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第124話

 その日、多くの人が聖殿に訪れた。

 普段も、村で信仰されている神獣への挨拶のため訪れる者が多い聖殿だが、今日訪れた人たちの目的は神獣ではなく、ルシアナだった。

 昨日の夜、ルシアナは倒れた。

 そのことが村に伝わったのは今朝になってからのことで、それを聞きつけた村人たちがこぞって聖殿に押し掛けたのだ。


「大丈夫だ。シア様の病気は一過性のもので、本当に大したものじゃない」


 キールはそう言うが、次から次に押し掛けてくる見舞客に帰ってもらうのが大変そうだ。

 それを部屋の中で聞いていたルシアナは、恥ずかしくて顔から湯気が出そうになる。


「反省してください、お嬢様」

「……反省してます。それはもう」


 マリアに言われ、ルシアナは涙が出そうになる。

 噂の原因はルシアナが記憶回復ポーションを飲んだことにある。

 味覚を変える呪法薬を飲んで、苦味を甘味に変えてからの記憶回復ポーション。それを三回連続行い、味覚が甘すぎておかしくなったルシアナは、記憶回復ポーションを飲んだ。

 甘味と苦味で中和されて、ちょうどいい感じになるのではないか? そう考えたのである。

 だが、実際は逆だった。

 熱い物を食べた後で冷たい物を飲んだら、いつもより冷たく感じるように、口の中が甘味でいっぱいのときに苦い物を飲んだ結果、苦味がいつもの数倍訪れた。

 ただでさえ悶絶レベルの苦味が押し寄せてくる記憶回復ポーション。

 その数倍の苦味に、ルシアナはのたうち回った。

 それからは水を飲んでも涙を流すほど。

 当然、夕食や朝食を食べられるはずもない。

 食事は村の女性が用意してくれているのだが、ルシアナが一口も食事を食べなかったことに怪訝に思い、マリアやキールに事情を尋ねた。

 だが、記憶回復ポーションの飲み過ぎで味覚が馬鹿になってるせいで食事を食べられないなんて言えるはずもなく、「ちょっと体調が悪いだけ」というあながち嘘とも言えないが真実からは程遠い言い訳をした。

 その結果、ルシアナが病気であるという噂が広がってしまったのだ。


「食事は食べられそうですか? もう昼食の時間も過ぎていますが」

「いいえ、まだ無理です」

「水はどうですか?」

「置いておいてください。まだ我慢できます」


 一晩経って、味覚はだいぶ戻ってきたのだが、それでも水を飲んでも苦い状態は続いている。ただ苦いだけでなく、甘苦いという不快な感覚は、正直耐えられない。

 普通の食事による甘味や苦味は、どれだけきつくても一時間もあれば消えるのだが、魔法薬による味覚の変化は簡単になくなったりしない。

 それでも、本来は数時間もあればマシになるのだが、やはり立て続けに四本も飲んだのがいけなかったのだろう。

 今度からは一本ずつ飲もうと心に決めた。


「それで、記憶の方はだいぶ戻ったのですか?」

「ええ、肝心の記憶はありませんが、思い出すべきことがいくつかありました」


 忘れてはいけない内容のうち、早急に行動を起こさないといけない内容については、シャルドに手紙で送った。

 いま、ルシアナが日記に書いているのは、早急に対処しなくてはいけない事柄ではないが、覚えておかなければいけない内容だ。

 特に重要なのが、今日から半年後に起こる小麦の不作についてである。

 やはり、前世でも小麦畑の不作の原因が呪法によるものだと気付いていたらしいが。

 王都周辺では既に三圃制が導入されていたが、公爵領ではまだ三圃制が導入されていない地域がほとんどで、しかも、それまでの王都の食糧不足対策のために食料を送り続けていたため食糧の在庫に余裕もなく、小麦畑の五分の一のみの影響と言えども被害は甚大だった。

 ただ、被害に遭った村の名前や被害者の数については思い出せない。

 それでも、記憶ポーションで思い出した日時を記録することで、詳しい報告があった日を推測することはできる。


「一体、そこまでして思い出さないといけない記憶とはなんなのですか?」

「ごめんなさい、マリア。これはあなたにも、誰にも言えないことなの。でも、思い出せさえすれば、きっと多くの人の命を救うことができるから」


 ルシアナはそう言って、日記帳に思い出した内容を書き記しながら、無意識に横に置いてあった水の入っているコップに手を伸ばす。

 そして――


「苦っ!」


 思わずそう叫ぶ。

 その時だった。


「シア様――」

「キールさん、すみません。外まで聞こえましたか?」

「え? 何がだ?」


 キールが尋ね返す。

 どうやら、ルシアナの声は外には届いていなかったらしい。


「あ、違うならいいんです。どうしました?」

「ちょっと困ったことが……カイト様が来た」

「お兄様がっ!? 何故ですかっ!? そんな手紙貰ってませんけど」

「どうやら、お嬢様が倒れたって話がカイト様に伝わったらしい」

「え? いえ、おかしいです! だって、ここにいるのはルシアナではなくシアですよっ!? なんでそれでお兄様が――もしかして?」

「あぁ、ハインツさんの仕業だろうな」


 ハインツは開拓村の小麦の呪法について調べるためにやってきたが、それまでは公爵家にいた。

 当然、ここで得られた情報は逐一、領主代行のカイトに送られる。

 そして、ハインツはルシアナがお忍びでシアとして村にいると言われているが、そのことをカイトが知らないことを知らない。恐らく、ルシアナが修道女に変装して活動していることを、カイトも知っていると考えているのだろう。

 というか、その方が自然である。

 そうなったら、カイトに報告をするとき、ルシアナについても書き記すだろう。

 例えば、彼女が倒れたことについても。


「こうなったら、悪役令嬢モードでいきましょう! 部屋に閉じこもっているときのように、誰も入れさせないように――」

「それをしたら他の連中に、シア様がルシアナお嬢様だってバレないか?」

「う゛……」


 ルシアナがうめき声をあげる。

 部屋の外にはお見舞いに来ている他の村人がいる。そんな中で大声で悪役令嬢を演じれば、一瞬でシアの正体がバレてしまいかねない。

 かといって、キールは公爵家の執事見習い、マリアは公爵家の侍従という扱いである。

 公爵家の嫡子であるカイトを追い返すことができるはずがない。


「仕方ありません。病気のフリをして帰ってもらいます。おそらく、お兄様のことですし、寝ている私に嫌味の一つや二つ言ったら帰ってくれるでしょう」


 カイトはルシアナのことを嫌っているはずである。

 恐らく、彼が来た本当の目的はハインツであり、ルシアナへのお見舞いはついでであろうと予想した。

 仮病なんて、修道院に入って最初の頃、どうしても仕事がしたくないとき――その時は先輩修道女に仮病を見破られ、水をぶっかけられて起こされた――以来のことで、気が進まないが、正直に記憶回復ポーションの副作用と言ったら、何のためにそんなものを飲んでいるか問い詰められる。それは面倒だ。


 キールに部屋を出てもらい、ルシアナは髪の色を変える魔道具を外し、寝間着に着替える。

 そして、五分後。


「お嬢様、カイト様がいらっしゃいました」


 とキールが改めて部屋をノックする。


「はい、どうぞ」


 ルシアナはそう言って、ベッドから上半身を起こした状態で、カイトを出迎えた。


「お兄様、遠路遥々ご苦労様です。このような姿で申し訳ありま――」

「ルシアナ――すまない、全部私の責任だ」


 そう言ってカイトはルシアナの前で膝をつき、ルシアナの手を握った。

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