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第138話

 その日、ヴォーカス公爵領の開拓村にある聖殿で村民全員参加の会議が行われていた。

 ただ、戦える人間は昼間に襲って来た魔物の退治、戦えない者もそのフォローで忙しく、会議が始まったときには、既に多くの者が疲労困憊の様子だった。

 昨日までは、それでも騎士達が到着するまでの辛抱だと思って持ちこたえてきたが、その頼みの綱が切れたとなったいま、彼らを支える物は少ない。


「どうするんだ? このまま村に残って魔物と戦うのか?」

「ああ、シア様が置いていってくださった回復ポーションのお陰で、未だ死者はおろか、動けないような怪我人もいない。このまま持ちこたえていれば――」

「これからもっと強い魔物が出てくるんだろ? ハインツの旦那の話では、森の奥には、結構ヤバい魔物もいるって言うじゃないか。そんな奴と戦えるのか?」

「なぁ、そもそも原因は小麦畑なんだろ? 小麦を抜いて捨てるとか、それこそ燃やせばいいんじゃないか? 大事に育ててきた畑だってのはわかってるけどよ……」

「そんなのとっくに考えたさ。ただ、墓守の花の場合だと、過剰に花を摘んだり、さっき言ったみたいに燃やしたりすると、墓守の黴が緊急命令を出すそうなんだ。その時に発せられる過剰なフェロモンによって、一気に森中にいる対象の魔物が押し寄せてくるかもしれないそうだ。なんでも、おびき寄せた魔物がそこにある墓守の花を全部食べてしまいそうになったときのためにそういう仕組みがあるらしい」

「ってことは、少し抜くくらいならいいが、燃やしたり全部刈り取ったり引っこ抜いたりもダメってことか。いや、どこがリミットかわからない以上、あまり抜くのもダメだな」

「なら、匂いの元を覆うってのはどうだ? 小麦畑全体を覆って――それならどれだけ臭いを出しても大丈夫だろ」

「お前、小麦畑の面積わかってて言ってるのか? そもそも、昼間ずっと魔物が襲ってきて、夜は疲れ果てて眠ってる今の現状で、そんなことする余裕があるはずないだろ」


 そうなのだ。

 小麦畑は、畑全体の面積の三分の一程度とはいえ、それなりの広さがある。

 しかも、臭いを封じるための建物を作ったとして、魔物たちが攻めてくるのはまさにそこなのだ。

 ある程度形になるまで作れたとしても、そこを魔物が狙ってくるので、完成前に潰されてしまうのは目に見えている。


「このまま戦うのは……難しいか」


 一番の問題は、彼らの戦闘スタイルだった。

 森の民は、もともとは狩猟をしている民であり、その戦い方は接近戦ではなく、遠距離からの弓矢での攻撃にある。当然、自分たちが危険に晒されるような相手と戦った経験がほとんどない。

