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第27話 誰にも届かない『アタシ』の声

 森実駅から電車に揺られて3時間。


 そこから歩いて30分。


 よこたんと俺は星美町のとある団地へとやってきていた。


 風がびゅびゅうと吹き抜けていくなか、俺は爆乳わん娘に導かれるまま、団地の3階へと足を進める。


 階段から上がってちょうど右に3部屋移動したところで、それを発見した。




「ここか、古羊の家は」




 よこたんが小さく頷いた。


 そこには太文字で『古羊』と書かれた表札があった。


 間違いない、ここが双子姫の実家だ。


 よこたんは何ら躊躇うことなく玄関のドアを開け、家の中へと入っていく。




「ただいまっ! お母さん、メイちゃんはっ!?」

「えっ? よ、洋子!? な、なんでココに!? 学校はどうしたの!?」

「サボった!」

「えぇっ!?」




 扉の奥から2人によく似た女の人が、驚いたような声をあげた。


 口ぶりから推測するに古羊姉妹の母親なのだろう……たぶん。


 なんか2人をさらに小さくしたような女性なので、ちょっと自信がないが……おそらく母親で間違いないと思う。


 古羊の母親(?)は娘から視線を切ると、その後ろに控えていた俺の存在に気がついた。


 途端に警戒心をたっぷりと潜ませた瞳が、俺の肌を突き刺した。




「あ、あの? 失礼ですが、どちら様ですか?」

「あっ、こんにちは。俺、じゃなくて僕は古羊……娘さん達と同じ高校の同級生で、大神士狼って言います」

「はぁ……? 大神くん、ですか?」




 なにやらいぶかしんでいるような瞳で俺を見据える、古羊の母親。


 よこたんは、そんな母親の横を通り過ぎながら「ししょー、こっち!」と俺を手招きしてくる。


 俺はもう1度だけ親御さんに頭を下げながら「お邪魔します」と言ってマイ☆エンジェルの後をついて行った。


 よこたんは迷うことなく廊下を歩き、部屋の1番すみっこの、『めい』と書かれたプレートつきの扉の前まで移動する。鍵つきだ。


 心なしかこの一帯だけ空気がどんよりと重いように感じる。


 おそらくこの部屋に古羊がいるのだろう。


 なんて声をかけるか少し黙っていたら、




「……だれ?」




 と向こうから声をかけられた。


 しかも以外とすぐ近くから。


 もしかしたらドアのすぐ反対側に張りついて、聞き耳を立てていたのかもしれない。


 その声はいつもの鈴を転がしたような声ではなく、一晩中泣きつくしたかのようなガラガラ声だった。




「大神だ。こんなところに居たのかよ古羊」

「……大神くん? なんでウチに? ……って、そうか。洋子の仕業ね」




 ひどく憔悴しょうすいしきった声に思わず拳を握りしめる。


 これが本当にあの古羊芽衣なのだろうか?


 声に張りがなく、今にも消えてしまいそうな篝火かがりびのような印象を与える声だった。


 俺の知っている古羊とはあまりにもかけ離れた声に戸惑いを隠せないでいると、その隙を縫うように古羊の方から口を開いた。




「それで? 何しにきたの、大神くん?」

「話を聞きに来た。ついでに連れ戻しにもな」

「話って……。別に話すことなんて何もないわ」

「――佐久間に会ったんだろう?」




 扉の向こうで息を飲む音が聞こえてきた。




「よこたんから全部聞いた。一昨日の歓迎会の帰りに佐久間に会ったこと。それからお前の様子が変わったことも、全部な」

「……そっか、聞いちゃったかぁ」




 乾いた笑みが部屋の奥で木霊する。


 あまりにも痛々しい笑い声に、俺の方が耳を塞ぎたくなった。




「えぇ、そうよ。一昨日、アタシは佐久間くんに会ったわ」




 震える声が聞こえる。




「そのショックで家に帰らなかったのか?」

「……違う。た、確かにその時はショックだったし、怖かったけど……佐久間くんに会ったことは早く忘れようって。いつものアタシに戻ろうって。そう思ってたの。で、でも……それからすぐに」




 ――佐久間くんに、また襲われたの。




 古羊はそう言った。




「す、スーパーで洋子とはぐれた隙に近寄ってきて、な、なな、『なに勝手に引っ越してんだ、殺すぞ?』とか……。に、にに、に、『2度とぼくに逆らえないように、もう1度とボコボコに殴ってやろうか?』とか……。ま、『前に出来なかった続きを今してやるよ』って、ズボンの中に手を突っ込まれてぇ……うぅ……ッ!?」

「…………」




 俺は絶句していた。


 そこまでするかよ……。


 胸の奥に言いようのないドス黒い感情が、腹の奥に溜まっていくような錯覚を覚えた。


 それでも、なおも古羊の独白は続いていく。




「そ、そのときは人が来たから、佐久間くんも逃げて行ったけど……。あ、アタシ怖くなってぇ……。ま、また襲われるかもって思うと、こ、怖くてぇ!? 怖くてスマホの電源を切って、1日中町の中を逃げ回ってぇ!? 家にも、学校にも帰ることが出来なくてぇ!? こ、怖くて、怖くて怖くて、なにもできながっだぁ……ッ!?」

