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第122話

 ハインツは、ルシアナとシアが同一人物であることを知らない。

 だが、修道服を身に纏い、髪の色を変えた姿を一度見たことがある。

 まだルシアナが七歳の時、モーズ侯爵領に行く途中の宿場町で、この姿をハインツに見られ、その時は祭りに行くためのお忍びの衣装だと誤魔化した。

 その時に、収穫の儀式で祝詞を賛美歌として唱える春の祈りを行ったことがあり、シアの聖女伝説の始まりだったとも言える。

 そんなわけで、灰色の髪、修道服姿という変装をした彼女を、直ぐにルシアナだと見抜くことができた。


「な……なんのことでしょう。私はシアですよ」


 人間、無駄だとわかっていてもやらないといけないときがあるという。

 それが、いまではないことはルシアナにもわかっていた。

 これはただの悪あがきである。


「ハインツさん、シアさんと知り合いなのか?」

「ええ、少し。皆さんも知り合いなのですか?」

「ああ。俺たちが洗脳された時のこと、前に話しただろ? その時――」


 と団長は自分たちとシアの関係を、さらに森の民との関係までも話した。

 ハインツが何故、団長と知り合いなのかというと、三圃制農業の実証実験を行ったとき、ある程度成果が出たという話を聞いた近くの村の人たちが、自分たちの村でも同じように作物を育てたいと言い出して、ハインツに話を聞きに来たという。その中に、青年団の若者たちもいたそうだ。

 そして、一年前――ルシアナがバルシファルとともに調査した遺跡を調べたのも、王立研究所にいたハインツであった。

 冒険者ギルドで遺跡の調査報告書を読んだハインツは、実際に調査を行った人物に話を聞こうとしたのだが、バルシファルとサンタはどこにいるかわからず、調査報告書には

 シアやキールの名前はなかったため、ハインツは遺跡について、被害者である青年団の団長たちに話を聞くことになった。そのため、この開拓村にも何度も訪れたことがあるという。


(村の畑がやけにしっかりとしていると思いましたが、ハインツ先生の指導の賜物だったのですね)


 とルシアナは納得した。

 そして、ハインツは、ルシアナに対し疑惑の眼差しを送りながらも(ルシアナかどうかを疑っているのではなく、何故偽名を使ってここにいるのか不思議に思っている)、ここに来た目的を果たすため、まずは畑の様子を見て回ることにした。


「なるほど、確かにこれは呪法の影響のようだ。それに、僅かに成長障害が出ている」

「成長障害? 成長具合は他の小麦と変わりないように思えるけど」


 団長の言う通り、茎に赤い筋が出ている小麦と、赤い筋の出ていない小麦の成長具合は変わりないように思える。


「ここに来る前に他の村や町の畑を見てきた。結果、赤い筋が出ている小麦が生えている周辺の畑は小麦の成長が悪いことがわかった。ここの小麦も、本来なら、もう少し育っているはずだ」

「つまり、赤い筋が出ていない小麦にも悪い影響が出ているということかっ!?」


 と団長が叫んだが、それよりもいま、気になることがわかった。


「ハインツ先せ……さん、今の話の言い方だと、ここの畑以外にも茎に赤い筋が出ている小麦畑があるっていうことですか?」

「ええ、ここの周辺の公爵領の村の小麦畑にね。何故か、小麦以外の作物に影響はありませんが」

「小麦以外の作物に影響がない? 全くですか?」

「ええ、調べた限り、小麦だけです」


 それは妙だとルシアナは思った。

 三圃制を行っている場合、秋撒きの植物は小麦だけでなく、ライ麦も含まれている。

 実際、ここに来るまでの村で、小麦ではなくライ麦を育てている村もあった。

 だが、ハインツが言うには、ライ麦には影響が出ていないという。

 同じ麦科の植物なのに、何故、差が出るのか?


「ライ麦には影響は出ていない……温度の違いでしょうか?」


 国内においてライ麦が育てられているのは、山間部など、冬場は冷え込む寒冷地である。


「いえ、ある村では同じ畑を区分けして小麦とライ麦の両方を育てていましたが、被害が出ていたのは小麦だけでした」


 同じ畑でも作物によって違いがあるということに、さらに疑問が深まる。


「ウキ」

「小麦に対する強い恨みが原因かもしれないと、森の賢者様が言ってるな」

「小麦に対して恨みですか……小麦アレルギーの患者だったとか?」


 薬師として働いていると、パンを食べたら蕁麻疹が出る子供の治療にあたったことがある。

 原因がわからず、いろいろと調べてみた結果、その子供は小麦を食べたら症状が出る小麦アレルギーであることが判明した。


「スペルト小麦なら」

「スペルト小麦……なんだそれ」

「古代の小麦です。ハインツさんはご存知ですよね?」

「勿論です。非常に厚い殻が特徴の原種で、育てやすい反面、収穫量も少なく、加工もしにくく、味もあまりいいものとは言えない小麦ですね」

「ええ。私の経験では、スペルト小麦では、何故か小麦アレルギーが発症しにくいんです。また、何故か他の小麦より太りにくく、肥満体型の方にも有効だという記録もあります」

「そんな効果が――」


 ハインツも知らなかったようで、感心したように言う。

 まぁ、いまはスペルト小麦を育てている農家はほとんどない。

 修道院では日頃の小麦の世話がなかなかできないため、放っておいてもある程度育つスペルト小麦を育てていたため、得られた知識であった。とはいえ、それで作ったパンを食べられるのは孤児院にいる子供たちで、ルシアナの口に入ることはほとんどなかったのだが。


「シアさん、話の内容が逸れてるぞ」

「あ、そうでした。とにかく、呪法により植物の成長が妨げられるというのは由々しき事態です。ハインツさん、協力をお願いします」

「ええ、勿論です。カイト様にも頼まれていますからね」

「え? そうなのですか?」

「えぇ、彼から連絡を貰う少し前にね。だから、こうしてすぐに駆けつけることができたんですよ」


 どうやら、この小麦の異変はカイトの耳にも届いていたらしい。

 と、その時、ルシアナは何かを思い出しそうになった。

 知っている気がする。

 この、小麦の茎に赤い筋が発症した事件と、そしてその結末を。

 だが、思い出せない。


(急いで、記憶回復ポーションを飲まないといけない)


 ルシアナの中に強い焦りが生まれた。

 ハインツは小麦を何本か収穫し、ルシアナたちが泊まっている聖殿に向かった。

 そして、彼は聖殿にいたマリア、神獣、森の民の族長、キールの順番に挨拶し、


「シアさん、小麦の解析、手伝ってくれますか?」

「……はい」


 ルシアナは覚悟を決めて彼と二人きりになるであろう部屋の中に入った。

 そして、やはりハインツは尋ねた。


「お嬢様、どういうことですか? さすがに嘘が通じないことはわかりますよね?」

「はい……全てをお話します」


 ルシアナは諦めて白状した。

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