。

 それに、少し酸味がり、白パンにはない味わいがある。


(なるほど、確かに好みが分かれる味ですわね。私はむしろこちらのパンの方が好きかもしれませんわ)


 と、食べなれた物と違う味を、ルシアナは少しだけ気に入った。

 だが、一個食べ終わっても、ルシアナのお腹の虫は鳴き止んでくれない。


「もう一ついただけるかしら?」

「え? ないです」

「無いって、どういうことですか?」

「パンは一人一個です。あたしの分、お姫様にあげたからもうありません」

「あら、そうですの。なら、他の方の分を頂かないといけませんわね」

「みんなはもう食べちゃいました。あたしは食べるのが遅いから、一人残って食べていました」

「むぅ、無いとわかれば余計に欲しいですわ。本当になんともなりませんの?」

「明日の朝、もう一度貰えます」

「そうですか。なら、明日の朝、もう一度来ますわ」


 ルシアナはそう言い残し、修道院長を捜すことにした。


「修道院長ですか? 来週まで出かけて帰って来ませんよ」


 ようやく見つけた先輩修道女以外の修道女にそう言われたのは、パンを食べてから一時間後のことだった。

 結局、部屋の変更は認められず、ルシアナは空腹に耐えながら涎を垂らして眠る先輩修道女の横で寝間着に着替え、「お腹が空きましたわ。湯浴みがしたいですわ」と呟きながら一夜を過ごした。


「ルシアナ、朝のお務めの時間だよ。ちゃんと働かないと朝ごはんも食べられないよ」


 まだ夜明け前だというのに、ルシアナは先輩修道女に起こされる。

 昨日の夜は空腹のため眠れなかったが、そのせいで、いまは空腹より眠気が勝っている。

 ルシアナは先輩修道女の声を無視するように布団に潜り込み、勤務拒否の姿勢に入った。

 先輩修道女は二度ほど、「本当に朝ごはん無いからね」と注意し、部屋を出た。

 その後三時間程睡眠をとり、ルシアナが目を覚ましたときは既に太陽が大きく顔を出していた。

 持ってきていた昨日とは別のドレスに着替え、ルシアナは孤児院区画に向かう。

 すると――


「あ、お姫様!」


 昨日の子供がパンを持ってルシアナを見つけ、手を振った。

 ルシアナは少女からパンと水を貰い、食べる。


「一晩待った甲斐がありました。なかなかの味です」

「お姫様、美味しいの? お城の料理より?」

「お城の料理と比べるなんて、不敬罪ですわよ。宮廷料理というのはとても豪華なのですから。例えば――」


 とルシアナは少女に、呼ばれたパーティで食べた料理がどういうものか語って聞かせた。

 少女はそれを、まるで夢物語かのように目を輝かせて聞いた。


「凄いです! お姫様」

「ええ。シャルド殿下が迎えにきたら、特別にあなたにも宮廷に招待いたしますわ!」

「本当ですかっ!? 王子様が迎えに来てくれるのですか?」

「ええ、そうよ。ですから、次もパンと、他に何か食べ物があったらそれもいただけるかしら」

「はい!」


 ルシアナはそう言って、修道院長が帰ってくるのと、シャルド殿下が迎えに来るの、どちらが早いでしょうか? 等と考えながら部屋に戻っていった。

 その後、昼食にはパンと果物を、夕食にはパンと焼いたキノコを少女から貰い、代わりにルシアナは少女にお城がどういう場所か語って聞かせた。

 そして、次の日の朝。


 ルシアナは先輩修道女にたたき起こされた。


「ルシアナ、起きなさい! あなた、あの子に何をしたのっ!?」


 何を言っているのかルシアナにはわからなかった。

 そもそも、あの子がどの子のことを言っているのか理解できない。


「朝からなんですの? わかるように説明しなさい」

「孤児院の子供が空腹で倒れたの。お姫様にパンを上げたって聞いた。あんたがあの子からパンを奪ったんでしょ!」

「奪ったとは人聞きが悪いですわね。貰ったのですわ。別にパンが無くてもおかずをしっかり食べてたら死ぬことはないでしょ。あなただって、一週間くらい食べなくても死なないっておっしゃったじゃありませんか」

