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第2話

 鍛錬場には木で出来た的がある。それを打ち付けるだけの簡単なものだが、一心不乱に打ち付けて的が壊れるまで続ける。こうして汗をかいた後のレモネードが最高に美味しい。


「……【レモネード】」

「!【レモネード!】」

「‼【レモネードォ!】」


 頭の中は大好物のレモネードで一杯だ。あの一杯を飲む為にギルバートは日々色んな事を頑張っていると言ってもいい。


 やがて木の的が折れた。ここで終了だ。良い具合に汗もかいたし、これできっと今夜もぐっすりだ。おっといけない、その前にレモネードを飲まなければ。


「サイラス【済まないが上着をくれ。汗をかいた後冷えると風邪を引いてしまうからな】」

「はい」


 サイラスはギルバートに上着を羽織らせると、騎士達に頭を下げていつものようについてきた。


            ◇◇◇

「……行ったか?」

「ああ」

「今日も凄い迫力だったな……」

「ああ。俺達が束になっても絶対に敵わないな」


 騎士たちは真っ二つに割れた木の的を見下ろしてゴクリと息を飲んだ。


 的を支える為に中心に入っている鉄の棒までポッキリ折れている。


 戦場のギルバートは『グラウカの冷徹な銀狼』と呼ばれているが、その名の由来はあの強さだ。戦場にギルバートが出て来るだけで大抵の国の兵士は怯える。


 単騎で戦場を駆け抜け、早々に敵陣の真っただ中に突っ込んで行って、歯向かう者達全てを薙ぎ払い、あっという間にいつも大将の首をとってくるのだ。


 何よりも恐ろしいのは、その間ギルバートは目を固く閉じているという事だ。


 口を引き結び甲冑もつけずに戦場を駆ける姿は、まさに銀狼。


 その美しすぎる氷の彫刻のような姿も相まってそう呼ばれている。


「あれはやっぱり、お前らの顔など見る価値もないって事なんだろうな」

「そうだろう。気配だけで敵の場所を察知して、弓まで避けてしまうんだ。あれが次期王だからな。この国は安泰だ。末恐ろしい方だよ、本当に」


 騎士達は言いながら壊れた的を片付け始めた。


           ◇◇◇


 兄弟の一人でも居ればこんな風にはならなかったかもしれない。


 ギルバートはそんな事を考えながら風呂上りのレモネードに舌鼓を打っていた。


 脳内のギルバートはとても饒舌で笑い上戸だし泣き上戸だ。


 たまに道端に咲いているタンポポの健気な姿にすらウルっときてしまう。そしてそういう時は大抵疲れている。


 けれど、それは表には一切出さない。理由は簡単だ。恥ずかしいから。そんな事をしたら恥ずか死してしまう。


「いい汗をかいた。【しかし今日のも随分硬かったな。一体何の木材を使っているんだ?】」

「はい。お見事でした」


 淡々と答えるサイラスに頷いてギルバートは大きな息をついた。決してため息ではない。安堵の息だ。今日も何事もなく平和に事を終えた、という息である。


 それなのにサイラスは何故か慌てて失礼しました、と頭を下げる。


「? ああ。【ありがとう、ゆっくり休むんだぞ】」

「それでは、失礼します」


          ◇◇◇


 そう言ってサイラスは部屋を後にした。出来るだけゆっくりと静かに扉を閉める。


 こうしないとギルバートはすぐに機嫌を損ねるのだ。以前一度だけ少し音を立ててしまった事がある。その時はすぐに咳払いをされてしまった。


 いつも無表情を貫くギルバートは、まるで蝋人形のように美しい。


 グラウカ始まって以来の美貌の王子だと地位に関係なく人気だ。そしてその気質はやはり見た目通り厳しく、冷酷だ。


 ギルバートの従者になって早十年。ただの一度もギルバートが笑っている所を見た事がない。王妃に聞いても王に聞いても見た事が無いと言う。


 そんなギルバートは一体何が楽しくて生きているのだろう? たまに不安になるサイラスである。


 しかしサイラスを始め、このグラウカで彼を嫌う者は一人も居ない。恐れてはいるが、何せ清廉潔白な人だ。全てにおいて公平に厳しい。自身の仕事が終わり、鍛錬まできっちりとこなし、不平不満は決して言わない。


 そんなギルバートに仕えている事こそ、サイラスの誇りである。

           ◇◇◇


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