ヘップの町に出発する日がやってきた。
声を変える魔道具を首につけ、顔を隠すための扇子を脇に置き、鞄の中に修道服と髪の色を変える腕輪を入れる。
「マリアは大丈夫かしら? 確か、バルシファル様にお会いしたことありましたよね?」
「会いましたけれど、一瞬のことですし、あの時は化粧をしていました。それに、現在は髪の色も変えていますし、なにより私は処刑されたことになっていますからバレることはないともいますよ。それに私も成長して――」
マリアは自分の身体を見下ろし――
「……第二次性徴はまだですから、あまり成長していませんが――」
「あら? でも、マリア――あなた、前に……」
「これから成長期です」
「そ……そうね」
マリアの鋭い声に、ルシアナは反論できなかった。
護衛として、公爵家の護衛が数名ついてきている。
彼らは以前、ルシアナがアーノルを治療したところを見ていた護衛で、ルシアナの特異性の一部を知っている者たちであり、最近もいろいろと面倒を見てくれている。
トーマスはバルシファルに顔が割れているので、今回も留守番。
キールは既にヘップの町に向かって出発していて、現地でシアとして合流予定である。
そして、二人が抜けた護衛の穴を埋めるように、七名の冒険者が参加する。
護衛の中にバルシファルの姿を、窓の内側から見つけて、ルシアナは扇子で顔を隠すが、向かい合って座っているマリアの位置から、嬉しそうなその顔は丸見えで、
「お嬢様、扇子で口元を隠しても、その目でバレますよ」
思わずそう言った。
口だけでなく、目も笑っている。
「ごほん、ありがとうございます」
ルシアナはそう言って表情を整える。
左口の端が若干下がり切っていないが。
「お嬢様。冒険者の代表が、お嬢様に挨拶をしたいと申しております」
一番緊張し、そして嬉しい時間が来た。
普段のバルシファルもカッコいいのだが、凛とした表情で声を掛けるバルシファルもカッコいい。
そして、その視線が、声が、自分一人に向けられているというのが猶更。
そんなバルシファルに対して辛辣な言葉を投げないといけないと思うと嫌になるが、しかし――
と扉を開けた先にいたのは――
バルシファルではなく、いつもルシアナに飴玉をくれる巨漢だった。
「お初にお目にかかります。私は――」
「喋らないでください」
「え?」
「喋らないで下さい、頭が痛くなります。私にその顔を見せないで下さい」
そう言って、ルシアナは返事を待たずに――喋るなと言ったから返事はしないかもしれないが――扉を閉じた。
窓の外には、なんで怒られたのかわからない冒険者が一名、残された。
「お嬢様、今日は言葉が緩いのではありませんか?」
「……え?」
「いえ、ですから、悪役令嬢の演技が疎かになっていませんか?」
マリアにそう言われたルシアナは、予め用意していた悪役令嬢としてのセリフを思い出し、それが一言も喋れていないことに気付く。
今度、冒険者ギルドでシアとして会った時、いいワインを一杯奢ろうと思ったのだった。
「公爵令嬢の護衛としては少ないですが、お嬢様の秘密を考えると、いたずらに護衛を増やすことができません。少々もどかしい気持ちです」
「大丈夫ですよ、マリア。心配する必要なんてまったくないわ」
公爵家の護衛としては人数は少ないが、しかし公爵家の優秀な護衛に加え、バルシファルもいる。
安心な旅が約束されている。
そう思ったのだが――
「貴族の馬車なんて本来は襲わないんだが、公爵家の紋章の馬車がこれだけの護衛でやってきたんだ。襲ってくれって言っているようなもんだよな? 覚悟しろよ」
「この人数差に勝てると思ってるんじゃないだろうな?」
「てめぇらっ! 俺たちにつく気はないか? いい思いさせてやるぜ!」
ヘップの町まで残り五時間のところで、ルシアナたちは現在、三十人を超える盗賊団に襲われたのだった。