三日後、ルシアナは公爵家を追い出されるように、領内にある村へと向かった。
公爵邸の中では気が休まらなかったので助かるといえば助かるのだが、しかし、来たばかりのルシアナを直ぐに追い出すというカイトの姿勢は少し気になった。
だが、それだけルシアナのことを嫌っているのだろうと勝手に納得した。
「お嬢様、こちら、料理人が用意した昼食です。本来であれば料理人を含め、使用人と共に向かっていただきたいのですが」
「仕方ありません。お父様がいないのに使用人を勝手に移動させるわけにはいきませんもの」
そう言ってルシアナはセバスチャンからお弁当を受け取る。もっとも、受け取ったのはルシアナではなく、キールであったが。
キールも随分と執事としての姿勢を叩きこまれ、細かいところにまで気が利くようになった。
ルシアナの分とセバスチャンは言っているが、量からして、ルシアナたちと、護衛たち、全員で食べても足りるくらいはあるだろう。
キールが料理を馬車の荷台に入れ、馬車を出発させた。
「お嬢様、それで、これから行く村でのことですが――」
「一昨年から開拓中の村ですね。資料によると、人口は五十人程ですが、新しく村に入ってきた方と、前から村に住んでいる方との間で対立構造ができているようです」
「いえ、そうではなく、村では悪役令嬢として振舞うのか、それとも本気で村の問題に向き合うのかということです」
本当なら、公爵邸で悪役令嬢っぷりを発揮させ、カイトからの評判を下げることで公爵家からの追放に繋がるのだが、結局、今回は何もできなかった。
さらに、ここでルシアナが本気で村の改善に打ち込み、成果を上げれば、これまでの悪役令嬢としての成果が水泡に帰す恐れがある。
マリアがそれを心配して尋ねたのだろう。
「手を抜くことはしません。本気で村の改善に取り組みます」
ルシアナの悪役令嬢プランの一番重要なところは、他人に極力迷惑を掛けない、もしくは迷惑を掛けた場合はそれ以上の対価を渡すことにある。
たとえば、別邸ではマリア以外の使用人に対してはきつくあたったりしないし、護衛依頼を引き受けた冒険者に対して迷惑を掛けたときも報酬の上乗せをしていた。
あくまで、噂として広まる程度にしている。
ここでルシアナが全く村の改善に取り組まず、放置していたら、それは村の人たちへの迷惑になる。
それは彼女のやりたい悪役令嬢プランではない。
仕事として派遣された以上、全力で努力をする。
「ですが、そうしたら――」
「もちろん、悪役令嬢としてのスタイルは貫きます。そうですね、とりあえず、公爵令嬢である私は何もせず、ただ近くの町の部屋に引きこもって贅沢をしているという形にして、問題は全部シアに任せましょう! 修道服も魔道具も持ってきていますし、修道女という立場であれば村民の相談にも乗りやすいでしょう。むしろ、公爵令嬢を相手にするよりも話しやすいはずです。そして、私は仕事を丸投げした悪いお嬢様という噂もきっと一緒に広まることでしょう」
「……結局、お嬢様が頑張ることには変わりないのですね」
「別に嫌な仕事というわけではありませんから」
窮屈な屋敷での書類仕事よりも気楽でいい。
前世の修道院でも人々の不満は聞いてきた彼女だ。
むしろ得意分野である。
「ということで、協力お願いしますね、皆さん」
馬車の窓を開けていたので、ルシアナとマリアの会話は外にいる護衛たちにも筒抜けである。
悪役令嬢として誰にも迷惑を掛けないという信条の下で行動しているルシアナであったが、一番被害を受けているのは、最近、暗黙の了解としてルシアナの変装と我儘に突き合わされている彼らかもしれない。
「お嬢様、それは――」
「ええ、クリスト様のお導きです」
「……最近、ますますおざなりになってませんか?」
ルシアナの護衛たちには、彼女の行いは全て、未来を予知し、様々な啓示を与えてくれる聖人、クリストの導きによるものだと説明している。
