「シクシク……もうお婿に行けない……」
夜空の星たちが騒ぎ始める午後10時。
俺は古羊姉妹が住まう高級マンションへと続く道を、涙で顔を濡らしながら歩いていた。
「自業自得ね。エッチなことを考えてたから、バチが当たったんだわ」
「げ、元気出してよ、ししょー」
この世の地獄のような合コンが終わり、俺が得たモノ。
それは彼女でも、ちょっとしたプライドでもなく、思い出したくない黒歴史であった。
「ま、まぁ確かに水着姿はちょっとショッキングな映像だったけどさ? 誰も口外しないって約束してくれたんだし、もう気にしない方がいいよっ!」
「約束というか、誰もあの大神くんの姿を思い出したくないだけでしょ? だってトラウマ確定モノのグロ画像だったじゃない」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!?」
「も、もうメイちゃん! そんなこと言っちゃメーでしょ?」
周りに誰も居ないということもあり、いつもの素に戻った古羊が容赦なく俺のセンチメンタルハートを傷つけていく。
マジで何でみんなこんな女を『女神』だとか『天使』だとか言っているんだろうか?
気でもおかしいんだろうか?
「そ、そうだ! そういえば昨日の帰りにね、すっごい美味しいお菓子を見つけたんだ! ししょーの分も買ってきてあげるから、ちょっと待ってて!」
「いや、別に俺いらない……って聞いてないし」
よこたんが架空のシッポをブンブンと振り回しながら、ピューッ! とコンビニの中へ消えて行く。
ちょっと?
『人の話は最後まで聞きましょう』って、通知表で書かれなかった?
仕方がないのでコンビニの入口から少し外れたところで、よこたんを待つことに。
「古羊は行かなくていいのかよ?」
「別に欲しいモノも無いし、いいわよ。それよりも」
「?」
古羊は持っていたバックから、2本の割りばしを取り出した。
そこには1番と「王様」の文字が書かれている。
「洋子が出てくるまで少し時間があるし、さっきの王様ゲームの続きしない?」
「2人だけでか? つかおまえ、コレどうしたんだよ?」
「ちょっと
そう言って古羊は「南無南無」と口ずさみながら、たった2本だけのクジを自分の手の中でシャッフルしていく。
「ルールはさっきと同じで、王様の命令は絶対ね」
「……へいへい。本当におまえは、言い出したらきかねぇヤツだなぁ」
「文句言いながらも、いつも付き合ってくれるクセに。アタシのこと大好きかコノヤロー?」
ウリウリ♪ と、肘で俺の身体をつっつく古羊。
そのなんでも知ったような視線が少し腹立つ。
何なのおまえ? なんでも知っているの?
それとも何でもは知らないの? 知ってることだけ?
どこの委員長ちゃんですか、おまえは?
委員長ちゃんほど、おっぱい大きくないクセにっ!
