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第101話

「その通りだよ。モーズ侯爵が死んだのは、彼自身のせいでもある、シアのせいでもあり、そして君のせいでもあるんだ、アネッタ嬢」


 バルシファルが突然そんなことを言い出した。

 モーズ侯爵が自殺ではないとわかっているのは彼自身だし、いまのマリアを刺激してはいけないことくらい、バルシファルでもわかっているはずなのに。


「わかっています。だから私は――」

「自らの死を選ぶのかね? それで遺された者がどんな気持ちになるか? それは君自身が一番よくわかっているだろう」


 その瞬間、マリアの力が弱まった。

 モーズ侯爵が自殺したとき、遺されたマリアがどんな気持ちになったのか思い出したのだろう。


「モーズ侯爵は自らの死を選ぶことで、罪を償い、多くの者を救おうとした。寄子の貴族たち、侯爵家に仕える者、そして娘である君を。だが、君は自らの死で何を守る?」


 バルシファルの問いに、マリアは答えられない。

 わかっているのだ。

 彼女が死んでも何も変わらないことを。


「だったら、私はどうしたら――」

「生きるんだ」


 バルシファルは言った。


「生きるんだ。死ぬまで生きる。それしかできないんだよ。それが責任というものなんだ」

「そんなのっ! ……辛すぎます」


 マリアはそう言って泣き崩れた。

 ルシアナは間違えていたと悟った。

 ルシアナもモーズ侯爵も、マリアには罪がない。全ての罪は自分にあると彼女に言い聞かせ、マリアを罪の意識から遠ざけようと思っていた。

 だが、それはマリアのためを思ってのことであっても、同時に、マリアの強さを信じていないセリフでもあった。


(……人が光の道を歩こうとするのなら、闇を引きずって歩きなさい……修道院長……そういうことなんですね)


 修道院長にその言葉を教わってから前世で三年、そして現世で六年経って、ようやくその言葉の意味の一端を掴んだ気がした……その時だった。

 ルシアナの意識が一気に遠のく。


「お嬢様っ!」


 マリアが叫ぶ。

 あ、これはダメな奴だと思った。

 この感覚は、前世の最期に似ている。

 このまま死んだら、マリアが責任を感じて苦しむことになるだろう。


(……失敗しました……回復魔法を使うことはできません)


 魔法を使うには高い集中力が必要だ。

 意識が朦朧としているルシアナには魔力を練って出血を最低限に抑えることしかできない。


「マリア……ごめん……」


 自分が死んだら、マリアが苦しむことになる。

 そんなことわかっていたのに、死んでしまうことに対する謝罪を告げる。

 でも、きっと大丈夫だろうとルシアナは思った。

 バルシファルなら、きっと自分が死んでもマリアを支えてくれる。

 そう思って――


「死なせません!」


 マリアがルシアナの傷口に手を当てる。

 だが、今更止血したところでダメだということは――


「ヒール!」

「(え?)」


 マリアが唱えたのは、初歩の回復魔法だった。


「絶対に死なせません! ヒール!」


 淡い光がルシアナを包み込む。

 だが、マリアの回復魔法では今のルシアナを治療することができない。

 ルシアナは最後の力を振り絞り、マリアの手に自分の手を重ねる。

 そして、ルシアナは彼女に最後の希望を託した。




 翌朝。

 公爵家の馬車が冒険者の護衛を伴い出発する。

 その馬車の中が空であることを知っているのは、冒険者の中でもバルシファルただ一人である。


「それにしても、今日のお嬢様はやけに静かですね、ファル様。昨日のことが応えたんですかね?」


 宿の前でサンタが軽口を叩いて笑っているが、バルシファルの表情は優れない。

 中に誰もいないことが知られたら、色々と問題になる。

 ワーグナーが心配そうに馬車の中を覗こうとするが、馬車の扉にはめ込まれたガラスは無情にも光を通さず、中の様子を見せようとはしない。

 そして、そんな冒険者と馬車の光景を、宿の窓ガラスを通してキールは見ていた。


「馬車が出発するぞ」


 彼がそう言うと、


「……はい」


 目を真っ赤に腫らしたマリアがそう言って、そしてその膝の上で――


「……うぅん」


 ルシアナが眠っていた。

 毎朝五時に目を覚ますルシアナにしては珍しい寝坊だった。

 昨日の夜、ルシアナとマリアは一日中話し合った。

 あの時、ルシアナは自分が持っていた全ての魔力と術式をマリアに託した。

 かつて、マリアンヌを天に導くためにアネッタに術式を授けたときと同じ方法で。

 マリアはその時のことを思い出し、彼女から上級回復魔法を使うための魔力と術式を授かった。

 膨大な魔力とそれを制御するための術式――回復魔法初心者のマリアには扱いが非常に厳しい、恐らく、十回挑戦したら九回は失敗するであろうそれを、奇跡的に行使することに成功した。

 結果、ルシアナの命は救われたのだが、マリアの腕の未熟さのせいで、お腹の傷跡が少し残り、さらに大量の出血のせいで体力も少なく、宿に戻ってから二人して同じベッドで眠ってしまった。

 馬車旅に耐えられないということもあり、結果、空の馬車だけが出発することになった。

 ちなみに、全ての事情を知っているのは、ルシアナとマリア、キール、バルシファルの四人とルシアナの護衛だけだ。

 このことが公になれば、ルシアナを刺したマリア、守り切れなかったキールや護衛達、それに勝手な行動をしたルシアナ自身に対し、厳しい罰が下るからだ。


「キールさん、私……今回の件、ずっと抱えて生きていきます」

「忘れた方が楽だと思うぞ?」

「いえ、忘れません、絶対に」

「……そうか」


 マリアの膝の上で幸せに眠るルシアナを見て、キールは小さく言ったのだった。

 とりあえず、彼女が目を覚ましたら、無理やり自分を眠らせたことに対して、文句を言おうと心に誓いながら。

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