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第107話

「お嬢様、お寛ぎのところ申し訳ありません。お嬢様が領主町にいらっしゃる間の警備の確認を致します」

「お嬢様、御洋服を用意しました。就寝の時間まではこちらをお召しください」

「お嬢様に挨拶をしたいと、テッケト子爵がいらっしゃっています」


 部屋で休めと言われたルシアナだが、次から次にやってくる使用人たちの相手に休まる暇がない。


「警備なんて勝手にやってください! 私には関係のないことです! 洋服だって私が選びます。子爵? 興味がないわ、帰ってもらって!」


 と、こうして悪役令嬢ぶりを発揮しなくてはいけないからだ。

 領主町での悪評は、将来の公爵家追放に繋がるからだ。

 だが――


「お嬢様が我儘を仰ると、カイト坊ちゃまが困りますな」


 その様子を見ていたセバスチャンがぼそっと言う。

 すると、ルシアナは黙って頷く。

 ルシアナは別にカイトの事は好きではない。

 だが、前世では彼にかなり迷惑を掛けたのは事実である。

 そのことを考えると、こちらでも迷惑を掛けるのは憚られた。


「……今日だけですわよ。本当はゆっくりしたかったのですが仕方ありませんわね」


 ルシアナはそう言うと、女性の使用人を残して、彼女たちから警備の状況を聞きながら着替える。

 そして、テッケト子爵との会談も滞りなく終わらせた――が、近いとはいえ馬車旅の疲れも抜けていない状況での仕事に疲労がたまっていく。

 今度こそ少し休憩しようと部屋に戻ったら、今度は机の上に書類が山積みになっていた。


「セバスチャン……これは?」

「領内の資料です。明日以降、カイト坊ちゃまのお手伝いをしていただくのでしたら、こちらに目を通してください」

「なんで私が――」

「それをしてくださらないとカイト坊ちゃまが困りますな」


 そのセバスチャンの言葉に、ルシアナは疲れた身体に鞭をうち、書類の確認に移った。

 幸い、途中、本当に限界を迎えそうになったときにはセバスチャンが休憩を入れてくれて、美味しい紅茶とスコーンを用意してくれたため、倒れずに書類の確認を終えた。

 ルシアナが先ほどの貴族との会談で精神的に疲れていることを見越して、食事は、キールとマリアと三人で食べてもいいことになったのだが――キールが死んでいた。


「キール、大丈夫ですか? 顔が真っ白で――」

「それ以上はお控え下さい。お嬢様を心配させたことがセバスチャンに知られたら怒られてしまいます」


 キールが小声で言い、近くに置いてあった水を飲む。指を洗うための水だとはわかっているだろうが、コップの水では足りないと思ったのだろう。もっとも、それだけ大量の水を飲んだところで、顔色が良くなっているとは思えないが。

 どうやら、ルシアナが子爵との会談や資料の確認をしている間に、キールはセバスチャンにしごかれていたらしい。

 少し可哀そうに思ったが、考えてみれば、セバスチャンはキールをしごきながらも、ルシアナの様子を確認しては適切なタイミングで紅茶を出したり、他の使用人たちに指示も出していた。


