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第102話

 ルシアナが目を覚ましたのは、馬車が出発して三時間後――昼前のことだった。


「……ここは」


 未だに頭がぼーっとして、意識がはっきりしない。

 だが、失血に加え、魔力枯渇もひどい。


「お嬢様! 目を覚ましたんですかっ!?」


 マリアが持っていたタオルを落とし、ルシアナに駆け寄る。

 その目には涙が潤んでいる。

 それを見て、ルシアナは昨日のことを思い出す。

 帰っている時のことは覚えている。

 バルシファルに抱えられて帰った。

 本当ならルシアナにとって、歓喜で震えるべきシチュエーションだったけれどあの時は魔力枯渇で倒れそうなマリアのことが心配でそれどころじゃなかった。


「マリアも無事でよかった。ありがとう、私を助けてくれて」

「違います。お嬢様が私の心を救ってくれたんです」

「ううん、救われているのは私の……って、このままだとずっと繰り返しになっちゃうわね」


 ルシアナがそう言うと、マリアもくすっと笑う。


「そうですね、昨日もお互い謝り合い続けて、バルシファル様に呆れられましたよね」

「え? そんなことありましたっけ!?」


 記憶を消された――のではなく、普通に意識が朦朧としている時のことだったので、覚えていないだけのようだ。

 記憶を消されたといえば、マリアは自分が攫われた記憶を一切持っていなかった。

 宿で休んでいたとき、宿の主人が来客を告げ、ロビーに向かったところまでは覚えているのだが、気付けば狩猟小屋でルシアナを刺していたらしい。

 護衛たちも、宿の人間も自分が眠らされていたことすら気付いていなかったようだ。

 宿の主人がマリアを呼びにきたことを覚えていないことから、全員気付かないうちに眠らされたのではなく、眠らされる少し前からの記憶を消されたと見た方がいいだろう。


「記憶を消す呪法があるのなら、消された記憶を回復させる魔法を開発する必要がありますね」

「お嬢様、魔法の開発なんてできるんですか?」

「私一人では難しいですが、魔法開発が得意な人に心当たりがあります。機会があれば相談に行こうと思います」


 その人物とは、ファインロード修道院の修道院長だ。

 彼女は結構変わった魔法を作っては、ルシアナの前で披露していた。

 この世界では会ったことはないけれど、事情を話せばきっと力になってくれると、ルシアナは確信していた。

 ただ、そのファインロード修道院は王都からかなり離れている。

 直線距離だけでいっても遠いのに、街道も整備されておらず、いくつもの村を迂回して行く必要があるので、二泊三日や三泊四日の旅行気分で行けるような距離ではない。

 悪役令嬢の我儘で出掛けられるだろうか?


「そういえば、バルシファル様から伝言を預かっています」

「伝言?」

「これを預けるから、青年団の方を助けてほしいそうです」


 マリアが置いたのは、ルシアナがマリアを助ける報酬としてバルシファルに預けたお金だった。

 だが、明らかに袋の数が増えている。


「中には銀貨3000枚入っているそうです」


 バルシファルに報酬として渡した額の倍額になっている。

 正直、銀貨1500枚の半分以上を金貨にして運ぶだけでも大変だったのに、バルシファルが用意したのは全部銀貨だった。ちなみに、銀貨1500枚の重さは、ルシアナの体重とほとんど変わらなかったりする。


「それで、キールさん。例の物、調べていただけましたか?」

「ああ、しっかり調べたよ」


 キールは纏めた書類をルシアナに渡した。

 ルシアナはその書類を見て、不敵な笑みを浮かべる。

 その笑みは、マリアがよく本から知識を得て語ってみせる悪役令嬢そのものだと、キールは思った。




 ルシアナは新しいドレスに着替え、宿の人に用意してもらった馬車に乗り、町長の家へと向かう。

 宿の人間は、帰ったはずのルシアナがまだいたことにかなり驚いていたが、


「あら、私がいることが何か問題かしら? ここに私がいる。それがすべてですわ!」


 と言ったら、それ以上は何も言われなかった。

 悪役令嬢って便利だなと、ルシアナはどこか他人事のように思った。

 そして、ルシアナは応接室に通された。


「これはこれは、ルシアナ様。もうお帰りになられたと聞きましたが――」

「ええ、そのつもりだったんですけれど、私に対し不埒な行いをした輩の処分を直接伺おうと思いまして」


 ルシアナは扇子で顔を半分隠して町長に言った。


「はい、今回は前例に照らし、鉱山で働かせることになります。あそこは年中人手不足ですからな。もっとも過酷な環境を用意していますので、死罪よりも重い罪と言えるでしょう」

