「マリア、今すぐ私の影武者を用意できないかしら!?」
秘密の抜け道から部屋に戻ったルシアナは、マリアにそう相談を持ち掛けた。
「話が見えません。お嬢様、筋道を立てて説明してください」
マリアに、今日バルシファルに三日間の遺跡の調査依頼を受けたことを説明する。
詳しい場所、日時、予定を纏めて伝えると、マリアは頷いた。
「いい方法があります」
「本当にっ!?」
「はい。ちょうどその遺跡の近くに、ヘップという温泉で有名な町があります。お嬢様にはそちらの町で羽を伸ばしていただき、バルシファル様とはその町で合流すればいいかと思います」
「それはいい考えね。でも、お父様が許可してくださるかしら?」
「許可を取る必要はありません。お嬢様は悪役令嬢を演じてきたのです。我儘で、出発日の前日に、『明日出掛けます! 準備をしなさい!』と言えばそれでいいのです。そうですね、護衛役としてキールさんだけでは心配ですから、トーマスさんに現場復帰していただきましょう。それだけだと道中が不安ですから、冒険者も雇うべきですね。道中だけの護衛は人数を揃えた方が安全です。バルシファル様に頼んでみてはどうでしょうか? 信用できる冒険者に依頼したほうがお嬢様も安心かと思いますが」
「でも、ファル様にシアの正体がバレてしまわないでしょうか?」
以前、ルシアナはモーズ侯爵への護衛をバルシファルに頼んだことがある。
その時、ルシアナはバルシファルに散々暴言を吐いてきた。
バルシファルには、ルシアナとシアが同一人物であることは極力知られたくない。
「前に私……元モーズ侯爵令嬢の誕生日の時みたいに、変声のチョーカーを使って扇子で顔を隠せばバレることはないと思いますよ」
「そ、そうですわね。でも、私、ルシアナとしてファル様に会うのは久しぶりですから、うまく悪役令嬢できるかしら」
「動揺さえしなければ、お嬢様の演技はいつも完璧です」
前世の自分をトレースしているだけだから、完璧なのは当然だった。
マリアに言われて少し安心したルシアナは、旅が少し楽しみになってきた。
温泉ということは、わざわざお湯を持っていって化粧を落とさなくても、温泉で化粧を落とせばいい。
美肌になった彼女の姿を見て、きっとバルシファルは褒めてくれることだろう。
「そうだ、マリアも一緒に行く?」
「そうですね、里帰りも悪くありません」
「え?」
「ヘップの町は元々モーズ侯爵領の領地で、私の実の母の故郷でもあります。もっとも、モーズ侯爵の失脚により、私の実の両親は別の町に引っ越したそうですが」
マリアの父親は、モーズ侯爵の弟だった。
あの時の事件は、モーズ侯爵の養女であったアネッタが処刑されるという形で責任を取り、分家まではその責は及ばなかったが、しかし周囲の風当たりは強く、町にいられなくなったそうだ。
「マリア……その……」
「前にも申し上げましたが、私は陛下には感謝しています。本来、お父様が行ったことは、たかが養女である私の首一つで許されることではありません。にも拘らず、私をこうして生かし、新しい生活を与えてくださったのですから」
マリアはそう言うと、ルシアナの目を見てさらに続けた。
「それに、お嬢様にも感謝しています。もし、お嬢様がお父様の悪事を見抜かなければ、お父様はさらに悪事に手を染め、それが明るみになったときにはもう手遅れの状況になっていたはずです。お父様も責任を取って自殺などということはせずに、きっと全てを恨み、悲しみ、死んでいったことでしょう……そんなわけで、私がヘップの町に帰ることに、なんの嫌な感情もありません。今の私を見てアネッタだと気付くような親しい人もいませんしね」
「……マリア、ありがとう」
ルシアナはマリアの優しさに触れ、少しうれしくなった。
そして、マリアは――
「(それに、ルシアナ様を側で見ていたら、きっと新しいあれが見つかるかもしれません)」
何やら彼女にも思惑があるようだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ファル様、本当にシアちゃんを連れて行くつもりですか?」
バルシファルが借りている部屋で、サンタが不満そうに尋ねた。
「ああ、シアにはまだ早いかと思ったけれど、今日の様子を見ていたら彼女も随分と成長したからね。問題あるかい?」
「前にも言ったはずです。シアちゃんのことはどうも疑っちゃうんですよ」
「うん、だからファインロード修道院にも調べにいったよね。もう六年前か――」
シアはとても優秀な修道女である。天才と言ってもいい。
だから、サンタは不思議で仕方なかった。
何故、彼女のような修道女の情報がこれまで自分の耳に入ってこなかったのかと。
そして、彼女の経歴が、ファインロード修道院の出身ということ以外、全て謎なのも気になった。
王都の教会に問い合わせたところ、確かにシアという旅の修道女がいることは確認できた。泊まっている場所は教えてもらえなかったが、正式な書類だ。
だが、それにしては妙だと思った。
彼女のような回復魔法の天才と言ってもいい修道女を、何故教会は自由にさせているのだろうか?
