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第137話

 ルシアナが護衛を伴い馬車で向かった先は冒険者ギルドだった。

 平民が使わないような豪華な馬車で乗り付けたものだから、遠巻きに見ている人たちのざわめきが妙な感じだ。


(こうして、貴族として冒険者ギルドに入るのは初めてね)


 王都と公爵領の領主町という違いはあれども、行き慣れた――時には毎日のように通っていた冒険者ギルドに訪れて、妙に疎外感を感じてしまった自分に、ルシアナは少し苦笑した。

 その時、騒ぎを聞きつけたのか、冒険者ギルドから職員の若い男性が出てきた。

 そして、馬車にある家紋を見るなり、即座に背筋を伸ばして尋ねる。


「ようこそいらっしゃいませりました。失礼でありますながら、公爵家の――」

「出迎えご苦労様です。ヴォーカス公爵令嬢のルシアナ・マクラスですわ」

「ルシア……失礼こうむりました! どうぞ中にお入りなさいませ!」


 ところどころ言葉がおかしい感じがする。

 ギルドの職員なら、格上の人間への敬語の使い方も慣れているはずなのだが、公爵家の貴族が自ら足を運ぶことがないので、緊張してうまく喋れなくなっているのだろうとルシアナは思った。

 本来なら数歩先を案内するはずの職員だが、「中に入りなさいませ」と言った直後に中に入り、


『貴族のご令嬢様がいらっしゃった! お前ら、部屋の真ん中を開けろ! 失礼なことをしても、ギルドはなんの責任もとらないぞ!』


 と怒鳴り声が聞こえてきた。

 ルシアナの耳に届いていないと思っているのだろうか?

 ルシアナどころか、遠巻きに見ている領民たちの耳にも届いている気がする。


(エリーさんならもう少し上手に対応できたかな)


 王都の冒険者ギルドの(自称)看板娘の姿を思い出してルシアナは思わず苦笑した。


「お嬢様、笑う時はもっと悪だくみをしている感じで。無理なら口元を隠してください」


 マリアの基準では、いまのルシアナは悪役令嬢の顔ではなかったらしい。


「……わかりました」


 ルシアナは小声で頷き、扇で口元を隠して頷く。

 そして、待つこと一分弱、中が静かになったのでルシアナが入ると、ギルドの中央はガランとしていて、よく見るとテーブルを動かした痕跡まである。

 そこまでしなくても――と思うが、それが平民と貴族の壁なのだろうとルシアナは思った。


 静かに前に進む。

 周囲にいる冒険者たちから、異物を見るような視線を向けられる。

 初めて冒険者ギルドに入ったときも、同じように異物を見るような視線を向けられた気がするが、しかしあの時は、まるで家の中に迷い込んだ子猫を見るような――というか、どこか優しさがあった(と後から気付いた)。

 しかし、いまの視線は単純に、嵐が過ぎ去るのを待っている人のような感じだ。


(仕方ありません……ね)


 どこか寂しさのようなものを感じていると、一人の立派な服を着た筋肉質の男がやってきた。


「ギルド長のダグラスです。あいにく、冒険者ギルドには貴族様を迎えるような部屋がないもので、商人用の応接室での話で構わないでしょうか?」

「いえ、そのような手間は必要ありません。マリア、キール、そこの椅子を二脚、持ってきて」

「「はい」」


 マリアとキールがそれぞれ椅子を二脚持ってきて、部屋の真ん中に置いた。

 ルシアナがその一つに腰をかけると、


「ギルド長もそちらへどうぞ」


 と座るように促す。

 マジか――という顔をしたのは、ダグラスだけでなく、周囲にいる全員だったように見えた。

 だが、ルシアナに逆らえないのか、それとも逆らうだけの理由が見つからないのか、ギルド長は言われるがまま椅子に座る。


 そして、キールが使っていない机を運んできて、二人の間に置き、どこからか持ってきたテーブルクロスをかけた。


「それで、ルシアナ様――」

「紅茶がまだですわ。少々待ってくださるかしら?」

「……わかりました」


 判決を待つ罪人の気分はこんなものなのだろうな――などと思っているような顔をダクラスはしていた。

 マリアが持ってきたティーセットを用意し、紅茶を注ぐ。

 そして、紅茶が用意できたところで、ダクラスはようやくかと思ったその時だった。


「美味しくないわ。淹れ直して」

「かしこまりました」


 待ち時間延長――絶望するダクラス。

 さらに待つこと十分。

 ダクラスは早く話を始めて欲しいと願っているように見える。

 だが、話を早く切り出したいのはルシアナも同じだ。

 しかし、この緊張感を続けることで、後の交渉がややルシアナの有利に傾くから仕方なく、この状況を演出している。

 再び淹れられた紅茶を飲み、ルシアナはようやく本題に入った。


「腕の立つ冒険者を雇いたいと思っているんです」


 ルシアナがそう言ったとき、ようやくダクラスの顔に僅かな余裕が生まれた。


「冒険者ですか。ええ、まぁ、うちには王都にも負けず劣らずの猛者がいますが、護衛依頼でしょうか?」


 そう言って、ダクラスも自分に淹れられた紅茶を飲んだ。


「いいえ、魔物の討伐依頼です」

「どのような魔物で?」

「ゴブリン、ウルフ、ワイルドボア――」


 とルシアナが言う。冒険者にとっては狩りなれた魔物であるが故に、さらに余裕そうな顔をしているように見える。

 だが――


「ロックバード、ポイズンタートル、あぁ、リザードマンも何種類かいたそうですわね。他には何かいたかしら?」

「お嬢様、こちらにリストを用意しております」


 執事モードでキールが魔物のリストが書かれている羊皮紙をルシアナに渡す。

 ルシアナはそれを軽く見て、


「あぁ、これでしたわね。ギルド長、これが魔物の一覧と、おおよその数の予想です。こちらは王立研究所のハインツ様が計算した数字になりますが、多少は前後すると思います」

