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第160話

 とはいえ、兄であるカイトから与えられた書類仕事はしっかりこなす。

 特に周辺の大都市では大量の魔物素材と財を得た冒険者による豪遊で好景気に潤っている反面、村などでは魔物によって荒らされた畑による作物被害が深刻となり、都市部と地方との貧富の差が大きく広がった。

 それを解決するための施策は大雑把には決まったが、細かい調整などの書類の確認は、それこそ猫の手も借りたいくらい大忙しになっていたのだ。

 結果、悪役令嬢の練習を明日からすると言っていたルシアナだったが、練習は何もできずにいた。


「このままでは、立派な悪役令嬢になれません」

「ええ、お嬢様。これは深刻です。最近お嬢様がやったことといえば、調度品の磨き方がなっていないと新人の侍従見習いをしかりつけ、正しい調度品の磨き方を指導したことくらいですね。逆に、お嬢様から直接指導いただいたととても感謝していたようです。お嬢様、ここ数カ月の村での暮らしと書類仕事ですっかり悪役令嬢の才が失われてしまったのではありませんか?」

「――っ!? なんてこと、この私に!? 稀代の悪女であるルシアナ・マクラスに悪役令嬢の才能がないなんて……」


 ルシアナはそう言って項垂れる。

 もう数日後には王都に戻り、さらに数カ月後には学園生活が始まるというのに。


「そうですね、どこか見本になる方がいたらいいのですけど(さすがに物語の悪役令嬢だけでは演技の幅も限界がありますし)」


 マリアが困ったように言うが、しかし、公爵領内にいる貴族と何度も会ったが、全員優しい子が多く、ルシアナの求める悪役令嬢像とは程遠かった。


(なんてことでしょう。王都の学園ではルシアナの取り巻きはほぼ全員一流の悪役令嬢と言って差し支えのないほどの粒揃いでしたのに)


 もっとも、その一流の悪役令嬢像も前世のルシアナの立ち振る舞いに比べれば霞んで見えるほどだったが。


(はぁ、前世の私に指導を賜りたいですわ……ん? 前世の私?)


 ルシアナは考える。

 確かに、これまでの自分の悪役令嬢としての立ち振る舞いは、前世の自分の行動を真似していることが多かった。

 しかし、修道女として更生したルシアナは、いくら前世を真似してもどこか甘さが出ていた。

 さらに過去の記憶が朧げになってきた最近は、マリアから教えてもらう悪役令嬢像を模倣していたが、そちらは本当の自分の姿とは少し違う悪役令嬢なので演技が疎かになり、どこかチグハグな感じになり、さっきマリアに言われたように、相手を蔑むように言う予定が、単純に仕事のミスを注意して指導する教官のようなポジションになっていた。

 これではうまくいくはずがない。

 だが、ルシアナは突破口を思いついた


「私は修羅に入らないといけないようですね」

「お嬢様、何をするつもりですか?」

「自分と本気で向き合います」


 ルシアナは記憶回復薬と味覚改変ポーション、この二種類を手に入れた。

 この二つがあれば、強烈な甘みさえ我慢すれば過去の記憶を取り戻せる。

 つまり、前世の自分の行動を思い出せる。


「マリア、暫く一人になります。何が聞こえても、絶対部屋には誰も入れないでください」

「お嬢様、一体何を――」

「大丈夫です。体に害はありませんから」


 ルシアナはそう言って自室に入ると、味覚改変ポーションを飲んだ後、記憶回復薬を服用した。

 人間、甘すぎる物を飲むとこれほど大変なことになるのか――という何度目かの後悔の後、学園時代の自身の記憶――つまり、悪役令嬢時代の自分の記憶がよみがえる。

 いくらルシアナが目指す理想の姿であろうと、今にして思えばそれは恥部であり、本当に恥ずかしい姿であった。


(いやぁぁぁぁぁぁぁっ!)


 甘さでとろけた脳に、この記憶は衝撃が強すぎる。

 思わず叫びたくなったルシアナだが、そんなことをすればいくら注意したとはいえマリアが部屋の中に入ってきてしまう。

 ルシアナは軟らかい枕を口に押し当て、じたばたと悶えた。

 そして、また一本、もう一本と記憶を呼び戻してはじたばたする。


 そんな日が続き――



「これから王都に向かうっていうのにこの服はいったいなんなのかしら? 私にこんなみすぼらしいドレスで帰れって言うの?」

「申し訳ありません、お嬢様。いますぐ新しいドレスを用意いたします」

「そうね、シャロン服飾店で流行になっているドレスがあるから明日までにそれを用意しなさい。そうしたら許してあげるわ」

「待ってください、シャロン服飾店は王都の店――こんな夜更けでは行商人を手配できませんし急いでも――」

「あら、あなたが走ればいいんじゃありませんか」

「遠すぎて私の足ではとても――」

「走れないっていうの? あなたの足は私の簡単な命令すら聞けないっていうの? そんな足、必要ないんじゃない?」

「お嬢様――おやめください、足が――」


 ルシアナの閉じた扇がマリアの太ももに強く押し付けられる。

 そして、暫くそれが続いた後、


「どう? マリア?」

「お嬢様、凄いです! よくこの短時間でここまで――」

「あ、ごめん、足、痛くなかった? すぐに治療を――」

「大丈夫です、このくらい私でも治せますから――ヒール」


 本当は少しの間だけ痕が残るくらいの治療も必要のない傷なのだが、ルシアナが気にするといけないので魔法で治療をする。

 それを見て、ルシアナが胸を撫で下ろした。

 本番と同じようにとマリアから要望がなければ、さすがにここまではしなかった。

 ちなみに、これはルシアナが前世で実際にやったことがあるやりとりの一つというのだから、本人もドン引きである。


「でも、さすがに他の人に同じことはできませんね」

「それは大丈夫でしょう。王都の別邸でもお嬢様がいじめていたのは私だけということになっていますので」

「そう……そうね。でも、傷つけるのはやっぱりダメね。うん、お茶を掛けるとかその程度にしたほうが」


 そう言われて、多少の傷なら回復魔法で治せるけど、お茶で服を汚されたら染み抜きが大変だとマリアは思ったが、そのルシアナの優しさに何も言わなかった。


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