ハインツはルシアナとともに早速小麦畑に行くと、スコップで土ごと掘り始めた。
以前、ハインツも小麦を根っこから抜くことも、土の採取も行っていたが、こうして土ごと掘り起こす作業は初めてである。
かなり深く掘らないといけないので、途中からはキールを含めた護衛たちや近くにいた村人たちにも手伝ってもらい、本当に深くまで掘り進めた。
そして、それを持って、聖殿の裏に向かった。
二人で革の手袋を嵌め、土を少しずつのけていく。
引っこ抜くときには千切れてしまっていた細い根まで綺麗に採取できている。
「小麦の根って、こんなに長いのですね」
「麦の根は、ライ麦が一番長く、小麦がその次、大麦は短めです。ライ麦がやせ細った土地でもしっかり育ってくれるのはそのためですね」
「そうなのですか。では、大麦は豊かな土地しか育たないということですか?」
「いえ、そうとも言えません。大麦はなんといっても強い。根が延びる先に固い土の層があっても下に延び続けてくれますから」
「植物にもいろいろとあるのですね……あ、この根はとても長い……あれ? これ、根ですか?」
小麦の根の中で、特に一本とても長い紐のようなものがあった。
残念なことに、途中で切れているが、しかし、他の根とどこか違う気がする。
「シアくん、お手柄です。これは根ではなく、菌糸――
サンプルとして採取したもののうち、茎に赤い筋がある小麦五本のうち四本に黴の糸が見つかったが、赤い筋のない小麦三本の根には黴の糸が生えていなかった。
どうやら、赤い筋は、この黴の影響だったのだろう。
「黴――やはり、黴が小麦の栄養を奪っていたということですか。小麦しか弱っていないのは、小麦にしか寄生しない黴ということなんでしょうか?」
「いえ、黴が奪っていたのは、小麦の栄養ではなく、土の栄養でしょう。そうでないと、茎に赤い筋のない小麦の成長が遅れている理由に説明がつきません」
「では、なんで小麦に赤い筋が出たり、菌糸を伸ばしたりしてるのですか? 寄生しているんですよね?」
「少し調べてみます。念のためにサンプルを持ってきているので」
そう言うと、ハインツは自分に宛がわれている部屋に戻った。
「シア様、あれ、大丈夫なのか? なんか笑ってたぞ」
「ハインツ先生は研究対象があると一直線に前しか見えなくなるところがありますが、とても優秀な先生です。きっと何かしらの成果を見せてくれるでしょう」
「研究バカってことか……」
その日は一日、ハインツは自室から出てくることがなかった。
ルシアナは彼に任せ、いつも通りの日課を過ごすことにした。
そして、二日後の午前四時過ぎ――ルシアナが目を覚まし、神に祈りを捧げているときだった。
「わかったぁぁぁぁっ!」
聖殿内に大声が響き渡った。
ハインツの声だ。
その声に、キールも、他の護衛たちも起こされて広間に集まった。
ルシアナは既に着替えていたが、キールを含めた護衛の大半は普段とは違うリラックスした服装である。うち一人はいつもの護衛の装備をしていたので、恐らく夜間から早朝にかけて警備をしていたのだろう。
「神獣様もおはようございます」
「わふ」
神獣もこの時間には起きて、祈りを終えたルシアナと一緒に散歩に行くのが日課になっているので、特に起こされて不機嫌というわけではなさそうだ。
少し遅れてマリアが広間に来た。
さっきまで寝ていたマリアは、さすがに寝間着のまま皆のいる広間に来ることはできなかったのだろう。慌てて着替えた様子である。
そして、最後に現れたのが、声の主、ハインツであった。
「おや、皆さん、こんな朝早くに集まって、どうなさったのですか?」
ハインツは不思議そうに尋ねると、さすがにキールがイラっとしたように言う。
「あんたの大声にみんな起こされたんだよ」
「あぁ、そうだったのですか。すみません。しかし、ようやくわかったので、興奮してしまい」
「わかった? 例の黴の正体ですか?」