「はぁ……って、なんだこの数はっ!?」


 ダクラスはルシアナが前にいるにも関わらず思わず叫んでいた。

 それほどまでの魔物の数が多いのだ。


「ルシアナ様、これは一体、何の冗談で?」

「冗談ではありません。近く、私が管理していた村がこの数の魔物に襲われます。いえ、既にその兆候はあり、多くのゴブリンやウルフが討伐されています」

「もしかして、北の開拓村のことですか?」


 ゴブリンを退治したとき、その討伐証明ができれば僅かだが冒険者ギルドから報酬が貰えるし、ウルフの毛皮やボアの肉などの魔物の素材の流れは、冒険者ギルドが商業ギルドと連携して情報を掴んでいる。

 当然、開拓村のことも知っていたのだろう。

 だが、詳しいことは知らないようだ。


「はぁ……てっきり、私は公爵家の方々が戦場に行くまでの露払いの依頼だと思っていたのですが」

「戦争には興味がありません。勝手にやってください」

「しかし、これだけの魔物が村を攻めてくる――というのは事実なのですか?」

「ええ。これは明日には多くの方が知ることになるのですが――」


 とルシアナは前置きをし、村の現状について包み隠さずに伝えた。

 それを聞いて、ダクラスは信じられないという顔をしたが、しかし嘘だとは思っていない様子だった。


「それより、お金はいかほど必要かしら?」

「この数の魔物を狩るとなると、一人や二人の冒険者ではとても。少なくとも、オークを単独撃破できる冒険者、もしくはそのパーティが数十人は必要ですし、なにより期間が長い。少なく見積もっても――」


 とダクラスがその額を伝える。


「では、支払いはテッケト子爵から預かったこちらでお願いします。お釣りは結構ですわ」


 ギルド長はそれを見て顔色を変えた。


「ルシアナ様、多すぎます。これは、私が伝えた額の――」

「十倍以上はありますわね。あ、その中には村に支援物資を運んでいただくための費用も含まれていますから、報酬に使われるのは十倍程になるかしら?」


 そこに書かれていた額は、ダクラスが伝えた額より遥かに多い。


「ただし、これは成功報酬です。途中で逃げたり仕事を放棄した者、および報酬を受け取るのにふさわしくない者には与えないでください。もちろん、この街の冒険者だけでなく、他の領地の冒険者ギルドにも連絡はしてくださいませ」

「しかし、ルシアナ様。私は村作りの専門家ではありませんが、これだけのお金があるのなら、村を一度放棄させて、魔物が村を放棄してから作り直した方がリスクも少なく、安く済むのではありませんか?」

「ええ、そうですわね。でもね、ギルド長。問題は、その村の管理を任されたのがこの私であり、そして、このままだと私の力が及ばずに村を壊滅させたことになります」


 ルシアナはそう言うと、勢いよく立ち上がった。

 半分ほど紅茶が残っているカップが揺れる。


「このルシアナの辞書に、敗北、撤退、断念、失敗、その他もろもろの二文字はありません! あるのは栄光の二文字だけです。だから、村を守るのは当然のことです!」


 それでは辞書ではなく単語カードである――とルシアナは自分で言ってそう思った。


「あの、お嬢様――話を聞いていたんだが、本当に十倍の報酬がもらえるのか?」


 そう言ったのは、周りで黙って話を聞いていた冒険者の一人だった。

 ルシアナは振り返って答える。


「ええ、このルシアナ・マクラスは嘘偽りを一切述べませんわ! 報酬は成果に応じて分配されるでしょうが、生きて村を守り切ればあなたたちが見たこともないような報酬を約束致します」

「よし、乗った! お嬢様、俺を雇え! 必ず村を守ってやるぜ!」


 ルシアナはそれを聞いてほくそ笑む。

 わざわざ、交渉場所をギルド室でなくここで行ったのは、これが目的だった。

 その男を皮切りに、次々と冒険者が名乗りを上げる。

 だが、ダクラスはそれを見て、不安になったようだ。


「ルシアナ様、大丈夫なのですか?」

「なにがですか?」

「此度の戦争、諸侯の中には冒険者を私兵として雇い、戦争に連れて行く方もいらっしゃると聞いています。そんな中、ルシアナ様が大金を使って冒険者を雇い、一つの村の防備に尽力したとすれば、公爵家の立場が悪くなるのでは?」

「あぁ、そのことですか。確かに、快く思わない方もいらっしゃるでしょうね。ですが――」


 とルシアナは扇を前に伸ばし、


「そんなの知ったことではありませんわ! 私はルシアナ・マクラス! 次期国王であるシャルド殿下の婚約者、つまりは次期王妃となるルシアナ・マクラスです! 全てのルールは私が決めます! 文句を言う者がいても関係ありません!」


 と不敵な笑みを浮かべて言った。

 その表情を鏡で見ていないのでわからないが、しっかり悪役令嬢っぽくできただろうとルシアナは思った。

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