「あら? ということはキッフェル鉱山で働きますのね」


 この国の刑罰は三種類ある。

 死刑、懲役刑、罰金刑だ。

 懲役刑となった罪人は国の保有する施設で働くことになる。キッフェル鉱山は国が保有する鉱山のうちで、この町から最も近い鉱山である。


「いえ、キッフェル鉱山ではなく、フラシ鉱山ですね」

「フラシ鉱山? あら? 国が保有する鉱山でそんな場所はあったかしら?」

「私の知人が経営する鉱山です」

「ということは、彼らは罰金刑なのかしら? 私を襲って死罪でないだけでも腹立たしいですのに、罰金刑なのですかっ!」

「え……えぇ、公爵家の方には伝えたと思いますが」

「聞いておりませんわ! 罰金刑ということは、罰金を払えば罪を償って自由になるということではありませんか」

「いえ、そのようなことはありません! 家令! 説明しろ!」


 町長がそう言うと、傍に控えていた家令が一歩前に出て、説明する。


「彼らの罰金は一人銀貨1000枚、主犯格の男には銀貨2000枚を科しております。鉱山での年給は銀貨50枚を想定しておりますが、食事や住居、装備の提供により実質銀貨30枚。つまり、銀貨1000枚の罪人では30年以上働かないといけません。鉱山夫の平均寿命は五十歳程度なので、文字通り死ぬまで働くことになります」

「なるほど――確かにそれなら懲役刑よりも重い罪と言えますわね」


 そう言ってルシアナは満足そうに笑った。

 釣られて町長も笑う。


「ならば、銀貨20800枚払っていただこうかしら?」

「え?」


 町長の顔が笑顔のまま固まる。


「な……どういうことでしょうか?」

「あら、あなたは町を治める者でありながら、旧王国法百三十七条を知りませんの?」


 町長はどうやら知らないらしい。

 家令を向く。

 すると、家令は顔を青くして言う。


「昔の法律ですね。まだトラリア王国で奴隷が扱われていたとき、貴族が罪人を捕らえて奴隷としたとき、奴隷の売値の八割を貴族に支払わなければいけないという法律です」

「待ってください、ルシアナ様。それはこの国に奴隷があった時の話です! それに、彼らは奴隷ではなく、罰金刑を受けた罪人として――」

「王国法百六十三条」


 ルシアナが町長の言葉を遮るように言う。

 やはり、町長は法律について詳しくないらしい。

 だが、家令は旧王国法の話が出た時点で気付いていた。


「奴隷制度が廃止されたときに作られた法律です。簡単に申しますと、罰金刑の罪人の処遇に関するもので、特別な記載がない限り、旧王国法の犯罪奴隷と同じ扱いにするというものです」


 家令が冷や汗を流しながら説明をする。


「つまり、どういうことだ?」

「旦那様が罪人をフラシ鉱山に輸送した時点で、奴隷をフラシ鉱山に売った時と同じ扱いになり、フラシ鉱山の所有者には、ルシアナ様に銀貨20800枚を支払う義務が発生します……もっとも、罪人を捕らえる貴族は現在はほとんどが騎士階級の人間で、そちらの場合は別の法律が適用されるため、今回のような処置が行われたのは数える程しかありませんが――」


 数える程しかないが、しかし、実例がある。

 ヘップの町で罪人を捕らえてきたのは衛兵がほとんどだったので、町長は知らなかったのだ。

 ちなみに、ルシアナがキールに調べさせた資料では、町長や鉱山の管理者に、銀貨20800枚を支払う能力はないそうだ。

 払えてもせいぜい銀貨2000枚といったところだろう。


「あら? 払えないというのかしら? 貴族への支払いの義務を果たさない人間がどのような処遇になるか、旧王国法を知らないあなたでもご存知なのでは?」


 ルシアナの凄みに、町長は涙目になっていた。


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