「……さすがはスーパー執事ですわね」

「お嬢様も私があのような執事になったら助かりますか?」


 キールが尋ねた。

 キールがセバスチャンのようになったところを想像してみるが、まったくイメージできない。

 ルシアナにとって、絶対に逆らえない相手といえば前侍従長のステラだったが、どうやらキールがセバスチャンに持つ印象はそれと同じらしい。


「私は普段のキールの方が慣れていますし。キールがセバスチャンみたいになったら、私の気が休まらないとおもいます」

「そうか……だったら、別に無理して勉強をしなくてもいいか」

「キールが無理をしないと思っても、セバスチャンの教育から逃げられると思いますか?」

「うっ……確かに難しい」

「まぁ、どうしても嫌だというのなら、執事の仕事ではなく、食事のマナーを勉強するのはどうでしょう?」

「食事のマナー? なんで今更」

「それは、いくら疲れているからといって、無意識にフィンガーボウルの水を飲むのはダメだからですよ」


 とルシアナが意地悪っぽく言うと、キールはさっき飲んだ水が指を洗うための水であることに気付いた。

 普段のキールなら絶対にしないようなミスに、本当に疲れていたんだなと思う。

 これから料理を運んでくる使用人に気付かれないように、グラスの水をフィンガーボウルの中に注いだ。


「申し訳ありません」

「知ってました? 実はこのフィンガーボウルの水、レモンが入っていて、普通の水よりも美味しいんですよ」

「あ、そういえば確かに美味しかったような」

「実は私も子供の頃、みんなの目を盗んでフィンガーボウルの水を飲んでから、グラスの水をこうやって入れていたんです。でも、そのことをお父様に話したら、全員気付いていたみたいですけどね」


 とルシアナは過去を懐かしむように言った。

 その時、ちょうど料理が運ばれてきた。ただし、ルシアナの分だけだ。

 一緒に食事と言ってはいたが、あくまで同じ空間というだけで、使用人と公爵令嬢が同じ席で食事をすることは、ここでは許されない。

 別邸だと、料理を部屋に持ってこさせて、こっそりマリアとキールと三人で食べることもできたのだが。


「マリアはどうでした? 今日は邸内の侍従たちと一緒に仕事をしたのですよね?」

「とても質が高いことに驚いています……侯爵家のメイドたちよりも遥かに上ですね」


 後半は外に聞こえないように小声になっていた。


「それに、この料理も見たところ素晴らしいです。別邸の料理長も質が高いのですが――」

「まぁ、本邸の料理長は元宮廷料理の副料理長でしたからね。料理長と喧嘩して宮廷で働けなくなったので公爵家で働くことになりましたが、実力は本物ですわよ」

「宮廷料理人をクビになった方って、そんな方を雇って、王家との軋轢の原因にならないのですか?」

「心配いりいません。彼を紹介したのは陛下だそうなので。お父様と陛下は昔から仲が良かったみたいですし――だからマリアのことも――ね」

「……あ」


 モーズ侯爵家のアネッタを死罪としながらも、マリアと名前を変えてアーノル公爵の使用人として預けたのも陛下である。信頼し合える関係でなければ、そんな特別な措置を行えるはずがない。


「まぁ、貴族のトップと王家のトップが蜜月な関係を築けている間は国も安定できますし、いいことですよ」


 ルシアナはそう言って、早々に食事を終えると、部屋に戻った。

 ルシアナが早く部屋に戻らないと、マリアとキールの食事がそれだけ遅くなるからだ。


「はぁ、本当に窮屈ですね……」


 前世では、このくらいの窮屈さは普通だと思っていた。

 料理は一人で食べるものだし、着替えは使用人が用意するものだと思っていた。何より、王族や貴族以外の生活に魅力なんて無いと信じ切っていた。


「……ファル様、あなたも、もしかしたらこんな気持ちで冒険者になられたのでしょうか」


 元トールガンド王国第一王子であった彼が、現在は一人の冒険者として国中を動き回っている。

 そんな彼のことが羨ましかった。

 だが、ルシアナは立ち上がって言う。


「くじけてはいけません、ルシアナ。これは前世の罪滅ぼしです。少しでもお兄様の役に立つようにしないと――」


 とルシアナは決意新たに、資料の再確認をするのだった。


 そして翌日、覚えた資料の内容を頭の中で回転させながら、執務室へと向かうと、昨日と同じ姿でカイトは仕事を続けていた。まるで、一日中そこにいたかのような感じがする。


「お兄様――私の用事ですが――」

「ルシアナ、君にはこの村の開拓事業に関わってもらう。詳しいことはセバスチャンに聞くように。以上だ」


 カイトはそう言って、ルシアナに資料を渡し、彼女を部屋から追い出した。

 部屋の外で、ポツンと渡された資料を見ると、公爵領の外れにある村とその周辺地域に関する資料らしい。

 昨日覚えた資料とはあまり関係の無さそうなその内容に――


(なんなんですっ! もぉぉぉっ!)


 大声で怒鳴りたい気分になった。

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