狩猟小屋に近付くにつれ、辺りが闇に包まれていく。太陽が沈むまでまだ時間はあるが、森が深く、太陽の光があまり差し込まない。
何故、こんな場所に狩猟小屋を建てたのか、ルシアナは建築責任者に一時間程説教をしたい気分だった。
「シア、歩きにくくないかい?」
「ええ、採取で森の中を歩くのは慣れていますから」
とルシアナが笑顔で言うも、ドレスで森の中を歩くのはやはり大変だ。とはいえ、相手がルシアナを指定して呼び出している以上、修道服で移動するわけにはいかないし、公爵令嬢が動きやすい冒険者の服で移動するのも間違えている。
バルシファルも、できるだけ歩きやすい道を選んで移動してくれているの助かっているが、それでもなんで貴族はこんなに面倒なのだろうとルシアナは心底思う。
そして、目的の狩猟小屋までもう少しというところで、バルシファルが止まった。
「この先に見張りがいるようだ」
これが普通の戦いであるのなら、見張りを倒してから奥に行きたい。見張りに見つからないように移動しても、後から挟み撃ちされたら苦戦を強いられる。だが、今回の目的は賊の殲滅ではなく、マリアの救出。
まずはマリアが囚われている場所と状況を把握したいため、賊に見つからずに移動したかった。
バルシファルは少し迂回をしようと思い、これまでの(一応道と呼べる)林道から、脇の(道と呼ぶのがためらわれる)獣道へと入ろうかと思ったが、さすがに獣道をルシアナのドレスで行くのは困難そうに思えた。
「ファル様、少し後ろを向いてください」
バルシファルに後ろを向かせたルシアナは、持っていたナイフでスカートの裾を切り、動きやすいように結んだ。
「もう大丈夫です。行きましょう」
貴族である以前に、女性としてはしたない姿であるが、ドレスを理由に行けないなんて言えない。
「やっぱり、君はルシアナではなくシアなんだね」
「え? どういう意味ですか?」
「いや、なんでもないよ」
バルシファルはそう言って前を歩き、ルシアナはその後をついていく。
方向感覚がわからなくなるが、バルシファルは真っすぐ道を進む。
「あの、ファル様もサンタさんみたいに絶対的な方向感覚があったりするんですか?」
「いや、そういうのはサンタに任せているからね。正直、目印が無かったらどこを歩いているかもわからないよ」
「え? 大丈夫なのですか? 目印みたいなものは何もありませんけど」
前に、サンタが見つけた狩人が使うという幹の目印らしきものも見つからない。
「ああ。確かに目で見える目印はないけれど、さっきの見張りの気配をあっちから感じるからね。見張りが二人いるお陰で、正確に今いる位置がわかって助かるよ。一人だと、距離くらいしかわからないから」
さも当たり前のように言うバルシファルに、「気配ってそんな風に正確に感じるものなんですか?」と疑問に思った。
バルシファルは遺跡について調べるときに手に入れていたヘップの町の周辺の地図と、見張りの位置、そして狩猟小屋の位置を思い出し、獣道をさらに逸れる。
ルシアナはますます道がわからなくなるが、狩猟小屋がすでに近いらしく、「ここまで来れば、人の気配が集まっている場所があるから、そこを目指せばいいだけだよ」と当たり前のように言う。
人の気配なんて全く感じないルシアナからしたら、道なき道を進んでいるようにしか思えない。
だから、少し離れた場所に狩猟小屋の裏手が見えたときは奇跡の目撃者になった気分だった。
裏手に一人、無精髭の男が見える。
ルシアナたちにはまだ気付いていないようだ。
「あれが狩猟小屋、窓はない。狩猟小屋の周囲の見張りは四人、中に五人――マリアさんがいるとしたら、中の一人か……」
バルシファルが狩猟小屋を見て言う。
そして、ルシアナもまた状況を確かめていた。
「ファル様、あの見張り……多分……いえ、確実に何かの呪法で操られています」
「わかるのかい?」
「はい、馬車の中では直接見ることができなかったのでわかりませんでしたが、いまなら。私や青年団の皆さんが掛けられていたものと似ています」
「似ていると言っているが、全く同じというわけではないのかい?」
「多分ですが――」
あの呪法の効果は三つだった。
怒りや恨みなどの悪感情の増幅。
仲間意識の確立。
共通の相手に対する敵対心の構築。
「悪感情の増幅が少ないですね。恐らく、呪術者が近くにいます。呪術者が彼らを操りやすいように、悪感情を増幅させず――」
操りやすいようにしている。
ルシアナはそう言おうとして、頭が痛くなる。
何故、自分はそんなことがわかるのだろうかと。
ルシアナは確かに呪法について学んだし、多少は使うこともできる。
だが、昨日、今日初めて見た呪法について、ここまで考察することはできない。
(頭が……痛い……なに、これ)
学んだことがない呪法について知っている。
それは何故か?
(もしかして、私もなの?)
呪法に関わっている人の多くに記憶の混濁が見られる。
もしかしたら、ルシアナもまた記憶を失っているかもしれない。その失っている記憶の中で、呪法について学んでいたのかもしれない。
だが、それを確かめる術が、ルシアナにはなかった。
不安だけが残る。