「こんな気持ちの悪い絵が気に入るわけないでしょ。それともキールはこの絵を気に入ったのかしら? 随分と素敵な美的センスの持ち主ね」
突然のルシアナの言葉に、サンタは目を丸くした。
「ちょっと、シアちゃん、そんな言い方は無いと思うよ」
「…………」
「シアちゃん?」
「あら、いたんですか? 気が付きませんでした。サンタさん、ただでさえ目立たないのですから、発言するときは手を上げて自己主張なさったほうがよろしくてよ?」
そんなことを言われた、サンタはムッとした表情になる。
普段から彼女はバルシファルのことばかり気にしていて、サンタがいても気付かないことが多い。
もしかしたら、それはすべてわざとだったのではないか? そんな風に邪推してしまい、いままでのことが全て怒りに変わる。
だが、同時に彼女は仲間だから、そういう感情を持ってはいけないという気持ちもまた存在し、
「ちっ、ほとんど役に立ってないくせに」
怒りの感情を言葉で吐露すると、それに反論したのはルシアナではなく、キールだった。
「おい、サンタ。シア様も確かに言い過ぎだが、お前だって言い過ぎだ。回復魔法の出番がないってのはいいことじゃないか」
「なんだよ、キール。シア様シア様って、いくら恩人だからって年下の女にいいように使われて腹が立たないのかよ」
「は? 年下とか女とか関係ねぇだろ。尊敬できる人に仕えて何が悪い。俺とシア様は、戦闘と回復ってバランスが取れてるからパーティとしてもいいんだよ。お前なんて、戦闘だとほとんど空気じゃねぇか」
「うるさいですわよ、二人とも。吠えるなら外でやりなさい」
ルシアナがそう言うと、サンタとキールは少し黙り、そして言う。
「仲間同士で争うのはおかしいか」
「ああ、確かに……ここは魔物退治で勝負しないか?」
「いいぞ、キール。確か近くにゴブリンの巣があったからどちらが多く倒せるか勝負しないか」
「あら、いいですわね。私も戦いますわ。これでも護身術は学んでいますから自分の身くらい自分で――」
とルシアナが言ったとき、バルシファルがルシアナの手を掴んだ。
「ファル様、どうなさったのですか?」
「シア、解呪魔法を使えたね? 自分に使いなさい」
「どうしてでしょうか? ファル様、意味がわかりませんわ」
「いいから」
そう言われてルシアナは不承不承という表情で解呪魔法を唱える。
と同時に、ルシアナは自分がキールやサンタにどれだけ酷いことを言ったか理解した。
「私は――」
なんて言い訳をしたらいいかはわからない。
操られていたのとはまた違う。
まるで、前世の頃に戻ったような感覚だった。
「正気に戻ったようだね。二人にも同じ魔法を頼む」
「わかりました」
いまにも遺跡から出ていきそうな二人に、同じく解呪魔法を掛けると、彼らも正常に戻った。
「すみません、キールさん、サンタさん。私、なんであんなことを言ったのか」
「いや、俺も悪かったよ。役に立たないなんていってごめん。シアちゃんの解呪魔法で助かった。キールもすまん」
「いや、俺の方こそ悪かった」
ルシアナたちは扉を閉めて謝りあった。
三人がおかしくなったのは、あの部屋に入って壁画の絵を見てからだった。
「シアちゃんって呪術は詳しいでしょ? なんだったかわかる?」
「私は解呪のために学んだだけで呪術の専門家というわけではありませんが、精神に作用する呪術であることは間違いないですね。恐らく、心の闇を増大し、それを憤怒の感情に纏め、仲間と認識している者の意識を同調させ、特定の敵に対して襲い掛かる――そういう呪法だと思います。青年団の皆さんは、共通の敵が自分たちよりお金を持っている人だったので、盗賊になろうとなさったのでしょう。そして、私たちは冒険者ですから、魔物に対して攻撃をしようとしたんだと思います」
「じゃあ、トールガンド解放軍の兵に使われていたら?」
「全員、死に物狂いで連合軍やレギナ王国と戦う……あの時のあいつらみたいに」
キールの予想を兼ねた質問に、サンタは青い顔で言う。
あの時の青年団の男たちは、仲間が殺されても、一瞬のうちに半数が気絶させられても、自分が倒れるまで戦いをやめなかった。
もしも、それが三十人ではなく数百人、数千人規模で行われ、そして戦争に使われていたら?
いや、実際に使われたのだろう。
そして、ルシアナは自分で説明して恐ろしくなった。
先ほどのルシアナの発言、あれは紛れもなく存在するルシアナの中の心の闇だった。
神に身を捧げ、毎日熱心に祈り、過去の罪と向き合ってきたルシアナに残っていた心の闇。
悪役ではなく、本物の悪としての心。
そして、ルシアナは気付いていた。
解呪魔法により、心を埋め尽くした闇の感情は一度鳴りを潜めたが、しかしまだ心の中に残っているということに。
「シアちゃん、大丈夫? まぁ、あんなことがあって気にするなって言っても無理かもしれないけど、本当に気にしない方がいいよ。本心じゃないのはわかってるから」
「……はい。気遣ってくれてありがとうございます、サンタさん」
ルシアナはサンタにそう礼を言った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お嬢様、いまごろバルシファル様と上手にやっているでしょうか」
長い間温泉に入っていたマリアは、ルシアナの部屋にある姿見で、自分の顔を確認する。
そばかすはだいぶ消えていたが、温泉による効果か、それとも普段から使わせてもらっているルシアナの最下級ポーション使用の化粧水の効果かはよくわからなかった。
それでも、腕を撫で、普段より滑らかな手触りにマリアは満足していた。
その時、扉がノックされた。
「失礼します、お客様に来客でございます」
宿の主人が扉の向こうから言う。
「ルシアナお嬢様でしたら、いまは出掛けていらっしゃいません。伝言でしたら私が承ります」
「いえ、ルシアナ様ではなく、マリア様をお呼びです」
「私を?」
この町はマリアの故郷ではあるが、元の家族は他の町に引っ越し、友達と言える人もこの町にはあまりいない。それに、マリアを見かけた友人が押し掛けてきたのなら、彼女の名前ではなく、アネッタの名前で話を通そうとするはずだ。
一体誰だろうかと訝し気に思いながら、扉を開けると、宿の主人は既に廊下にはいなかった。
普通なら出てくるのを待っているだろうと思ったが、側仕え候補なのでなめられているのだろうと思い、特にそれ以上は気にすることなく、ロビーへと向かう。
すると、ソファに座っている人を見つけた。
マリアからだと後ろ姿しか見えないが、白く長い髪の女性であろうことはわかる。
そして、着ている服はルシアナが着ているものとは異なる白い修道服だった。
(教会の人間? シア様が教会に泊まっているという嘘の辻褄合わせのために呼んだ?)
だとしても、自分に何も言っていないのはおかしいと思いながら、他に待っている人は誰もいないので、マリアはその女性に声をかける。
「私に用とは、修道女様でしょうか?」
そう尋ねると、彼女は徐に立ち上がり、そして振り返る。
彼女は赤い瞳をマリアに向けて笑っていた。
「お久しぶりですね、マリア様――いいえ、アネッタ様」
「……ミレーヌ……様?」
そこにいたのは、かつてのルシアナの友人、フランド男爵家の令嬢ミレーヌの姿だった。