ルシアナの中にある知らない自分という恐怖。
考えれば考えるほど、自分の中にある見えない何かを掴もうとすればするほど、頭が痛くなっていく。
本当にあるのかどうかもわからない、その何かに向かって手を伸ばすも、掴むのは虚無ばかり。そして、自分の記憶すら信じられなくなっていく。
「シア」
バルシファルに名前を呼ばれ、ルシアナは記憶について考えるのを脇に置く。いま優先するべきは、マリアの救出である。
狩猟小屋には窓も裏口もないので、ここからでは中の様子はわからない。
だが、予め手に入れていた情報によると、狩猟小屋は職人が趣味で作った住居にも使えるログハウスで、部屋が四つある。マリアのいる場所はその部屋のうちの一番奥だと思われる。
そこから二人の気配がして、そのどちらかがマリアなのだろうと思われた。
眠らされている可能性はないのかと尋ねたが、バルシファルが言うには寝ていても気配はわかるらしい。
奥の部屋に行くには最低、二部屋通らないといけないので、正面から乗り込んで助けるのも厄介だ。
賊たちは全員、呪法により操られているといっても、元々人身売買組織の人間であり、拉致や監禁には慣れているのかもしれない。
「離れた場所から呪法の解呪はできるかい?」
「すみません、私の回復魔法は、直接相手に触れられるくらいの距離でないといけません」
直接触れる必要はないのだが、かなり近くないと使えないので、ここからでは使えない。
「なら、前にモーズ侯爵家でしたように、眠らせることはできるかい?」
「あ、やっぱり気付いていたんですか?」
あの時、ルシアナは護衛も一緒に眠らせたので結構怒られたのを覚えている。
「睡眠補助魔法も同じです。呪法でも眠らせることはできますが、そちらは本当に直接触れないといけませんからさらに使い勝手が悪いですね」
攻撃や相手の無力化にはとことん役に立たないと、ルシアナは少し落ち込む。
「心配ないよ。じゃあ、ちょっと――」
そう言ったとき、バルシファルが駆けていく。
普通に歩くのも困難な茂みの中を、まるで整備された街道を走っている駿馬のような速度であっという間に狩猟小屋の裏側に行く。さすがに物音でバルシファルに気付いたが、見張りの男が武器を構えて叫ぶ前に、一人を鞘に収めたままの剣で殴り倒し、さらに顎を蹴り上げて気絶させる。
あまりの一瞬の出来事に、ルシアナが声を上げる暇もなかった。
魔法で眠らせる提案をする必要がなかったのではないかと思うほどの手際の良さだ。
睡眠魔法を使うメリットがあるとすれば、賊たちが痛い思いをしないで済んだことだろう。
ルシアナもできるだけ物音を立てないように狩猟小屋の裏に移動した。
気絶している二人の男の容態を確認するが、後遺症の残るような怪我は一切ない。
「呪法の気配がまだ残っていますね。青年団の方は気絶したら治っていたのですが――アンチカーズ」
ルシアナは小声で解呪魔法を唱える。
「これで呪いは――え?」
「どうしたんだ、シア」
「解呪には成功したのですが、すぐに呪法が」
呪いは一瞬で消えたのだが、直ぐに同じ呪いが男に降り注ぐ。
その呪いの出所は、隣で眠っている男からだった。
「どういうことだ?」
「彼らには特定の相手への敵対心を繋げる呪法が込められています。呪法を解呪しても、その繋がりは消えず、そこを通じて呪法が再発する仕組みになっているんです」
気絶しても呪法が消えないのも、それが原因なのだとルシアナは推測した。
「どうすればいいんだ?」
「一番いいのは、呪法を使った人間に解かせることですね。それが無理なら、全員気絶させるか、全員同時に解呪するかすればいいですね」
「なら、彼らは縛っておくか」
とバルシファルは持っていた縄を取りだして、ルシアナに縛るように頼む。
そして、ルシアナが縛り終えたとき――
「え?」
目の前に他の人達が気絶させられた状態で運ばれていく。
狩猟小屋の周囲を見張っていた男たちだ。
全員、後ろから一撃で倒されているようだった。
「ファル様って、本当に強いですね。これ、トールガンド王国の王宮剣術なんですか?」
「いや、トールガンド王国にいたのは五歳までだからね。トラリア王国の剣術だよ」
バルシファルはそう言うと、ルシアナと一緒に追加された男たちを縄で縛った。
一応、試しに見張り全員同時に解呪をするが、すぐに元に戻ってしまう。
「呪術師はこの中にいないようだね」
「はい」
さて、これからどうすればいいかとルシアナは思う。
バルシファルが言うには、狩猟小屋の中にはまだ敵がいる。
そして、マリアもまた。
入り口は一つのみ。
正面から入っても、マリアが人質に取られたら動けなくなる。
「とすると、中か――シア、これはひとつ提案なのだが」
バルシファルの提案に、ルシアナは一瞬耳を疑う。
それは、ルシアナにとって非常に危険な提案だった。
というのも、バルシファルの提案は、ルシアナに囮になれというものだったからだ。
だが、嬉しかった。
仲間として認めてくれていることがわかったから。
「はい、任せてください」
ルシアナは中にいる人に気付かれないように言った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ルシアナは狩猟小屋の正面に移動し、少し離れた場所で大きく息を吸い、声高らかに宣言する。
「ヴォーカス公爵令嬢、ルシアナ・マクラスが参りましたわよ! 粗野で粗暴な賊共は淑女の出迎えもできないのかしら!」
ルシアナの宣言に、狩猟小屋の扉が開き、中から男たちが出てくる。
「なんだっ!? 見張りの連中は何をしていたっ!?」
「あれが公爵令嬢か?」
「間違いねぇ。公爵令嬢だ! 貰った絵姿とそっくりだ」
出てきた男は三人だった。
中にいるのは、呪術師とマリアの二人ということになる。
「バルシファルという男はどこだ?」
「見張りをやっつけたのもそいつかっ!」
どうやら、見張り達は目の前のルシアナよりも、見張りをやっつけたバルシファルを警戒しているらしい。
当然の反応だ。
だが――
「あら? これが見張りでしたの?」
ルシアナはそう言って持っていた縄を引っ張ると、茂みの中から気絶した男が一人引きずり出される。
ルシアナはその男の顔を踏みつけて言う。
「私の魔法で一瞬で眠ってしまいましたが、こんな男に見張りをやらせるなんて、悪党というのも人材不足ですのね。まぁ、どのみちこの男は公爵令嬢の側仕えを拉致した罪で死罪ですが、ここで殺しておきますか」
ルシアナはそう言ってドレスの下からナイフを取り出す。
「やめろっ! 行くぞお前らっ!」
「その女を捕らえろ!」
「傷つけるなって言われてたが、関係ねぇ! 痛い目見せてやれ!」
男たち三人がルシアナに向かって駆けだす。
問題はここからだ。
男たち三人が走れば、当然、中にいるもう一人も気付く。
そうすれば、その男は様子を見るために、入り口が見える場所に移動せざるを得ない。
そして、移動すれば当然、マリアとの距離も開く。
屋根の上で隠れていたバルシファルがさっと入り口に入り、中にいる残りの一人に目掛けて突入した。