「あんた、孤児の子の食事の内容知ってるの? 基本は黒パンと野菜屑や野草が入っている塩スープだけなの。それでも足りない子供は近くの森で食べられるキノコや果物を採ってくるんだけど、それも結構大変でね。あの子は元々体力が無いから森になんて滅多にいかないのに、『お姫様のためだから』って言って、果物とキノコを採ってきて――ただでさえ孤児たちには満足な食事を与えられていないっていうのに、食事を抜いて無茶な運動をさせて、倒れるのは当然じゃない!」

「そんなの……知りませんわよ!」


 ルシアナは文句を言って、布団に潜り込む。


「ルシアナ、あんた、あの子がなんであんたにそんなに優しかったか本当にわかってる?」

「それは私が姫だからです」

「違う。あの子はね、いい子にしていたら必ず王子様が迎えに来てくれるって信じてるの」


 先輩修道女は語った。

 あの子は貧しい農家の子だったらしく、不作で食べ物に困った両親が、教会に預けたそうだ。

 両親に、「ここでいい子にしていたら、必ず王子様が迎えに来てくれるからね」と言われたその言葉を信じ、一年間、ずっといい子で居続けたそうだ。


「私がシャルド殿下が迎えに来ると言ったから――」

「そうだね。いつか王子様が迎えに来ると信じているところは、あの子もあんたも変わりないわね。でも、一生懸命いい子で居続けるあの子と、我儘放題で何もせず、子供のご飯を取り上げるあんた、どっちら偉いかは一目瞭然よ。あの子が公爵令嬢だったら、きっと婚約破棄なんてされずに今頃王太子妃になってるんでしょうね」


 先輩修道女はそう言うと、文句を言って去っていった。

 ルシアナは思った。

 自分だって我慢している。

 パン一個と少しのおかずだけだとお腹は空くし、寝る前の紅茶も飲めないし、湯浴みもできないし、服も誰も洗ってくれないし、ベッドの寝心地は悪いし、トイレは臭いし、先輩修道女の歯ぎしりはうるさいし。