教会の立場からしたら、ルークがしているように一日中ポーションを作らせるなり、信者に回復魔法を使って寄進を募るなり、使い方はいかようにもあるはずだ。
気になったサンタはファインロード修道院まで直接出向き、シアという修道女について調査を行った。
修道院長や数人の修道女は、しっかりシアのことを覚えていた。
彼女の経歴はこうだ。
元々孤児院の前に捨てられた少女で、回復魔法が使えるため、若くして修道女になった。
そして、六歳になったある日、王都に親戚がいることがわかり、その親戚を頼るように王都にやってきた。
その親戚というのが、冒険者のトーマスだったという。
それだけ聞けば何の不自然もない話だ。
だが、実際のシアのことを知っているサンタからしたらおかしい話だ。
何故なら、誰もシアのことを「回復魔法を使える修道女」と認識しているが、「天才的な修道女」と言わなかった。
まるで、予め用意されていた情報をそのままサンタに伝えているような感じがした。
しかも、サンタが訪れたとき、ファインロード修道院のステンドグラスがちょうど補修中だった。その理由が、とある人から多額の寄付をしてもらったからだという。
もしかして、シアの情報について口裏を合わせる代わりに、お金が渡っているのではないか? そんな風に思ってしまう。
王都の教会、そしてファインロード修道院の様子だけを見れば、サンタはシアのことを疑ってしまうと言わず、むしろ信用できないとバルシファルに伝えたことだろう。
だが、妙なことに、サンタが実際に見たファインロード修道院の実体が、シアから聞く内容に非常に酷似していた。
しかも、実際に生活してみないとわからないような内容まで。
例えば、サンタが近くの村でファインロード修道院のことを聞いて回ったとき、村の人が妙なことを言っていた。
何故か、ファインロード修道院では毒キノコを欲しがっているため、捨て値で売っていると。
そのことを修道院長に尋ねたら、解毒魔法の練習に使っていると教えられた。普通ならそれで納得するだろう。
だが、シアから聞いた話では、ファインロード修道院は貧乏なため、栄養価の豊富な毒キノコを安値で購入して食事に使い、解毒魔法を使って解毒している。
そう言われて調べると、解毒魔法の練習に使うには購入するキノコの数も多すぎる気がする。
修道院長が解毒魔法の練習用だと嘘をついたのは、世間体を考えてのことだろう。つまり、本来そこに生活しているものしか知らない情報を、シアは知っていたことになる。
他にも、ファインロード修道院の食の事情、お金の稼ぎ方、孤児院の様子など、ほぼ全てシアの言う通りだった。
王都の教会の情報もファインロード修道院の人間の言葉も信用できない中、何故かシアの言葉だけは信用に値するのだ。
それに、普段のシアを見ていると、どうも悪い人間には見えない。むしろ、善人過ぎてサンタの方が心配になるくらいだ。
それがサンタを混乱させていた。
「それで、ファインロード修道院へ寄付をしているのは誰かわかったんだっけ?」
「それが、どうもヴォーカス公爵のようなんですよ。まぁ、公爵は元々慈善家でしたから、寄付は不思議ではありません。他の教会にも寄付しているようなので、やはり俺の考え過ぎなんですかね」
「さて、どうだろうね」
バルシファルはあえて含みを持たせるようにそう言うと、ふとある事を思い出す。
「あ、ヴォーカス公爵というと、ルシアナ様の御父上だったか――ふふっ」
ルシアナという名前を出したとたん、バルシファルは思わず笑ってしまった。
「どうしたんですか?」
「いや、僕の甥っ子がどうも彼女に執心のようでね。これからも彼に訓練する約束をしているんだ」
「シャルド殿下ですか……しかし、なんであんな我儘令嬢がいいんですかね。一度お会いしましたけど、あれ、性格は最悪でしたよ」
「最悪か。それはどうだろうね?」
バルシファルはモーズ侯爵邸での彼女とのやり取りを思い出し、もう一度嬉しそうに笑ったのだった。