最初の頃は、どういう理由で啓示を受けたか細かく説明してきたが、最近は「クリスト様の導きです」で済ませていた。
聖人の名前を使って好き放題行うのは修道女として褒められた行為ではないのだが、最初に嘘を吐いた理由がアーノルの命を救うためであり、その辻褄のために今もその名を使っているという理由に鑑みてくれたら、クリストも許してくれるだろうとルシアナは勝手に思っていた。
ちなみに、クリストの名前を多用するようになってから、毎年少なくない金額を、クリストにゆかりのある教会に寄付しているのは関係ないとも思っている。
ということで、ルシアナたちは近くの町の一番いい宿に泊まり、最低限の護衛を残し、修道女姿になって徒歩で村を目指すことにした。
「そういえば、この姿でマリアと一緒に歩くのは珍しいですね」
「はい。でも、お嬢様、本当に私がお嬢様の代理人でよろしいのでしょうか?」
「もちろんです。マリアを除いてこの大役は任せられません」
マリアはルシアナによって無理やり派遣された公爵令嬢代理という立場である。
同行者はマリア以外にも、キールを含めた護衛三人が一緒についてきているが、貴族としての立ち振る舞いを知っているのは彼女だけだった。
それがわかっているので、マリアはこれ以上は何も言わず、早急の問題について考えることにした。
「そういえば、村人たちの対立の原因っていったい何なのでしょう?」
「あぁ、えっと、新しい村民が加わることになったとき、親交を深めるため、全員で演劇をすることになったのですが、その配役で揉めたそうですね」
「配役ですか……もしかして、新しい村民に悪い役ばかり与えたとか?」
「いえ、そうではなく、聖女役の女性の髪にカツラを付けることになったのですが、金色にするか、灰色にするかで揉めたそうです。それが原因だそうで」
「髪の色で喧嘩って、子供かよ」
とキールが呆れるように言う。
しかし、争いのきっかけというのはどこにでもあるとルシアナは思う。
例えば、見た目も味もほとんど変わらないけれど、丸いスコーンと三角のスコーンを用意して、どちらが美味しいか? そんなことで喧嘩になることだってあり得るのだ。
そして、そういうキッカケが些細である問題こそ、実は解決が難しかったりする。
本来、こういう争いは、その原因さえ取り除けば解決するものなのだが、些細なキッカケで発展した争いというものは、いまや原因を取り除いても争いが解決しなくなってしまうからだ。
まずはお互いの細かい要望を聞かないといけない。
村が見えてきた。
森に近い村で、既に近くの畑は三圃制を取り入れている。
村民は狩りが得意なようで、近くの森で仕留めた鞣した獣の皮などが特産品として領主町に運ばれているらしい。
そして、村の入り口に、多くの人が見えた。
どうやら、ルシアナを出迎えるため、村民全員で出迎えるようだ。
徒歩で来てしまったため、かなり待たせているだろう。
ここからだと村民の顔はよく見えないが、村民たちが見事に二組に分かれている。
これは対立の根が深そうだ。
「……お嬢様、あれ……」
「え?」
キールが指さす方向。
そこにいたのは、一匹の灰色の犬だった。
しかし、どこかで見た覚えがある。
「お嬢様、あちらの方々ですが――私は見覚えがあります」
マリアが指さしたのは右のほうにいる男たちだ。
ルシアナよりも視力のいいマリアは、男たちに見覚えがあると言った。
もしかしたら、元モーズ侯爵領の住民だろうか?
そんな風に思いながら、近付いていくと、村民たちも何やら騒ぎ出した。
そして、両方の中から一名ずつ、そして中央にいた犬が一匹、こちらに向かって走ってきて言った。
「聖女様!」
「シアさん!」
「「何故こちらに!?」」
そこにいたのは、森の民の族長と、青年団の団長だった。
そして、犬にしか見えない森の民の神獣が、嬉しそうにルシアナに向かって尻尾を振っていた。
「ワフっ!」