「ええ。私も予想していたのですが、これは墓守の黴と呼ばれる黴の一種であることが判明しました」
「墓守の黴? 聞いたことがありません」
ルシアナはキノコにはある程度詳しいが、黴についてはどのように綺麗に掃除をするかという知識しかない。
「珍しい黴ですからね。森の奥にしか咲かない墓守の花と呼ばれる赤い花があるのをご存知ですか? 人が立ち入ることのない森の奥、そこには魔物の墓場と呼ばれる場所があるんです。墓守の花はそういう魔物の墓場にのみ咲く花で、つい百年前までは魔物の死体を栄養にして花が咲いているのだろう――そう言われていました。でも、実際は逆だったんです」
「逆?」
「魔物の死体のある場所に花が咲くのではなく、花の咲く場所に魔物が集まってくるんです。そして、その原因が、墓守の花に寄生する黴――墓守の黴であることが百年前の研究で明らかになったんですよ」
ハインツが言うには、墓守の黴は周囲の土地の栄養を吸収して成長するが、同時に、墓守の花に寄生し、墓守の花に魔物をおびき寄せる匂いを分泌させる。
その花におびき寄せられた魔物はそこに集まる。
魔物が集まると、その糞尿や死体によって栄養が集まり、土地全体に栄養が行きわたる。
墓守の花、墓守の黴というが、実際は墓を自分で作っている墓掘りの花、墓掘りの黴だったというわけだ。
「待ってください、でも、墓守の黴というのは、墓守の花にしか寄生しないのですよね? 何故、小麦に?」
「それがずっと謎だったんです。そして、ようやく謎が解けました」
それが、先ほどの「わかった」という点だったのか。
「墓守の花の根のサンプルはありましたので、それと小麦の根の共通点がないか、私はずっと調べていました。でも、この二つのみに共通することは何一つ見つからなかったのです」
「何一つですか?」
「ええ。それはもちろん、どちらも植物の根ですから、共通する部分は数えきれないほどあります。ですが、他の植物にはもっておらず、この二つの植物の根にだけ共通することは何一つありませんでした。そもそも、墓守の黴が他の植物に寄生したなんて話、これまで一度も聞いたことがなかったんです。あ、墓守の花はそれはもう巨大な花でしてね、とても気持ち悪いんですけれど、それがまた研究心をくすぐられるというか、さすがに栽培が禁止されている特定危険植物ですので滅多に手に入りませんが――」
「先生、話を元に戻してください。なら、何故、墓守の黴が、小麦に寄生したんですか?」
「簡単です。逆だったんですよ」
「逆?」
「味が逆なんです。これは、墓守の花の根と小麦の根の味をグラフにしたものです。特筆するべきは、甘味と苦味」
「え? 墓守の花の根って、こんなに甘いんですか?」
墓守の花の根は苦味もあるが、それ以上に甘みがあった。
「ええ。そして、数値的には、ちょうど甘味と苦味のバランスを逆にしたのが、小麦の根の味になることがわかったんです」
「味が逆……それって、私たちが造ろうとしている味覚を変える呪法薬の――」
「ええ、おそらく、この黴はその呪法薬と同じ呪いを受けていて、小麦の根を、墓守の花の根と勘違いしている可能性が高いと私は読んでいます」
森の賢者が感じていた呪法は、小麦の成長を遅らせる呪法ではなく、味覚を変える呪法だったのか。
「いや、待てよ、先生。それはおかしいだろ?」
そう言ったのはキールだった。
「何がおかしいのですか?」
「俺もよくわからないけど、でも、その墓守の花とか黴ってやつは森の奥にしかいないんだろ? そんな黴がたまたま小麦畑の近くに発生してるんだ? そりゃ、ここは森からは近いが、俺はそんな花、見たこともないぞ?」
「ワフ」
族長がいないので通訳できないが、キールの言葉に同意するように神獣が頷いた。
「あぁ、そのことですか。まぁ、自然に起きたことじゃないでしょうね」
「それって、どういうことだ?」
「誰かによって意図的に起こされた現象――そう思うべきでしょうね」