 そして、青年団は剣を毎日振るっているといっても、戦いの素人には違いがない。

 ルシアナの護衛に教わったスリーマンセルでの戦いはだいぶ板についてきたが、優位に戦えるのは相手が一匹で、しかも同じ大きさの敵相手に限る。

 ボアのような大きな魔物だと三人がかりでも対処が難しいし、相手が複数だったら対応に困っていた。

 戦えない女性だけでも村から離れてもらったほうがいいのではないかという意見も出たが、それに女性陣が反論。


「私たちがいなくて誰があんたらの飯を作るんだい!」

「あんた、自分の服を自分で洗濯したことがあるのかい? 同じ服で戦っていたら、小麦の臭いの前に、自分の服の臭いで倒れちまうだろ!」

「私たちも村の一員です。戦うなら最後まで一緒に戦いますし、逃げるなら皆で一緒です。あ、でも本当に危なくなったら、子供だけは逃がしますよ」


 というものだから、男性陣は何も言えなくなった。

 だが、誰ひとり、結論を出せずにいる。

 森の民の者たちも、青年団とその家族たちも、全員一度、自分の村を棄ててここに来ている。

 カイトが皆を助ける条件を出してくれたとはいえ、さらにもう一度村を棄てるというのが憚られた。

 だが、このまま何もしなくても、明日にはまた魔物が襲って来る。

 明後日も、その次の日も、さらにその次の日も。

 ハインツの話では、その状態が少なくとも一カ月は続く。

 いまは犠牲者が誰もいないが、しかし、明日には誰かが死ぬかもしれない。

 明日が大丈夫でも、その次の日はどうかわからない。


 森の民と青年団、村を一度棄てたという経験も同じであれば、仲間の死をその目で見たというのも同じである。

 片や病で倒れ、片や冒険者に殺され。

 しかし、そのどちらも原因は呪法にある。


 神獣も森の賢者も会議にはいるが、何も言わない。

 彼らもわかっている。

 決めるのは、自分たちではなく、人間なのだということも。


「このままでは埒が明かないな。村の大事、本来ならば、多数決で皆の意見を参考にするべきだが――ここは村長である儂が決める。異論はないな」


 森の族長は言った。

 村に残るにせよ、村を棄てるにせよ、多数決を取れば、小数派になったものには僅かに禍根が残る。

 あの時、村を棄てていれば、あの人は死なずに済んだかもしれないのに。

 あの時、村を棄てなければ、このような荒れ果てた村を見ないで済んだかもしれないのに。

 森の民の族長は、それを自分一人で受け入れようとしたのだ。


「……すまないな、嫌な役目を押し付けて」

「なに、こういうのは年長者の務めだ」


 そう言って、彼が自分の意見を伝えようとした、その時だった。


「わふ?」「ウキ?」


 いままで沈黙を保ってきた神獣と森の賢者が顔を上げ、同じ方を見た。

 その鳴き声は、特に意味のない――人間でいうところの「ん?」という声みたいなものだったので、通訳をしている族長も団長も意味がわからない。


「どうなさったのですか、神獣様」

「まさか、夜にまで魔物が現れたってのか、森の賢者様」


 二人が尋ねた時だった。


「おー、こんなところにいたのか! 村に誰もいないから、てっきりもう逃げちまったのかと思ったぞ。よかった、間に合って! あ、俺はユンダだ! 覚えてくれ、俊足のユンダ、その名を! 一番最初に村にやってきた冒険者だからな!」


 そう言って、ユンダは「いやぁ、開拓村って聞いてたからどんな田舎なのかと思ったけど、この建物だけ凄く立派だな」と事情のわからない村人を放って、聖殿を見上げていた。


「あの、ユンダ殿、いったいどのような御用で?」

「どのようなって、この俊足のユンダ様が魔物退治の加勢に来たんだよ! 何しろ、報酬十倍だって話だからな! 参加しない手はないだろ」

「報酬十倍っ!? それは一体誰が」

「誰って、そりゃルシアナ様だよ。公爵令嬢の。なんでも、数千枚の金貨を持って冒険者ギルドに訪れて、ギルド長に投げつけたらしいぜ! これで私の村を守りなさいって」


 だいぶ誇張された噂をさらに誇張して、ユンダは伝えた。


「だから、この後来ると思うぜ!」


 ユンダがそう言ったときだった。


「なんだ、もう先客がいたのか、一番だと思ったんだが」

「もう、あんたがボサっとしてるから一番乗り逃したじゃない」

「おーい、食糧とテント持ってきたんだが、どこに置けばいい?」


 次から次に冒険者が集まってくる。


「公爵令嬢が、見ず知らずの私たちのためにこれだけの人を――」

「さすがルシアナ様だ! 俺たちの恩人だぜ!」


 族長は「信じられない」という顔で、団長は「信じていたぜ」という顔で、集まってくる冒険者と物資を見た。

 この様子を見て、村人たちは思う。

 本来、村に残るか逃げ出すかを決めるための会議であったのに、これでは逃げる選択肢はもうないと。

 だが、さっきまで村人が抱えていた不安は、一気に消え失せたのだった。

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