「古羊……」

「あ、アタジざ……」




 涙でくしゃくしゃになった声が、




「ただ、居場所が欲しかっただけなんだよ……?」




 嗚咽おえつに変わり、部屋に流れ落ちる。




「こ、ここに居ていいんだって……。生きていて、いいんだって……。普通に暮らせる居場所が欲しかっただけなんだよ……? だ、だから、みんながアタシを知らない学校に進学して、中学生のときのツライことは忘れて、イチから頑張ろうって思ったんだよ? 洋子にも協力してもらって、生まれ変わろうって。もう1度、頑張ってみようって。本気で思ってたんだよ? ……でも、ダメなの? アタシみたいな人間は、どんなに頑張っても、ダメなままなの? がんばっても、がんばっても、アタシみたいな人間には居場所なんて、どこにも無いの……?」




 その誰にも届かない小さな声は、俺の鼓膜を突き破って、脳髄を震えさせるには充分だった。


 俺たちを隔てる1枚の壁。


 その向こう側で、迷子の子羊が傷つき、倒れ、たった1人でぽつんと座り込んでいる。


 その姿を想像するだけで胸が痛くなった。


 でも今の俺じゃその壁を――越えられない。


 超える術がない。


 それが酷く、もどかしい……。


 気がつくと、俺は血が滲むほど強く拳を握りしめていた。




「もうイヤだ……もうイヤだよぉ。こ、こんなに怖くちゃ、アタシ生きていけないよ。もうここから出られないよぉ……。ど、どうして? どうしてアタシばっかり、こんな目に遭わなきゃいけないの? そんなにアタシ、悪いことした? ねえ、どうしてぇ……?」

「古羊……」

「……アタシ、もう死んでしまいたい……」




 静かに涙を流す古羊の声音が、俺の耳朶を叩いた瞬間。


 ――カチッ。


 俺の中で『ナニカ』のスイッチの入る音がした。


 気がつくと、俺の唇が勝手に動いていた。




「それ、嘘だろ?」

「……へっ?」




 扉の向こうから古羊の呆けた声が小さく響いた。




わりぃな、変なことを言って。でも俺には、どうしてもお前が『生きたい!』『生きていたい!』って言っているようにしか聞こえねぇからさ」

「~~~~~ッッ!? う、うるさいっ! アンタにアタシのナニが分かるっていうのよ!?」




 泣き叫ぶような古羊の怒声が俺の肌を叩く。




「もう帰って! アンタの声なんかもう聞きたくないの!」

「もちろん古羊が心の底から『帰ってくれ!』って願うのなら、俺は納得してこの場から消えるわ。……でもな? もし古羊の本当の気持ちが違うって言うのなら――そのときは俺が何とかしてやるよ」

「ほ、本当の気持ち……?」




 困惑した声音が扉の向こうから零れ落ちる。


 俺はその小さな、本当に小さな祈りのような彼女の願いを溢さないように、しっかりと古羊の声に耳を傾け続けた。




「なぁ古羊? おまえはナニがしたい? ナニを望みたい?」

「あ、アタシは……アタシ、は……」




 古羊の声がか細く震える。


 それはまるで小さな祈りのように。


 吐息1つで消え去ってしまうほど、か細い声音で。


 彼女はそっと、ささやかな願いを口にした。




「……嫌だ。もう過去の影に怯える毎日は送りたくない。佐久間くんの思い通りになんかなりたくないっ!」




 嗚咽おえつまみれながらも強い意志を持ってハッキリとそう口にした彼女の言葉が、大音量となって俺の身体を駆け抜ける。


 もう彼女の声を止める者など、誰も居なかった。




「アタシは生まれ変わりたい……」

「うん」

「自分の居場所を見つけたい……」

「うん」

「ちゃんと『ここに居ていいんだよ』って、みんなに認められたい!」




 だから。だからっ! だからっ!!




「――たすけて、しろぅ……」

「分かった」




 俺は静かに頷きながら、扉の向こうで泣きじゃくる古羊に明るい口調を心掛けながらハッキリとこう言った。




「それじゃ、なんとかしてくるわ」

「な、なんとかって……?」

「『なんとか』はなんとかさ」




 そういってにこやかに笑いながら、俺は古羊の部屋を後にした。


 そのまま古羊の玄関へと向かいながら、後ろをついて来ている爆乳わん娘に声をかけた。




「よこたん、悪いが案内を頼むわ」

「へっ? い、いいけど……どこへ?」




 何処どこへ、だと?


 そんなの決まっているだろうが。


 俺はコテンと首を傾げるマイ☆エンジェルの方へ振り返りながら、宣言するように唇を震わせた。




「――あのクソ野郎佐久間のもとまで……ッ!」

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