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第136話

「ええ、ようこそおいでくださいました、テッケト子爵。では、早速ですが、こちらの宝石類、買い取っていただけるでしょうか?」


 それを聞いたときのセバスチャンの表情は、これまで見たことがないほど驚いた顔をしていた。

 そして、我に返ったセバスチャンは、テッケト子爵とルシアナの間に割って入る。


「お嬢様、一体何を考えていらっしゃるのですかっ!」

「何を考えているのか聞きたいのはこちらですわ、セバスチャン。そんな大きな声を出して、子爵に失礼ではありませんか」 

「しかし、お嬢様。これは亡き奥様の――」

「お母様の形見の品ですわよね? でも、私はルシアナ・マクラス。たとえ母であっても、使い古しに満足する女ではございませんの。テッケト子爵が相場より高く買い取ってくださると仰っているのですから、買い取ってもらえばいいではありませんか」


 テッケト子爵は寄子の中では最もお金を持っている貴族である。

 彼はもともと、男爵であったのだが、貴族の中では忌避されている商売でお金を稼ぎ、その財と功績で子爵になった貴族である。


「よくありません! そんなこと、旦那様が認めるはずがありません」

「あら、なにを仰るの? これはお母様が私のために遺した、私の物ですわよ! さっきセバスチャンも認めたではありませんか」

「それは、お嬢様が使うと思ったからです。奥様は、ルシアナお嬢様が生まれたその日、自分の装飾品を受け継いでくれる女の子が生まれてよかったと、それはもう心から喜んでおられたのですよ」

「だから、受け継いでお金に換えるのです。もう埒が明きませんわ。あなたたち、これ以上はテッケト子爵に失礼です。セバスチャンを隣の部屋に連れていきなさい」


 ルシアナが、近くにいた侍従に命令をする。

 当然、そんな命令を受けた侍従たちは混乱した。

 立場で言えば、ルシアナの方がセバスチャンより上なのは間違いない。

 だが、彼はアーノルから家の全てを任されている。

 アーノルの命令に従うのであれば、セバスチャンに従わないといけないのも確かである。

 しかし、ルシアナの言う、テッケト子爵に対して失礼というのも間違えてはいないのだ。

 一体どうすればいいか――そう思っていたときだ。


「テッケト子爵、お見苦しいところをお見せして申し訳ない」


 カイトが部屋に入ってきてそう言った。

 寄子の貴族が屋敷に来ているのだ。

 当然、その連絡はカイトの耳にも届いていた。


「坊ちゃま、実は――」

「こちらの装飾品をテッケト子爵に買い取っていただこうと思うのです」

「そうか、わかった。好きにして構わない」


 ひと悶着あるかと思いきや、カイトはいとも簡単にルシアナの望みを受け入れた。


「カイト坊ちゃま、一体何を――」

「その装飾品は母上がルシアナのために遺したものだ。セバスチャン、これはお前から聞いたと思ったが、間違いか?」

「いえ――ですが、それは」

「たとえどのような意図で母上が遺したのかは私にはわからない。だが、ルシアナの物である以上、彼女がこれらをどう扱おうと彼女の自由だ。セバスチャン、そんなことより出立の準備がある。手伝ってくれ」

「……かしこまりました。お客様、失礼を致しました」


 セバスチャンはそう言って頭を下げ、カイトとともに部屋を出て行く。


「ユリアーナ様は、使用人にも愛されている御方だったのですね」

「あら、好きだったのはテッケト子爵、あなたもでは?」


 ルシアナが目を細めて尋ねる。

 母から、公爵領にいたころの話はよく聞かされていた。

 なんでも母は昔は大層異性にモテたらしく、いろんな人から求婚されたと言っていた。

 そのうちの一人が、ここにいるテッケト子爵である。

 いまでもテッケト子爵はユリアーナを愛しており、それが原因で結婚をせずに養子を家に迎え入れて後継者として育てていると聞く。


「なんでも、毎日、一本ずつ花を送っていったそうですわね? お母様は花束なんて貰いなれていたから、少しでも印象に残ろうと一本ずつ花を贈って気にかけてもらいたかったと聞いていますわよ?」

「それは誤解です。確かに私はユリアーナ様のことをお慕いしておりましたが、花を一本ずつ贈っていたのは、ちょうど商売に失敗したばかりでお金が無く、一本の花を買う余裕しかなかったからなんです」