「あっ! ちなみに『おっぱい』を揉ませろとか、エッチすぎる命令はナシね」
「おいおい? 何が悲しくて、おまえの
「大神くん。右と左、どっちがいいですか?」
「ごめんなさい! 自分、調子に乗りました! だから拳を下ろしてください、お願いします!」
「いいんですよ。ただ……次はない」
瞳孔が完全に開き切った目が俺を射抜く。
うん、女子校生がしていい
超怖い、メッチャ怖い。あと怖い。
「ほらっ! 余計なコト言ってないで、さっさとクジ選びなさい。洋子が出て来ちゃうでしょ」
「はいはい」
「『はい』は1回ッ!」
「はいっ!」
バカみたいなやりとりをしながら、右側のクジに手をかける。
それでいいわね? と確認してくる古羊に「おう」と小さく頷いて答えた。
「じゃあいくわよ? ――王様だぁ~れだ?」
俺が引いたクジは……1番だった。
「よし! アタシが王番ね。どんなお願いにしようかしら」
「チッ……わかったよ。行けばいいんだろ? 合コンの数合わせに」
「アンタ、この状況でよく自分の欲望を口に出来るわね……」
そんなお願いは絶対しないから、と念を押される。
そっか……絶対しないのか、と俺がちょっと凹んでいると。
「――『士狼』」
「はっ? なに? 命令、決まった?」
「えぇ、決まったわ『士狼』」
「ふむふむ、それで? 命令はなにさ? ……というか、なんでさっきから俺のことをファーストネームで呼ぶわけ?」
「だから命令よ、命令」
「?」
イマイチ古羊の言っていることが理解できない俺は、首どろこか身体ごと傾けてみせる。
そんな俺に向けて、古羊はその白魚のような真っ白な指先を向け、ニッ! と笑みを深めてこう言った。
「今から大神くんのことを『士狼』って呼ぶから。大神くんはアタシのことを『芽衣』って呼びなさい」
「はぁっ? 待て待て古羊、どうしてそういう話しに」
「違う、芽衣」
古羊はビー玉のように澄んだ瞳でまっすぐ俺を見上げた。
その絶対に
「王様の命令は絶対」
「いや、でもさ? いきなり女の子を下の名前で呼ぶのは、童貞にはレベルが高いと言いますか……」
「芽衣」
「うぐっ!? だ、だから……」
「リピートアフタミー、芽衣」
「……芽衣、さん」
「『さん』はいらない、もう1回っ!」
おかわりを要求された。
ちょっとマジで勘弁してくださいよ!
モテない男が女の子を下の名前で呼ぶのに、どれだけの勇気と覚悟がいると思っているんだ、テメェ!?
毎回学校の屋上から、紐なしバンジージャンプをしているようなもんだぞ?
「はいっ、もう1回っ! もう1回っ! もう1回っ! もう1回っ!」
「嘘でしょ会長? 覚悟決めすぎでは……」
今にも『ヘイヘイバッタービビってる!』と野次が飛んできそうなレベルで腰が引けている俺に、追い打ちをかけてくる我らが生徒会長様。
どうやらバッチリと覚悟完了し終えている古羊は、この程度では引く気がないらしい。
というか、アレ?
いま思い返してみたらさ、コイツが俺に対して引いたことなんて1度もなくない?
うん、ないわ。ない。
マジかよ、コイツ。図々しさの擬人化かよ……。
「もう1回っ! ヘイ、もう1回っ! ヘイッ、もう1回っ! ヘイッ、もう1回っ!」
「め、芽衣……」
「あっ、ごめん上手く聞き取れなかったわ。もう1回言ってくれる?」
「嘘だろっ?」
「ちなみに今度はどもらずにね」
「バッチリ聞こえてたんじゃねぇか……ったく」
俺はカァーッ! と自分の顔が赤くなるのを感じながら、ぶっきら棒に古羊の名前を呼んだ。
「……芽衣」
「よろしいっ!」
古羊……じゃなかった、芽衣はイタズラ小僧のようにニシシっ! と笑った。
その姿に俺は思わず「なるほど」と納得してしまう。
確かに芽衣は『天使』のようだ、『堕天使』だけど。
「おまたせ2人とも! 見て見て! 新商品のお菓子があったよ! ……って、なんで顔を赤くしてるの、ししょー?」
「さぁ? なんででしょうねぇ~」
俺の代わりに芽衣がニマニマと頬を緩ませながら答える。
そんな芽衣の様子に、よこたんは「うん?」と首を傾げてジロジロと俺達を観察し始める。
あ、あまり見ないで!
士狼、恥ずかしい!
そんな気持ちが天に届いたのか、芽衣は妹の片手を取って歩きはじめた。
「ほらっ! 今日はもう遅いし、はやく帰るわよ2人とも」
「あっ!? 待ってよ、メイちゃ~んっ!?」
よこたんがいつもの台詞を口にしながら、芽衣の背中を追って行く。
そんな2人の背中を見送っていると、芽衣がクルリとこちらに振り返り。
「ナニをしているの『士狼』? はやく来なさい」
「……へいへい」
「『ヘイ』は1回っ!」
「へ~い」
堪えきれずに笑う芽衣の姿は、優しく降り注ぐ月光の光と相まって、本当に女神様に見えた。