遺跡の調査をさらに続けたが、トールガンド解放軍についての情報はそれ以上は特に何も見つからず、四人で昼食とスコーンを食べ、予定より早くヘップの町に戻ることにした。
冒険者ギルドからの依頼としては、呪法の込められた壁画とトールガンド解放軍の武器庫が見つかっただけでも十分だろうとの考えだ。
証拠品として、剣や槍、蝋燭などを持ち帰り、ヘップの町の冒険者ギルドに提出した後、せっかくの温泉街なので、ゆっくり温泉と観光を楽しもうということになった。
「すみません。一度、教会に戻ってもいいでしょうか? 仕事が終わった報告をしないといけませんので」
冒険者ギルドでの報告前に、ルシアナはバルシファルにそう言った。
仕事が終わったことを、一緒に来た護衛とマリアに伝えておきたかったからだ。
「手続きが終わったら送ろうか?」
「大丈夫です、直ぐに戻りますし、キールさんもいますから」
バルシファルの親切心からの言葉をやんわり断り、ルシアナは少し駆け足で宿に戻る。
どうせバルシファルとお出かけするなら、一度温泉に入って埃などを落としてから合流したいが、これから温泉街の観光を楽しむのに、一人で先に温泉に入るのもどうかと思うので、さっとお湯で体を拭くくらいはしておきたい。
そんなことを思いながら、宿に戻ったルシアナだったが、妙なことに、宿の入り口には誰もおらず、玄関を入ってロビーを見てもやはり人の気配もない。
「妙だな」
キールが言う。
ここは高級宿を謳っているだけあり、警備は万全とは言わないまでも、少なくとも入り口には常に人が配置されていて、不審者の侵入を許さない(ちなみに、現在のルシアナは、先に執事である親戚の修道女として宿の人間に顔見せをしているため、不審者ではない)。
にもかかわらず、ここまで誰にも会わずに中に入ることができるというのは、確かに異常であった。
ただ、花瓶が割れていたり、テーブルが倒れていたり、カーペットが血で汚れていたりという争った形跡のようなものは一切なく、まるで忽然と人だけが消えたかのような不気味さだけが漂っている。
廊下を歩くたびに不安だけが募っていき、次第にその足が駆け足になった。
「マリア!」
ルシアナが自分が使っていた部屋を開けた。
しかし、そこにあるのは綺麗に整えられたベッドと、ルシアナとマリアの荷物。
そして、少し湿ったタオルだけだった。
また温泉に行っているのだろうか? と思ったその時だった。
「お嬢様、こっちに来てくれ!」
廊下からキールの声が聞こえた。
キールがルシアナを呼ぶということは危険なことではないが、しかし切羽詰まった状況なのも間違いない。廊下に飛び出すと、隣の護衛たちが使っている部屋の扉が開いていた。
「キールさん、どうしたんで――これはっ!?」
部屋の中はルシアナの護衛たちが倒れていた。
急いで駆け寄り容体を確認する。
「呪法で眠らされているようですね。解呪します」
ルシアナはそう言って解呪魔法を唱える。
呪法は直ぐに解けたが、しかし呪法による効果が残っている。
放っておけば数時間で起きるが、無理やり起こせば精神に支障の出るような状況だ。
キールに頼んで床に寝ている彼らを一度ベッドに移し、ボタンを外して少しでも呼吸のしやすい楽な状態にする。
そして、他の部屋を見て回ったところ、護衛だけでなく、宿の従業員たちもまた似たような感じで眠っていた。
だが、マリアだけがどこにも見つからない。
念のため、自室に戻ったとき、ルシアナはテーブルの上に一枚の紙が置かれていることに気が付いた。
「……そんな」
「お嬢様、どうしたんだ?」
「マリアが……誘拐されました。でも……なんで……」
「攫われた原因は? やっぱり身代金か?」
「いえ、目的は復讐です……私と、そしてファル様への」
紙に書かれていた内容はこうだった。