「あら、いまでは寄子ながらに商売に成功して大金を稼ぎだしているテッケト子爵の言葉とは思えませんわね」

「昔、ユリアーナ様が仰ったのです。私を妻に欲しければ、金貨百万枚は用意してもらわないと困ります――とね」


 それは、我が母ながらとんでもないことを言っているとルシアナは思った。

 そのような大金、公爵家や王族でも簡単に用意できる額ではない。


「ユリアーナ様はその後、こう付け加えたのです。『あなたは商才があるのですから、そのくらい楽に稼げるでしょう?』と。男は単純なもので、金貨百万枚を稼ぐのは無理だとわかっていながらも、その期待に応えようと、一生懸命働き、今の財を得たんです」


 テッケト子爵はそう言うと、装飾品のケースの中から、大きな宝石のついた指輪を一つ手に取った。


「これは私が商売に成功し、ユリアーナ様に贈った指輪です。大切にしてくださっていたのですね」

「そうでしたの。あら? でも、テッケト子爵が商売に成功した時というと……」

「ええ、既にユリアーナ様はヴォーカス公爵と結ばれておりました」

「略奪愛ですか?」


 異性に指輪を贈るのは、結婚の申し込みを意味する。

 本来、既婚者である女性に贈るものではない。

 そんなことをしようものなら、他人の妻を略奪しようとしているとしか思えない。


「ははは、確かにそう思われても仕方ありません。でも、二人の間を引き裂くことはできないことくらいわかっていましたから、単に見せたかっただけですね。ユリアーナ様に、私の成したことを――だから、ユリアーナ様は、指輪について何も仰らず、私もそれ以上は何も申しませんでした」


 そして、テッケト子爵は一枚の金属札をルシアナに渡す。


「ルシアナお嬢様、こちらが約束の金額になります」


 そう言って、ルシアナは証書となる金属板を受け取った。


「では、後の宝石を――」

「いえ、これだけで構いません」

「しかし、それではあまりにも高すぎます」

「正直なのですね。でも、私はこれだけで構わないのです」


 テッケト子爵はそう言うと、指輪を大事に握った。


「これから貴族の務めとして戦場に参ります。戦場では、愛する人が身に着けていた物を持って行くと縁起がいいと言われていますから。それに――」


 テッケト子爵はまるで子供のような笑みを浮かべて言った。


「私が稼いだお金が、ユリアーナ様のご息女であるルシアナお嬢様の役に立つのです。そんなに喜ばしいことはありません」


 テッケト子爵はそう言ってルシアナに頭を下げ、帰っていった。

 残されたルシアナはあんな素敵な人にいまでも愛されている母のことを羨ましく思った。

 そして、近くにいた使用人に、ルシアナはある命令をした。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 戦争への出立の準備のために書類を書いているカイトのところに、侍女がやってきた。


「失礼します。ルシアナお嬢様がいま、家を出られました」

「そうか――護衛も一緒なら問題ない」


 一瞬、書類を書く手が止まったが、直ぐに手を動かして頷いた。

 ルシアナが何を考えているかは、カイトにもわからない。

 きっと、意味のあることなのだろう――そう思って、好きにやらせることにした。


(テッケト子爵が羨ましいな)


 ルシアナと違い、テッケト子爵がどういう気持ちで屋敷を訪れ、カイトの母であるユリアーナの遺品を買い求めたかについては見当が付いている。

 本当はカイトも同じ気持ちだったのだが、今の彼女をそのような些事に付き合わせるために呼び戻すのは気が引けた。


(大丈夫だ、あいつも動いている。この戦争そう長くは続かない)


 カイトは心ではそう思うも、初陣の緊張からか、先ほどから筆を持つ手が思うように動かない。

 手が震えている。

 これが緊張という奴なのかと思ったときだった。


「ルシアナお嬢様から、こちらを預かっています」

「これは――」


 それは腕輪だった。

 ルシアナがシアに変装をするとき、髪の色を変えるために使う腕輪だ。

 カイトはルシアナがこれを持たせた意味がわからなかった。

 いざとなったら、これを使って平民に化けて逃げろとでも言っているのだろうか? とさえ思った。


「ルシアナお嬢様が仰るには、普段から身に着けている装飾品が、これしか思い浮かばなかったそうです。大きくて邪魔なら持って行かなくてもいいそうですが」

「……そうか……いや、助かる」


 カイトはそう言って、書類に筆を走らせる。

 特に表情の変化もなければ、反応も薄い彼だったが、手の震えはなくなっていた。

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