目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第143話

 いきなり、ルシアナの正体がバレてしまった。


「な、なんのことかしら? シア、聞いたことがない名前ですわね。私はルシアナ・マクラス! シャルド殿下の婚約者で未来の皇太子妃、いえ、この国の王妃であるルシアナ・マクラスですわよ!」

「わふ」

「ウキ」


「とってもいい匂いを纏っているけれど、聖女様の匂いに間違いないと――」

「え? 神獣様、この臭いがいい香りなのですか!?」


 ルシアナにとっては酷い臭いでしかないのだが、神獣にとっては美味しそうな香りらしい。

 嗅覚というのはわからないものだと思った。


「ルシアナ様、なんでこちらの方が神獣様だとわかったんですか? 見た目、ただの犬ですよね?」

「それはマリアから報告を受けていたからですわ。こちらの神獣様と、そして、こちらの森の賢者様の事を――」


 とルシアナは神獣と森の賢者をそれぞれ見て――不思議に首を傾げる。


「あら、森の賢者様、先ほどと毛の色が……」


 森の賢者の色が灰色から白色に変わっていた。


「あぁ、見えてるんだな、ルシアナ様。俺には全く見えてないんだけど」


 その手には、森の賢者がさっきまで着けていた、髪の色を変える腕輪が握られている。

 首飾りとして付けているので、簡単に着脱できるのだ。

 同じ物は神獣も装着している。

 何故、二匹がその腕輪を着けているのかというと、それがないと普通の人間には姿を見ることができないからだ。

 ただ一人、ルシアナを除いて。


「ウキっ!」


 勝手に取るなと言ったかのように、森の賢者が腕輪を取り戻して着けた。


「くっ」


 まるで追い詰められた事件の真犯人のように、ルシアナはその場に跪く。


「シアさん! いえ、ルシアナ様! 俺たち、ずっとルシアナ様にお礼が言いたかったんだ。あの時は――」

「待ってください、団長さん! それ以上は言わないで下さい。私は何もしていません。私は悪い人間です。いいですか、絶対にお礼を言わないで下さい」

「聖女様、それはどういうこと――」

「族長さん、待った! 聖女なんて以ての外です! 私は聖女ではありません!」


 ルシアナがそう宣言する。


「わふ?」

「ウキ?」


 何をしているのかわからないという感じに首を傾げる二匹に、マリアがそっと呟く。


「人間というのは難しいのですよ。お二方が思っている以上に」





 なんとか、二人には、シアの正体がルシアナだったということは黙っていてもらうことはわかってもらえた。その理由まではよくわかっていないようだったが。


「それで、村の様子はどうなのですか? 魔物の様子は? 村人と冒険者の間にいざこざは起きていませんか?」

「今日訪れた魔物は七十六体。特に昼過ぎが多く、今日は巨大なワニのような魔物が現れました。名前ははっきりとしませんが。それが原因で揉めています」

「新種ということですか? 珍しい魔物だから、どちらが退治したかで、その素材の取り分で揉めていると?」

「いえ、スモールワイルドダイルか、ビッグレッサーゲーターかで揉めていまして」


 なんでも、ワイルドダイルというのは巨大なワニの魔物で、その亜種の小さいものがスモールワイルドダイルという名前であり、レッサーゲーターは小さなワニであるのだが、その亜種の大きいレッサーゲーターがビッグレッサーアリゲーターと呼ばれるらしい。

 まるで、蝙蝠は鳥か獣か? というような論争である。


「どう違うのですか?」

「どちらも同じでしょう。ただ――」

「そのようなつまらないことで喧嘩になるくらいには、緊張感があると……まぁ、七十六体は確かに多いですね」


 ルシアナが村を去る前日の魔物の数は四十体程だった。

 それが倍近く。

 しかも、ワニは嗅覚が鋭いとはいえ、森の遥か奥深くの沼地に生息している魔物であるそうだ。

 そのスモールワイルドダイル? ビッグレッサーゲーター? が、ここに来たというのは、それだけ墓守の黴の効果の範囲が森深くまで広がっているのだろう。

 これからもっと増える可能性が高いというのだから、困ったものだ

 村に訪れた冒険者は四十三名。 

 うち、四名が昨日と今日、去ったそうだ。

 つまり、三十九名が残っているということになる。

 結構辛い仕事だが、数が多いのは、報酬が十倍であり、完全成功報酬制だからだろう。

 真剣な表情で書類に向き合っているルシアナを見て、族長が言う。


「……最初は俄かには信じられませんでしたが、その姿、本当に聖女さ――シア様なのですね」

「ええ、残念ながらそうですよ……本当はただの修道女のシアの方が気楽でいいんですけどね」


 ルシアナがそう言って苦笑する。


「でも、いまだけはこの公爵令嬢の肩書きも悪くないと思っています。少なくとも、シアには動かせない人たちは動かせるのですから」


 と言って、ルシアナは冒険者を思い浮かべて言った。

 彼らは、ルシアナの財力と、そして冒険者ギルドに無茶を言う権力、その両方があって集まった人材である。


(自分で捨てたい捨てたいと思っていた肩書きを、都合がいい時だけ利用するなんて、それこそ悪役令嬢ですね)


 とルシアナが心の中で呟く中、族長もまた口に出して呟いた。


「……ですが、シア様――我ら、動かぬはずの森の民の心を動かしてくれたのは、公爵令嬢の肩書きなど持たない、ただのシア様だったんですよ」


 だが、その言葉は誰の耳にも届かず、夜の僅かに冷えた空気の中へと消えていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?