マリアを攫ったのは、スラム街の人身売買組織の人間。
今日の太陽が沈むまでに、街から離れた森の中にある狩猟小屋まで、組織を壊滅させたバルシファルと、そしてその雇い主のルシアナの二人で来るように。
「どういうことだ? なんでお嬢様が狙われてるんだ?」
「どうやら、今回、ファル様を護衛に頼んだことで、私がファル様の依頼主だと賊が勘違いしたのかもしれません」
さすがにそれは無理がある話だとルシアナも思う。
だが、ここでマリアを攫った犯人の考えについて話し合っても何の解決にもならない。
「とりあえず、町の衛兵にいって人数を集めて――」
「そんなことをしたらマリアが殺されてしまいます」
ルシアナはそう言うと、腕輪を外した。
髪の色が灰色から元の金色へと戻る。
「まさか、お嬢様、一人で……いや、バルシファルって男と二人で行くつもりかよ」
「当然です。マリアの無事が最優先です」
「いや、逆だろ。俺もマリアも、お嬢様の部下だぞ。お嬢様の命が最優先に決まってるだろ。安心しろ、俺が一人で解決してやるよ。犯人のいる場所はわかってるんだ、ささっと――」
「出来ると思っていますか? 私の護衛についてきた護衛は、結構な手練れです。キールさんともいい勝負でしょう。そんな彼らが、特に争った様子もなく、眠らされているのですよ?」
その点、バルシファルは問題ないと思う。
呪法については、催眠の呪法が使われている。かなり高度なものだが、洗脳や操作の類の呪法は一切効かないと言うバルシファルの力なら、彼らのように眠ってしまうことはないはずだ。
「ファル様がいたら大丈夫ですよ」
「バルシファルが……本当にそう思っているのか?」
キールが怒っていた。
「あいつは何を考えているかわからない。元王子ってのはさっきお嬢様と話している時に聞いていたが」
「聞いていたのですかっ!?」
「そりゃ聞こえる。でも、俺はあいつを認めない」
「何故ですか?」
バルシファルの実力はキールもわかっているはず。
そして、ただの感情の問題で、彼は他人を評価しないと思い、尋ねた。
キールはルシアナに背を向けて言う。
「俺はお嬢様を救うためなら、命も惜しくないって思っている。マリアも、多分同じ気持ちだ。だが、あの男は違うだろ? 普段なら危険も少ないからきついことは言わないが、今回は違う。そんな状態で奴にお嬢様を任せることはできない」
「大丈夫です、護衛依頼ということにしたら、ファル様は依頼人を守るためなら――」
「それは仕事だから……だろ? そこが根本的に違うって言ってるんだ。悪いが、お嬢様が無理にでも行くって言うなら、俺はここでお嬢様を気絶させてでも王都に連れ帰る」
キールはルシアナの目を見て言った。
「例えお嬢様にどれだけ嫌われようとも、恨まれようとも、ここでお嬢様を止める。お嬢様が俺を止められるとしたら、睡眠魔法でしょうけれど、あれはあくまで睡眠を補助するための魔法。万全な状態で対処すれば眠らされることはないぞ。それとも、訓練しているという護身術で俺を倒してみるか?」
キールはあえて挑発するように言った。
マリアを助けられなかったら、キールのせいだとルシアナが思う。
そういう風に考えを誘導しようとしていることくらい、ルシアナにも理解できた。
ルシアナが落ち込まないように、キールは本当に彼女に嫌われてもいいから彼女を救いたいと思っている。
どれだけ嫌われようとも、恨まれようともというが、自分のためにここまでしてくれる人を嫌ったり恨んだりできるわけがないのに。
「ありがとうございます、キールさん――」
ルシアナはそう言ってキールに抱き着く。
「……お嬢様」
「そして、ごめんなさい」
ルシアナがそう言った直後、キールが倒れた。
倒れるキールをなんとか支えたルシアナのその手には、黒い靄のようなものが纏っていた。