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第112話

 記憶回復ポーションの苦味を消す方法を探していたルシアナだったが、あっという間に暗礁に乗り上げてしまった。

 当然であるが、村民たちが知っている苦味を消す方法というのは、野菜の苦味を消す方法くらいで、薬の苦味を消す方法はわからなかった。

 記憶を消し去る薬を独自に開発していた森の民ならもしかしたらと思ったのだが、その製法も古くから伝わるものであり、今の森の民ではそれ以外の薬は何一つ作れないのだとか。


「困りました。苦い薬で我慢するしかなさそうです」

「公爵領で薬作りに詳しい人はいないのですか?」


 マリアが尋ねる。

 確かに、公爵領でも薬作りに詳しい人は多い。

 だが、薬師の仕事は効果の出る薬を作ることで、その苦みを抑えることは二の次、三の次、そもそも薬は苦い物という考えで動いている。

 ルシアナも、ファインロード修道院で修道院長から良薬は苦いものであると教わってきた。

 苦味を抑える方法を知っている人がいるかどうか。


「苦いといえば、子供用の熱冷ましの薬って、物凄く苦かったですよね。今回の記憶回復ポーションよりはマシでしたが」

「あぁ、そういえば私も子供の頃飲みましたが……あれ?」


 確かに、熱冷ましの薬は苦かった記憶がある。

 ただ、ある飲み物と一緒に飲んだら、苦味が和らいだ記憶があった。

 だが、ルシアナは思い出せなかった。

 何しろ、その苦味を和らげる薬を飲んだのは、子供用の熱冷まし薬を飲んだときで、五歳くらいの出来事。

 前世の期間も含めたら、二十年以上も前の話だ。


「セバスチャン様ならご存知なのでは?」

「いえ、私は子供の頃から王都の別邸に住んでいましたから、その頃から私の側にいて、知っているとすれば――」


 その時、ルシアナの脳裏によぎったのは、元侍従長のステラであった。

 彼女はルシアナが生まれた時から、王都の別邸で侍従たちを取りまとめており、そしてルシアナの世話係でもあった。当然、ルシアナが病気になったときも看病をしていたはずである。

 彼女なら、ルシアナがどんな薬を飲んだのかも覚えているはずであるが――


「でも、ルシアナ様。さすがに侍従長の実家は遠いですよね?」

「いえ……彼女の家は公爵領内ですし、ここから馬車で数刻の距離です」

「……行かれるのですか?」

「それしか……ないでしょうね」


 別にルシアナもマリアも、ステラが嫌いというわけではない。

 ただ、ルシアナの悪役令嬢としての行いの噂が彼女の耳にまで届いていた場合、一体何を言われるかと思うと、恐ろしくあった。

 だが、あの苦い薬を何度も飲む勇気もまたルシアナにはない。

 苦いとは聞いていたが、それでも先ほど話していた熱冷まし薬程度だろうと思っていた。

 だが、記憶回復ポーションの苦味はそれより遥かに酷い。

 実は、記憶回復ポーションを飲んでから一時間以上経過しているのに、ルシアナもマリアもまだその時の苦味が口の中に残っているほどだ。

 一日に二本、三本と飲めば、その苦味で料理を味わうことができなくなる。


「侍従長の実家に行きましょう……マリアは待っていていいですよ」

「いえ、側仕え候補である私がお嬢様を放って、一人で行かせたと知られたら、それこそ侍従長に怒られてしまいます。私も行きます。それに、侍従長にはお世話になりましたから挨拶をしたいですし」


 元々、貴族令嬢として育てられた彼女を、一人前の侍従として育て上げたのはステラであった。

 怖いけれど、それでも好きか嫌いかで言えば好きな人なのだろう。

 それはルシアナも同じ気持ちだった。

 母親代わりとまではいかないまでも、家族に近いくらいには思っている。


「それで、お嬢様。近くの町に、蜂蜜を使ったお菓子が売られているのですが、それを買っていきましょう! 特に他意はなく、お世話になった方へのお礼という感じで」

「そういえば、蜂蜜酒も売っていますね。侍従長はあれでいてお酒が好きなんですよ。手土産の一つくらい持って行かないといけませんね。決して、怒られるのが怖いとかそういう意味ではありません」


 ということで、いまはこの村の村長である族長に、夜まで留守にすることを伝えに行くことにした。

 族長はちょうど社の前で神獣となにやら話していた――傍からみたら、犬と戯れているお爺さんにしか見えないが。

 ルシアナが事情を話すと――


「わふ」


 先に返事したのは神獣だった。


「神獣様。お土産買ってきますね」


 ルシアナはそう言って、神獣の頭を撫でようかと思ったが、族長の前なので自重した。


「いえ、聖女様。神獣様は一緒にお出掛けしたいと仰っています」

「え? 神獣様が一緒に出掛けてもいいのですか? 護り神なんですよね?」

「大丈夫でしょう。神獣様の望みであれば、それを叶えるのが我々森の民の役目です」

「わふ」

「はい、聖女様を是非お守りください」


 どうやら、神獣は「聖女のことは私が守る」と言っているようだ。

 数日前に、護衛を頼んだことを覚えているようだ。


「すみません、神獣様は村を守ってください。私のことはキールが守りますから」

「……わふ」


 神獣様は納得し、頷いた。


「あの婆さんの故郷、この近くなのか。しばらく会ってなかったから懐かしいな」


 キールは嬉しそうに言った。

 護衛として出掛ける準備はできていたため、事情を説明するとすぐに出発することになった。


「キールさんは侍従長に苦手意識はないのですか? というか、婆様って」

「ん? 苦手って、優しい婆様じゃないか。ちょっと口うるさいけれど、俺のこともよく面倒見てくれたぞ? 頑張っていればちゃんと褒めてくれるしな。まぁ、それ以上に怒られたけれどな」


 キールは笑って言う。

 悪いことをしたら怒られる。

 キールが森の民で暮らしていたときは、周囲のほとんどはキールより年上で、悪いことをしたら、しっかり叱ってくれる。それが当たり前のことだったし、むしろ、自分のことを思って怒ってくれる彼らが好きだった。

 だから、キールにとっては、ステラも厳しくも優しい人の一人だった。


「そうですね――私の場合、説教をするのがステラだけでしたから苦手意識が強いだけですね……」

「ですね。私も侍従長……ステラ様が田舎に帰ってからは、お嬢様に虐められている可哀そうな侍従ということになっているせいで、そんな私に同情をする人はいても説教する人はいませんから――」


 ルシアナに同調してマリアを虐めようとした者もいたが、そんな者は『あら、あなた私の玩具を壊そうというの? それなら、あなたも一緒に私の玩具になりなさい』という一言で黙り、マリアに手を出さなくなる。

 結果、マリアも仕事上の注意を受けたり指導を受けることはあったが、厳しく説教されることはなかった。


「そうですね……確かに侍従長はとても優しい人ですね」

「はい。本当に優しい方でした。私が間違っていましたね」


 ルシアナとマリアは、キールの真っすぐの思いに応えるように頷く。


「では、優しかった侍従長のために、蜂蜜菓子を予定より多めに買っていきましょう」

「ええ、私も葡萄酒を追加で買うことにします」


 それでも、やっぱりステラが少し怖い二人であった。


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