 それなのに、そこまで怒られるのは理不尽だと思った。


 その日、ルシアナは部屋から出なかった。

 先輩修道女が、「これ、余ったから食べていいわよ」と言って持ってきた黒パンで、何とか飢えをしのいだ。

 そして、次の日の朝食の時間の後、ルシアナは孤児院の食堂に向かう。

 すると、例の少女がいた。


「お姫様!」

「もう体調は大丈夫ですの?」

「はい! パン、あります! またお城の話を聞かせてください」


 そう言って差し出されたパンをルシアナは黙って受け取った。

 そのパンを見て、ルシアナはズルイと思った。

 この子はいい子というだけでパンを与えられて、それが当然で、ルシアナはいろいろと我慢しているのに怒られて。

 だから、ルシアナは思った。

 この子の「いい子」を真似してやると。


「ええ、もちろん、お城について教えます。あと、パンを半分差し上げますから、あなたが普段何をしているか教えてください」


 すると、少女は笑顔で、「はい!」と頷いた。

 パンを分け合って食べたルシアナと少女は、庭にある畑に行く。


「まずは畑の草むしりです」

「草むしりですか?」

「はい。こうやって草を抜きます」


 少女が屈んで畑の草を抜く。


「ドレスが汚れますわよ」

「あ……じゃあ、私が抜きますからお姫様は見ていてください」

「ええ……って、それだとあなただけいい子になってしまうではありませんか!」


 それはルシアナにとって許せないことだった。


「急いで着替えてきます!」


 そう言うと、ルシアナは部屋に戻り、汚れてもいい服はないかと荷物を見る。

 だが、持ってきている服は全部ドレスか寝間着だけ。

 汚れてもいい服など――


「あ、これがありましたわ!」


 ルシアナはそう言うと、急いで着替えて少女のところに戻った。


「お姫様、修道女みたいです」

「ええ、この服なら汚れても問題ありませんわ」


 ルシアナは修道服姿でそう言い、草を抜くのを手伝う。

 ちょうど他の子供たちも合流して、ルシアナを見つけてはしゃぎだす。


「なんだ、新しい修道女がいるぞ!」

「本当だ! 修道女が草抜きしてる!」

「うるさいです! 私は修道女ではありません! あっちに行きなさい!」

「修道女が怒った! 逃げろ!」


 子供たちがルシアナに怒られながら逃げる。

 その後はしっかり少女の手伝いをした。


「ひっ、虫です。取ってください」

「お姫様、虫が怖いの?」

「怖くありません! 怖くありませんから取ってください」

「はい、取りましたからもう怖くありませんよ」


 本当に手伝いになっているかはわからないが。

 そして、草取りを終えてから、少女は礼拝室に向かった。

 前に修道院長がどこにいるか教えてくれた修道女が掃除をしていて、少女も掃除を手伝う。


「あら、ルシアナさん、その子と一緒にお手伝いしてくれるの?」

「ええ、私も褒められたいですから」

「そうですか。では、井戸で水を汲んできてくれるかしら?」

「何故、私がそのようなことをしないといけないのですか!」


 ルシアナが怒るように言う。というより、明らかに怒っている。

 彼女がするのはあくまで少女と同じ仕事であり、別の仕事はいい子の範疇を越えているようだ。

 そのため、


「お姫様、一緒に行こ」

「仕方ありませんわね」


 と少女が誘うと、ルシアナもそれに応じるのだった。


「――?」


 それを見ていた修道女は、なんで自分が怒られたのか理解できないようだった。

 草抜きもそうだったが、水汲みや掃除、やってみると意外と大変だということにルシアナは気付いた。

 それでも、何とか掃除を終えると、今度は少女は礼拝室の女神像に向かって、祈りを捧げ始めた。


「何をなさっているのですか?」

「神様に悪かったことを謝っているんです」

「あら、あなたはいい子なのでしょう? 謝ることなんて、何一つないではありませんか」

「いいえ、昨日の朝、倒れて、みんなに迷惑をかけてしまいました。それは悪いことです」


 少女は言う。


「お姫様も、神様に謝ることはありますか?」

「私が謝る事ですか?」


 そう言われてルシアナは考える。

 悪いこと、悪いこと。


「何かありましたかしら?」


 直ぐに思い浮かばない。


「お姫様がやられたら嫌だなって思うことを思い浮かべてください。そして、それと同じことをお姫様がしていたら、それは悪いことです。修道院長様に教わりました」

「私がされて嫌なことですか」


 なんでしょう?

 と考える。


(料理に野菜を入れられるのは嫌ですわね……まぁ、私は料理なんてしませんから、悪いことはしていないことになります。あとは、婚約破棄をされたり実家を追い出されたりするのも嫌ですが、どちらもこちらからしたことはありません。やっぱり、私はいい子なのではありませんか?)


 ルシアナは楽天的にそう考えた。


(あ……あの先輩修道女に食事を抜かれたのは腹が立ちましたね)


 と思い出す。

 そして――隣の子を見て愕然とした。

 何故なら、ルシアナは少女のパンを貰ってしまった。

 それは即ち、少女の食事を抜いたのと同じことだ。


「あれは……悪いことだったのですか!?」

「お姫様、どうしたんですか?」

「あなた、お腹は空いていませんか? いいえ、パンを半分しか食べていないから空いていないはずがありませんわね。私だってお腹が空いているんですもの」

「え? はい?」

「こうしてはいられませんわ!」


 ルシアナは走った。

 いい子でいるためには、少女のパンを奪ってはダメなのだから。

 そして、先輩修道女を見つけた。


「あなた!」

「ん? ルシアナ、今日はどうしたの? 修道服なんて着て、いよいよ仕事をする気になった?」

「そんなことはどうでもいいのです! パンをいっぱい手に入れるにはどうしたらいいのですか!?」

「そりゃ、金だよ、金」

「お金はありません。公爵家から小麦を送ってもらうことは――」

「いや、あんた、実家から追放されたんだろ。送ってもらえないって――そうだね、あんたのバカ高そうな服を全部売れば、暫くはお腹いっぱいパンを食べられるんじゃない? なんなら、私が売ってきてあげようか? 手数料貰うけどね」

