ヘップの町に到着したルシアナは、用意されていたベッドに倒れこみたい気分だった。
馬車の中でずっと寝ていたとされているが、実際のところ、悪役令嬢の演技が辛くて、寝たふりをしていただけであった。
盗賊との命のやり取りをこの目で見てしまったせいで、興奮しまともに寝ることができるはずがなかったのだ。
宿について、当宿自慢の温泉を紹介されたが、入る気にもならない。
「マリア……どう思います?」
「そうですね、お嬢様が使うには少々部屋が狭いかと思います」
「そういうことではありません。あの盗賊たちです」
あの盗賊たちは明らかにおかしかった。
話に聞いたところによると、清掃活動に参加した青年団の全員が、盗賊に加担していたという。
三十人もの普通の生活を送っていた男性が、いくら気持ちが高ぶったからといって、一人も欠けることなく犯罪に手を染めるなんてありえるはずがない。
それに、戦っている途中、仲間が殺されても、彼らは自分が気絶させられるまで戦いをやめることはなかった。訓練された兵士でさえ、全員があのように愚直に戦うことができるものではない。
「集団心理……というには妙な感じでしたね。全員剣を持っていましたから、魔剣に操られていたのではありませんか? 遺跡で見つけた剣だったそうですし」
「私もそう思って、押収した剣を一本調べたのですが呪術が掛けられている様子はありませんでした」
剣の中には、装備した人間を操ったり、錯乱させたりする呪いが掛けられている剣がある。
そういう剣は邪剣や魔剣と呼ばれて恐れられて、だいたいは教会に持ち込まれる。
もっとも、普通の神官に解呪できないものも多く、そのほとんどが教会の奥に保管、封印されている。
ルシアナも前世で一度、ファインロード修道院に運び込まれた魔剣の解呪に挑戦したことがあったが、あの時は力及ばず、解呪どころか魔剣に精神を侵食されかけたことがあった。その時は、修道院長によってルシアナは助けられたが、結局、魔剣の解呪はできなかった。
だが、彼らが持っていたのは、正真正銘、なんの魔力の影響もない鋳造された量産品の剣だった。
となると、別の何かが彼らを操っていた可能性が残る。
直接、盗賊と対峙できていれば、どんな呪術だったのか特定できたかもしれないが、あの状況でルシアナが馬車から出ることは、悪役令嬢の演技を抜きにしても難しかっただろう。
ただ、明日、ちょうどその遺跡を、バルシファルと調査することになっている。
そこに行けば、何か手がかりが見つかるかもしれない。
そう思ったとき、扉がノックされた。
「どうぞ、開いています」
ルシアナが声を掛けると、先にヘップの町に来ていたキールが入ってくる。
「キールさん、どうでしたか?」
「とりあえず、盗賊たちはやっぱり貯金はあまりないから、罰金は払えないそうだな。町の長には話を通しておいたから、鉱山送りは数日待ってもらえることになった」
「よかった……ありがとうございます」
ここで、ルシアナがお金を支払い、彼らに元の生活に戻ってもらったとしても、犯罪者という汚名が消えることはない。
だが、明日の遺跡の調査で彼らがあんなことを行った原因が判明したら、話は変わってくる。
彼らの罪の意識もだいぶ薄らぐことだろう。
その時は、ルシアナは彼らの罰金を肩代わりし、解放してあげようと思っていた。
「お金はどうするのですか? 公爵家から支払えば、お嬢様の名声を高めてしまうことになりますが。全員と契約魔法を結ぶというのも手段としてありますが――」
「安心してください。こう見えて、私、シアとしてもお金を結構溜め込んでいるんです」
ルシアナが冒険者ギルドでポーションを作るとき、約八時間ポーション作りに専念し、銀貨三枚程報酬としてもらっている。冒険者ギルドに行ってもバルシファルに会えない週にだいたい二、三回、それを六年間続けてきた。
他にも、バルシファルと一緒に冒険に出かけるときには報酬を貰い、冒険者ギルドで怪我をした人の治療をしたときには冒険者から報酬を貰っていた。
さらに、ルシアナはお金を使うことがほとんどない。
バルシファルと一緒に食事をしたり、茶葉を買ったり、スコーンの材料を買ったりするのに少しは使っているが、そのほかの衣食住は全て実家である公爵家の負担となっている。
結果、お金だけが残る。
生活費という名目で、一部のお金は引き出しているが、それでもかなりの額が冒険者ギルドの口座に残っていて、その額は銀貨で約1500枚。
「それで、罰金いくらですか?」
「銀貨1000枚だな」
「そうですか。そのくらいなら――」
「一人当たりだぞ? 全員で銀貨26000枚だな。リーダーの男だけ倍になってる」
「高すぎます!」
想定の二十倍以上だった。
王都で働く中級層の平均月収は月銀貨20枚から30枚程度だが、王都に近いとはいえヘップの町は物価も低く、そこで働く人の月収も三分の一未満。さらに、その周辺の農村まで行くと、それどころの話ではなく、税を納めるのも作物で、食べ物は売り買いするものではなく、物々交換が基本。
時折訪れる商人に余った作物を安く売り、衣服や塩などを買うのが日常。
そんな彼らは真面目に貯金をしても一生で銀貨100枚が限度。
銀貨1000枚など、払えないことがわかっている額である。
そもそも、盗賊を引き渡したときに受け取った報酬は、僅か銀貨50枚である。
「公爵家の馬車を襲ったという罪は大きいな。実質死刑になってもおかしくない。というか、そうなりかけていた。お嬢様が不機嫌だったことが伝わって、公爵家に義理立てして全員死刑にしようという考えがな。それは、公爵家の執事見習いの肩書きを使ってなんとか止めさせたが」
「罰金は無理でしたか?」
「ああ……せめてあいつらが本当に操られていたという証拠と、お嬢様直筆の要望書があれば、交渉の余地はあると思う」
ルシアナ直筆の嘆願書。
ここで、ルシアナが彼らの減刑を要望すれば、彼らの罰金が軽くなるという。
それはルシアナの悪役令嬢としての行いと、かなり矛盾することになってしまうのだが、それでも、二十五名の人間の人生を考えると致し方ない――ルシアナはそう思った。
「キールさん、一応調べておいてもらいたいことがあるのですが」
ルシアナはキールにあることの調査を頼んだ。
マリアはその理由にピンとこなかった様子だが、キールはその言葉の意味すぐに理解して――
「お嬢様、とんでもないことを考えてるな。実は前世は本当に悪役令嬢だったんじゃないか?」
と事実を冗談で語ったのだった。