翌日、開拓村に雄牛が四頭、雌牛が六頭届けられた。
かなりの値段だったが、そこはキールが支払った。
自分を育ててくれた森の民にいつか恩返しがしたいと彼がずっと貯めていた金である。
「まさか、お前の世話になるとはな」
牛の世話をしていたラントがそう言った。
ラントは森の民で育ったキールにとって、兄のような存在であり、森の民の若者の中でも中心的な存在の一人である。
最初、キールが牛の金を払うと言ったとき、ラントを含め、森の民たちは渋った。
自分たちにとって、キールは弟や息子のような存在であり、そんな彼に大金を支払わせるのを渋った。
ただ、キールとしてもそこは受け取ってもらいたかった。
というのも、森の民たちを救ったとき、キールが支払うと約束したお金をルシアナは銅貨一枚すら受け取らなかった。
『キールさんにはこれから私のところで働いてもらうわけですし、恩を返すならそれで十分ですよ。それに、お金には困っていませんから』
最後の言葉に、キールは納得せざるを得ない。
彼は冒険者になって一生懸命お金を稼ぎ、貯めて来たわけであり、そこそこ大金を稼いで来たという自負はあったが、何しろルシアナは公爵令嬢である。
出入りの業者と話をしたことがあるのだが、ルシアナは貴族の中でも倹約家の方ではあるが、それでも貴族としての体面を保つために使うお金は決して安い物ではなく、たとえば彼女が公爵家で着ていたドレス一着で、キールが支払う予定だった金と同じ価値がある。
彼女が本気で着飾ろうと思えば、装飾品を買うことになるのだが、その時に買うであろう髪飾り一つで、キールの生涯賃金を遥かに凌駕する額になったりする。
公爵家とは、それだけお金があるのだ。
ここで無理に受け取ってもらうのは、キールの自己満足に過ぎないし、それで返せる恩ではない。
ルシアナがいつか公爵家を追放され、普通の冒険者になったときに使えばいい。
そう思っていた。
だが、またも誤算ができた。
ルシアナは冒険者としても優秀だった。
ポーション作りで彼女は財を成し、ポーション作りだけでも裕福な生活ができる稼ぎがある。
結局、ルシアナに約束のお金を払うことができない。
そう思っていたとき、今回の出来事だった。
ルシアナが、シアとして家畜を買いそろえることもできるだろうが、森の民は流石に彼女からそこまで恩を受けるのは渋られる。
だが、キールだったら、彼が恩義を感じていることも知っているし、説得に説得の末、なんとか受け取ってもらえた。
そして、この開拓村の成長は、最終的にはルシアナが改革事業に勤しんでいるということになっている。
つまり、ここで牛を買って、村の資産にし、それが村の成長に繋がれば、ルシアナの手柄になる。
(お嬢様にとっては、本当はその手柄は邪魔かもしれないがな)
キールはそう言って連れて来た牛を見る。
ルシアナの最終的な目標は、公爵家から追放されることにある。
なんでも、彼女は何れ、シャルドから婚約破棄され、それがきっかけとなり、普段の悪役令嬢としての振る舞いが原因で公爵家を追放されるのだという。
そのために、マリアも協力し、彼女は表向きでは虐められていることになっている。そんな嘘を、多くの公爵家の使用人は信じているし、キールも話を聞いている。
(できることなら、お嬢様には幸せになってほしいんだよな)
ルシアナが公爵家から追放されることを望んでいるし、マリアもそれに協力している。
キール以外のルシアナの護衛たちは、彼女の能力の特異性や、何故か冒険者シアとして活動することを望んでいることは知っているが、あくまでお忍びとして、貴族社会の窮屈さから抜け出して寛ぐ一時の休息として勤しんでいるだけで、マリアを虐めているのは、公爵家を抜け出すときにマリアが協力者であることが周囲にバレないためだと思っている。本気で公爵家から出て平民の冒険者になりたいだなんて思ってもいない。
つまり、公爵家からの追放については、ルシアナ、マリア、キールの三人だけの共通事項であるのだが、そんな中、キールだけは、公爵家から追放されることが本当にいいことなのか懐疑的である。
(本当に公爵家から追放された方が、お嬢様は幸せなのか?)
確かに、キールとしてはそちらの方が気楽ではある。
元々、貴族社会になんて関わりたいとも思っていなかった。
それに、生き生きと冒険者として活動していたルシアナのことは好きだった。
だが、最近のルシアナはそうではない。
まるで冒険者や貴族のことなんて頭になく、ただひたすらにポーション作りに夢中になったり、いまは記憶を回復させるためのポーション作りに夢中になっている。
(その理由は、おそらくあの男――バルシファルだろうな)
バルシファルはキールにとっても恩人である。
鬼と戦ったとき、彼がいたお陰でルシアナも森の民も救われた。
だが、いまはバルシファルのことが許せない。
一年前、勝手にルシアナの前から姿を消し、彼女から笑顔を奪った。
(もしも、お嬢様があの男のために平民になろうっていうのなら、俺は――)
キールがそう思ったときだった。
ルシアナがやってきた。
「キールさん、ここにいたんですか」
「あぁ、シア様。牛を見てたんだが、何の用事だ? 森の賢者から呪法の基礎について教わってたんじゃなかったのか?」
「はい。ただ、通訳の団長さんも仕事があるので、休憩になったんです。それでですね――」
とルシアナは口に手を当てて、背伸びをする。
ひそひそ話をしたいのだと悟り、キールが屈むと、ルシアナは小さな声で言った。
「(ちょっとこのままだと私の功績が高くなりそうなので、私の悪役令嬢計画に支障が出るかもしれないのです。マリアと三人で話し合いたいので、時間をいただけませんか? スコーンも用意していますから)」
ルシアナの言葉にキールはまたその話かと思った。
そもそも、根っからの善人である彼女に、本当の意味での悪役令嬢は無理があるのにな――とキールは思いながらも、頷いた。
「あぁ、わかった。ラント、また後でな」
「聖女様のエスコートを頼んだぞ」
「頼まれなくても。俺はシア様の護衛だからな」
俺はラントにそう言うと、ルシアナと一緒に聖殿に向かった。
今回の領地改革が、僅かにでも彼女の療養になればいいなと思いながら。