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サイラスは、ホゥとため息を吐いた。ギルバートのワルツなど久しぶりに見たが、やはり美しかった。本当に男のサイラスからしても目の保養である。
ギルバートは今日の主賓のアルバの一の姫、ユエラの元に向かった。
ユエラは主賓席に座り、婚約者のキースと楽しそうに歓談している。そこへギルバートが後ろからそっと声を掛けた。
「お話中、失礼します。本日はお招きいただきありがとうございました。私はこれで下がらせていただきます」
「あれ? もう戻っちゃうの?」
ギルバートの言葉にキースは意地悪く笑い、ユエラは口に手を当てて、まぁ! と驚いた。何を驚く事があるか。ギルバートのロタに会うという使命は終わったのだ。もうここには用はない。
「もう戻られるの? まだ私と踊っても居ないのに?」
「ええ。欲しかった情報は得られたので。【キャンディハートさんの新刊とか、白パンの尊さとかな!】」
「まぁ……情報、ですか。その為に今日はいらしたの?」
「いいえ? あなたのお祝いに来たのですよ。ですが、思わぬ収穫があったというだけです。それに、私は婚約者以外とは踊らない主義なので。それでは、失礼します。【いいから早く帰らせてくれ!】」
それだけ言ってギルバートはクルリと踵を返して歩き出した。後に続こうとしたサイラスの耳にユエラの声が聞こえてくる。
「……グラウカの銀狼は噂通りの方なのね。とても美しいけれど、冷酷で薄情な方。悪役令嬢にはピッタリだわ」
「いいじゃない。とってもお似合いだと思うよ、僕も」
「……」
サイラスは思わず殴りかかりそうになるのを堪えた。やはり、悪役令嬢をギルバートに押し付けたのだ。嫁ぎ先の決まらない娘を押し付けてグラウカと友好条約を結ぼうとは、何て浅ましい!
憤慨したままズンズン歩くサイラスの前で、ふとギルバートが立ち止まった。
その視線の先には中庭の大きな噴水がある。そしてそこには、会場から退場したはずのシャーロットが座っているではないか。
「あれは……」
「ああ。替え玉だ【ロタと言うんだがな! キャンディハートさんの愛読者なんだ! 可愛いだろう?】」
「か、替え玉!?」
「そうだ。【ロタのどこをどう見ても悪役令嬢になど見えんだろうが!】」
「そ、そうだったんですか……なるほど、それで……いつ、お気づきに?」
「一目で【まぁ初めは天使とロタが同一人物だっただなんて思いもしなかったがな!】」
「一目で替え玉だと? 流石です、王子」
「? ああ。【それにしてもあんな所でロタは何をしているんだ? 夜風などに当たればあちこち切れるのではないか? サイラス、ちょっとロタの様子を見て来るから】お前は先に戻れ」
「! はい!」
サイラスは足早にその場を後にした。さっきギルバートが言った欲しかった情報の意味がようやく分かったのだ。
ギルバートは彼女がシャーロットではないとすぐさま見破り、彼女に近づいたのだろう。恐らく、彼女からアルバの情報を引き出す為に。ギルバートはいつでも抜け目ない。そしてさらに彼女から何かを聞き出すつもりなのだ。
サイラスは心の中でギルバートにそっと賛辞の言葉を送った。
◇◇◇
「ロタ、こんな所で何をしているんだ?」
ギルバートが噴水の淵に座るロタに声を掛けると、ロタが慌てたようにこちらを見上げた。
その顔にはしっかりと噂の仮面がつけられている。
「今度は仮面付きか」
「あ、はい。すみません、こんな格好で」
そう言ってロタはドレスの上から羽織ったショールを掛けなおした。
「いや、寒くはないか? 水辺は冷えるだろう?」
「ええ、はい。大丈夫です。えっと、ギルはどうして……ああ、あそこから?」
そう言ってロタの指さした先には渡り廊下がある。正にその通りだったので頷いたギルバートにロタは小さく恥ずかしそうに笑った。
「姫様に叱られてしまいました。ダンスまでは踊る予定じゃなかったでしょ!? って。あと、仮面を付けていなかったのも」
「それは……すまなかった」
謝りはしたものの、解せない。別にいいではないか。ダンスぐらい。まぁ仮面の方は怒られてしまうかもしれないな。素顔までは誰も変えられないのだから。後から、お前誰だ! となってしまう可能性があるものな。
謝ったギルバートを見上げたロタはブンブンと首を振る。
「いいえ! ギルが謝る事なんて何も! 私が勝手をしたからなんです! ギルに会えると思うと嬉しくてついはしゃいでそのまま出席しちゃって……はぁ、私は本当に役立たずです」
しょんぼりと項垂れたロタにギルバートは珍しく口調を強めた。
「そんな事はない! 少なくとも僕の役には立ってる。言い方は、その、良くないが」
ギルバートの生活にハリと潤いを与えてくれるのはいつだってロタだ。誰とも語れないキャンディハートさんの詩集について語れるのもロタだ。人見知りが過ぎてコミュ障なギルバートが唯一話せるのがロタだ。
【これが役に立ってない訳がない! ロタは僕の人生に絶対必要な人なんだ! まぁ……婚約者は悪役令嬢な訳だが……】
ギルバートはロタの隣に腰かけて、同じようにため息をついた。