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第158話

 その年の夏、ヴォーカス公爵領の領主町は祝賀ムードに包まれていた。

 レギナ王国との完全停戦に加え、各地で騒ぎを起こしていた魔物の騒動も解決を迎えた。

 街には大量の魔物の素材が安価で出回り、魔物の素材を扱う職人たちは嬉しい悲鳴を上げていて、それらによって作られた製品の輸出、そして今回の戦いで街の冒険者たちに振舞われた莫大な報酬により、領主町は稀に見る好景気に沸いていた。

 正確には、魔物の騒動が完全に解決したわけではなく、小麦の開花時期が終わったことにより事態が落ち着いただけで、来年以降も同じような事態が起きないとは言い切れない。

 いや、起きる可能性の方が高い。

 だが、直接魔物と戦うわけではない街の人たちにとって、好景気のキッカケとなった魔物の大発生は歓迎するとことであった。

 それに、なにより、とある魔法薬の発明により、その魔物退治が安全に行うことができるとなったら猶更である。

 事態は数年で終息すると発表があったのだが、一生続けばいいのにと言い出す者が現れ出す始末だ。

 そして、その魔法薬の開発者には、街の人から敬意と感謝の念が向けられるのは言うまでもない。


「見ろ、あの馬車に乗ってるの、魔法薬を作った凄い薬師様じゃないか? 聞いていた話と一致するぞ!」

「そういえば、今日、勲章を授与されるために街にいらっしゃるのよね? でも、あの人、あんまり凄い人には見えないけど」

「能あるグリフォンは爪を隠すって言うだろ。凄い薬師様っていうのは、平凡に見えるものなんだよ。おおい、薬師様、ありがとうございます!」


 その言葉に、ぎこちない笑みで手を振るのは修道服姿のルシアナ――の横に座っている青年団の団長であった。


「団長さん、凄い人気ですね。いえ、救世の魔法薬の開発者である英雄ケルス様ってお呼びしたほうがいいですか?」

「遠慮したいですね。私は国を救った英雄なんて柄ではありません。あと、魔法薬じゃなくて呪法薬ですし、私が行ったのは薬の開発ではなく再現なんですけど」


 この数カ月で、団長――ケルスの敬語もかなり上達した。

 味覚を変える呪法薬の開発により、公爵領内だけにとどまらず、周辺の領地も含め、多くの街や村が救われた。その結果、彼は多くの貴族や富豪に会う機会が設けられたのだが、どの貴族もルシアナのようにラフに話していい人物ではない。むしろ、きっちりとした言葉遣いでないと不敬だと言い出す者もいる。

 そのため、ケルスは公爵家の屋敷で、どの貴族と会っても問題ないようにセバスチャンに徹底的に言葉遣いや食事のマナーを叩きこまれることとなった。


「それで、ルシアナ様――例の件ですけれど」

「……申し訳ありません。進展はありません」


 一つ目巨人が倒された後、ケルスは一人、村に戻ってきた。

 そこで、彼は謎の人物が村を見張っていたこと、森の賢者が彼を逃がすために一人残ったことを伝えた。

 だが、どういうわけか、その人物の人相は愚か、性別や年齢までも、彼はすっかり忘れていた。

 確かめるために魔物退治を終えた騎士たちとともにケルスはその場所に向かったのだが、謎の人物も森の賢者の姿もそこにはなかった。

 そして、森の賢者はそれから村に戻ってくることはなかった。

 神獣が言うには、森の賢者は普通の生物ではなく霊獣であり、彼が死んだら自分にもわかる。だから、死んではいない。それに、捕まることもない。森の賢者が本気になれば、精霊の身体となり、壁や鉄格子などもすり抜けることができるからと。

 だとすると、何故村に戻ってこないかわからない。一応、周辺の捜索及び、情報収集も行っているのだが、ルシアナのところまで成果は上がってきていない。


「やっぱりそうですか。まぁ、そのために私が英雄に担ぎ上げられたんですけど」


 森の賢者がいなくなり、一番心配していたのはケルスだった。一週間以上森の中、山の中を探し回り、それでも見つけられなかった。

 そんな時、ルシアナやカインが騎士隊を使って捜索を命じているのを見て、思った。

 力があれば、ただひたすらに森の賢者を探すよりも効率がいいのではないか? と。

 英雄に担ぎ上げられた彼は、貴族たちから提示された多大な報酬を断り、それを使って森の賢者を探してもらうように頼み、貴族たちもそれを引き受けた。全ての貴族が捜索に尽力しているわけではないだろうが、彼一人で探すよりも捜査網は確かに広がっている。

 森の賢者が攫われたのではなく、自分の意志で去った場合、彼が本当に姿を隠そうと思えば、髪の色を変える魔道具を外すだけで、ルシアナ以外の人間から姿が見えなくなってしまうため、捜しようがないのだが、ケルスは、もしもそうならそれでもかまわないと言った。

 もしも無事でいてくれるのなら、自分は待ち続けるだけでも構わないと。


「少し、団長さんのことを尊敬しました」

「え? なんですか、急に。尊敬しているのは私の方ですよ。ルシアナ様がいなかったら私は今頃鉱山奴隷として――」

「それはもういいですから。ただ、大切な方が、無事であればいい。もしも無事でいてくれたら、待ち続けるだけでも構わない。そう思える団長さんが、本当に素敵だって思ったんです」

「ルシアナ様……もしかして、待っている方がいらっしゃるんですか?」

「ええ。最近、待つのも疲れてきたと思っていたのですが、でも、ケルスさんを見ていたら、待つのも悪くないなって思えるようになりました。神獣様もおっしゃってるんです、きっと森の賢者様は大丈夫ですよ」

「そうです……ね。はい、私もそう思います」


 その後、街の議事堂で、カイトの前に跪き勲章を受け取る彼の姿は非常に凛々しく、まるで本物の英雄のようであった。少し前まで農家だったとは思えないほどに。


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