神獣が帰ってきた。背中に猿を乗せて。
一体この猿はなんなのだろうと、ルシアナがじっと猿を見ていると、森の民の族長が怪訝に思い、尋ねた。
「聖女様、どうなさったのですか?」
「神獣様の背中に、白い猿が乗っているのですが――って、あれ? 見えていないのですか?」
神獣が見えていないのはいつものことだったが、その上に乗っている猿まで見えていないというのは妙な話だと思った。
もしかして――
「あなたが森の賢者様っ!?」
「ウキっ!」
白い猿が鳴き声を発するが、なんと言っているのか、ルシアナにはわからない。
神獣の言葉の意味がわかる族長に尋ねる。
「あの、族長様。森の賢者様はなんと仰っているのでしょうか?」
「すみません、聖女様。私は森の賢者の言葉の内容の把握はおろか、その声すら聞こえないのです」
「え?」
森の民の族長は、神獣の声は聞こえるが、森の賢者の声は聞こえないという。
言葉の響きだけならば、森の賢者のほうが森の民と相性が良さそうな気がするのに。
「わふ」
「え? あ、はい。背中にいるのが森の賢者だと神獣様が仰っています」
「ウキ!」
「わふ」
「森の賢者は、神獣と停戦し、聖女様に協力するために遥々訪れたと仰っているそうです」
「ウキ!」
「わふ」
「呪法を扱うのは非常に困難であり、また扱い方では死に至る危険もあるものですが――」
「ウキ!」
「わふ」
「え、もう一度お願いします」
「わふ」
「あ、いえ、死に至るようなものは教えられないそうですが協力は惜しまないそうです」
森の賢者が神獣に伝え、神獣が森の民の族長に伝え、森の民の族長がルシアナに伝える。
まるで伝言ゲームのようなやり取り。
いろいろと大変だった。
単純に普通に話すより三倍の時間がかかる上、伝達ミスによる言い間違いや聞き直しも発生する。
これだけならまだマシで、呪法の説明に入ると、専門用語を訳すのに時間がかかる。
例えば、
【呪法というのは、魔力の代わりに生命力を消費し、他者の精神や肉体、または空間に作用する力のことである】
という文章を森の賢者が言ったとして、最終的には、
【呪法は、魔法を使うために必要な魔力を消費する代わりに、生きていくのに必要な力を消費し、他の人の心と身体と土地に効果が発揮する力である】
と言い方が遠回しすぎたり、微妙にニュアンスが違ったりと厄介なことが起きている。
どうも、森の賢者と神獣との間に妙な問題があるらしい。
神獣と森の民の族長の間ではもっと簡単に意思疎通ができるのだとか。
森の賢者の言葉を直接聞くことができる人がいればいいのだが。
「族長さんは、どうやって神獣様の言葉の意味がわかるようになったのですか?」
「それは、神獣様に対する祈りが通じ――」
「わふ」
「え!? そうだったのですかっ!?」
「わふ」
「……あみだくじで決めたそうです。一世代に一人、姿が見えなくても声が聞こえ、その意味を理解してくれる人間――代弁者をあみだくじで選ぶそうです」
その時の森の民の族長の落ち込みっぷりは、ルシアナも見なかったことにしたいと思う程だった。
「(神獣様もあみだくじするんだ……)」
ひとりで地面に線を引いて、あみだくじをしている神獣の姿を想像すると、それもシュールだとルシアナは思った。
「じゃあ、森の賢者様も、その代弁者を選んで定めることはできるのですか? たとえば、私も声が聞こえたり――」
「ウキっ」
「ワフ」
「聖女様は力が強すぎるから、難しいそうです」
「力が強すぎる? 魔力がですか?」
確かにルシアナは自分でも魔力が他人より多いと理解している。
恐らく、それが理由で神獣の言葉を理解できるのだろう――そう思っていた。
だが、それが原因で代弁者になれないというのは意外な話だった。
「ウキ!」
「えっ!?」
突然、森の賢者が神獣の背中から飛び降りると、ルシアナに飛びかかった。
と思った次の瞬間、ルシアナの腕輪が奪われる。
「キャっ!」
ルシアナはそう言って、ローブのフードを深く被る。
髪の色が灰色から金色に戻ってしまったのだ。
「森の賢者様、何を――」
と言ったとき、森の賢者の毛の色が白色から灰色に変わった。
「ウキっ!」
「おぉ、この猿……このお方が森の賢者ですか」
「はい、そうです」
ルシアナが頷く。
どうやら、髪の色を変える魔道具によって姿が見えるようになるのは、神獣だけじゃないようだ。
「おーい、シアさん! 神獣様が帰ってきたって聞いたんだが――」
そう言って青年団の団長が近付いてくると、森の賢者を見つける。
「ん? なんだ、この灰色の猿? シアさんのペットか?」
「ウキっ!」
すると、森の賢者は青年団の団長の足から頭へ、スルスルと登っていく。
そして――
「ウキ」
「なんだ? 声が突然頭に――え? 森の賢者?」
青年団の団長が森の賢者の代弁者に選ばれたみたいだった。
とりあえず、ルシアナはキールが公爵家内で使っている髪の色を変える腕輪を借りてそれを着け、髪を灰色に戻し、森の賢者に再び話をすることとなった。
ルシアナが髪を戻している間に、神獣は外していった髪の色を変える腕輪を嵌め、灰色の毛に戻り、ルシアナ以外にも視認できるようになった。
そして、青年団の団長は笑っていた。
「団長さん、嬉しそうですね」
「そりゃそうですよ、シアさん。俺って、こう、なんつうか、神様的な方に選ばれたってわけですからね。恐らく、俺の中にある神的な力に反応したんだと思うんですよ」
「あぁ……そうですね」
神獣の代弁者があみだくじによるものだとしたら、森の賢者が彼を選んだのは、最初に通りかかったのが人間だったからとかそういう理由だと思うが、ルシアナは空気が読める子なので、そんなことは言わない。
「それに、森の賢者様、とても毛が柔らかくて気持ちいいんですよ」
「そうなのですか? 森の賢者様、少し触らせてもらってもいいですか?」
「ウキ」
「いいそうです。ただし、後で果物を食べさせろって仰ってます」
「スコーンに入れるために持ってきていた干し葡萄でもいいですか?」
「ウキっ!」
「いいそうです」
それなら、十分あるから渡すことができる。
ルシアナは森の賢者から許可を貰い、背中を撫でる。
ふわふわしている。
公爵邸の布団よりも柔らかい。
「ふわ……ふわふわ……」
「ウキ!」
「この毛並み、神獣にも負けないぞって森の賢者様は言ってるぞ」
確かに、神獣ももふもふだが、小さな森の賢者のもふもふはまるでぬいぐるみみたいだと思った。
「わふ」
「え?」
ルシアナが振り返ると、神獣が身体をこすりつけていた。
まるで、自分の毛並みも負けてないだろ! と言っているようだ。
「はい、神獣様の毛も手触りいいですよ」
「ウキ」
「はい、森の賢者様も――どっちもいい気持ちです」
その日、ルシアナは神獣と森の賢者の二つのもふもふを堪能し、結局、呪法については何一つわからなかった。