「ええ、是非お願いしますわ」

「え? まじ?」


 ルシアナの持っていたドレスや装飾品は離れた街まで先輩修道女が売りに行き、金貨五枚の値段で売れた。

 そして、ルシアナはその金貨を少女の食事のために使うように言った。

 こうして、ファインロード修道院の食事事情は当分の間、少しの間だけマシになった。


 その後も、ルシアナは少女と一緒に仕事をするうちに、女神像に祈りを捧げ、「他人を罵るのは悪いこと」「叩くのは悪いこと」と自分の過ちを理解していく。自分はなんて悪いことばかりしていたのだろうかと理解していく。

 ルシアナはようやく理解した。

 何故、自分が公爵家を追放されたのかを。

 何故、自分はシャルドの妻になれなかったのかを。


 そして、シャルドはきっと、ルシアナを迎えに現れないであろうということを。


「全てが手遅れでしたか……」

「お姫様、手遅れって何が?」

「いいえ、なんでもありません」


 王子が迎えに来てくれると信じているこの子には言えないと、ルシアナは笑顔で首を横に振る。

 どうせ王子が迎えにきてくれないのであれば、いい子で居続けるのも面倒だと思えてきた。

 だが、その時、思い出すのは、ルシアナのお金で買ってきたライ麦で作った、いつもより大きな黒パンを見て、子供たちが笑顔でルシアナに感謝する姿だった。


(そういえば、あんなふうに感謝されるのは初めてですわね)


 一度身に着けた習慣というものを変えるのも面倒だと、ルシアナは思い直し、暫くはこの子に付き合ってみるかと考えた。


 修道院長が帰ってきたのはその翌日のこと、ちょうどルシアナが礼拝室の掃除をしているときのことだった。


「お帰りなさいませ、修道院長」

「おや、あんたがルシアナかい? 随分と我儘に育てられた令嬢だって聞いていたけど、私の聞き間違いだったかしらね?」

「そんなことはありませんわ。私は私の我儘でいい子にいることにしましたの。修道院長でも私の考えは変えられませんわよ?」

「それはまた、随分と面白いことを言うね」


 その後、ルシアナは修道院長に回復魔法の才能を見出され、訓練の末、中級回復魔法まで使えるようになった。

 また、他の修道女から、食べられる野草の見分け方、キノコの見分け方、料理の仕方などを学んでいく。

 最初は失敗も多かったが、それでも一年経った頃には他の修道女と同じくらいの仕事ができるようになっていた。

 その頃には、ルシアナが売った装飾品のお金も底を尽き、黒パンは孤児たちのみの配給になり、修道女たちは毒キノコや野草屑などを食べるようになったため、ルシアナをかなり苦しめることとなった。主に空腹的な意味合いで。

 そして、ルシアナと一緒に掃除をしていた女の子は、ある日、近くの町の商人夫婦の家の養子になるために貰われていった。優しそうな夫婦だった。


(これまであんなにいい子にしていたんですもの。幸せになるに決まっていますわ)


 そして、さらに二年。

 ルシアナは二十歳になった。

 もう公爵家のこともシャルドのことも吹っ切れ、今では修道女として一人前になり、森の中で採集に励んでいた。


「あ、シロミツ草発見です! ふふふ、これで貧者の砂糖を――あ、この実、水に漬けて灰汁を抜けばなんとか食べられますね! あ、このキノコはお茶にするとおいしいんですよね。毒ですけど」


 若干、野生児っぽくもなっていたが。

 森の実りを与えてくれた神に感謝し、ルシアナは笑顔で修道院に戻ろうと決めた――その時。


「おっと――声を出すなよ」


 いつの間にか現れた男が、ルシアナの喉元にナイフを突きつけていた。

 そして、彼女はその男に攫われた。

 ルシアナは思った。


(やっぱり、いい子になるのが少し遅かったのですわね)


 もしも生まれ変わることができたら、今度はきっといい子でいようと。

 王子様が迎えに来なくてもいいから、いい子でいようと。

 そして、ルシアナは――

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