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第18話 綿花の行方~シン視点~

 「ねぇ、シンこの世界ってゴムはないの?」


 唐突な質問を投げられたのは朝食のときだった。前の世界と違って朝に強い体質のこの体のおかげで朝から寝ぼけずにすんでいるし、アレルギーもなくなった。


 そんな冴えた頭でもなぜゴムなのかと疑問になる。


 どうやらそれは顔に出ていたのか、さらにロサは続ける。


 「洋服作るのにゴムが欲しかったんだけど、この世界って髪を結ぶのはリボンだし洋服はボタン締めか紐ばかりだからないのかと思って。」


 「今のところゴムの木がないから難しいんじゃないかな?」


 そう、この世界にはゴムがない。


 木工職人のをしている自分がその木の存在を確認できないということは少なくともこの国周辺にはないと思われる。知人の樵からも聞いたことがない。ということは、やはりないということだろう。


 「じゃぁ、リボンか紐を買いに行きたいんだけど、連れて行ってくれる?」


 ちょこんと傾げられた首に上目遣いのそれが不安げに揺れているのにどうして断ることができよう。


 今入っている仕事も急ぎは特にないので問題ない。今日やる予定のものは明日にすればいいだけだ。


 二つ返事で了解の意を伝えれば下がっていた眉尻が途端に跳ねて頬が朱に染まる。


 あ〜。ヤバイ。かわいい。


 「買い物はリボンだけ?大きいものを買うなら馬車も荷物乗るものにするけど。」


 内心を誤魔化すように他に行きたいところはないか確認してみるが、ふるふると首を横に振る仕草がまたしてもかわいい。


 先日裏庭から殲滅させたツキミタンポポは綿を丁寧に選別して糸を紡ぎ布へと変貌していた。


 青みがかったロール状の白い生地を満面の笑みで見せに来たのはまだ記憶に新しく、その姿が眩しかったのは夕陽のせいだけではあるまい。


 出かけるついでにたまには外で昼を食べよう。いつも作ってもらってばかりなのだからたまには気晴らしもさせてあげたい。


 出かけたら疲れるだろうし、夕食は持ち帰るかいっそ食べてから帰るのもいいかもしれない。


 何にせよ、今日はこれ以上キッチンに立たずにすむようにしよう。


 せっかくなら何か喜ぶ物を買ってあげよう。何なら喜ぶだろう。ぬいぐるみか、はたまた菓子か。


 ああ、あの花のように綻ぶ笑顔を見るのが楽しみだ。その為ならどれだけだって甘やかしてあげるのに。いっそのことドロドロに甘やかして他に目がいかないように、俺がいなければ生きていけないくらいに溺れてしまえばいいのに。


 そんな仄暗い下心にロサは気づかない。


 きっと気づかせてはいけない。


 愛しく可愛い人。


 早く身も心もこの腕に落ちてしまえばいい。


 想いをその手に込めるように、ぽんぽんと頭をなでて耳を伝えば肩をすくませる。耳が弱いのは今も昔も変わらないらしい。


 頬を手のこうで撫でて、今生でも敏感であろう耳にそっと唇を寄せて息を吹きかけるように囁く。


 「では30分後に玄関で。」


 竦ませた肩が可愛くて思わずその耳に口づけを落として部屋を後にした。


 朱に染まる頬を見守るのもやぶさかではないが、これ以上は追い詰めて拒絶でもされてしまえば元も子もない。


 馬車留めに二人乗り用の車体を出してゴーレム馬を一頭繋ぐ。


 座席と繋がった御者席について手綱を握り玄関へと横付ける。


 30分後などと言ったが、考えても見ればロサは化粧道具なんて持っていなかったから身支度など整える程度のものだろうし、着替えにしたって貴族でもないのだから派手な外出着などもないだろう。


 「30分なんていらなかったか?」


 ポツリと呟いて、玄関扉が開くのを待ってみるが、その扉から望んだ顔が出てきたのはきっちり30分後だった。


 「あれ?もしかして待たせちゃった?時間通りだと思ったんだけど……。」


 ひょっこりと顔を出したものの不安になる表情を安心させるようにそちらへと足を向ける。


 「待ってないよ。時間もちょうどだし。」


 「それなら良かった。」


 ため息と一緒につぶやかれた言葉をかき消すように、小さな体が外へと飛び出してくる。


 なにかに気づいて慌てたように引き戻り、玄関に鍵をかける後ろ姿に自分が一人じゃないと実感する。


 くるりと振り向いた姿に息を呑む。服装は朝食のときのそれと変わらないものの、髪型が違っていた。後ろに流していただけの髪はサイドにまとめられ三つ編みにされている。編まれた根本には大小3つの薔薇のような花が飾り付けられているが、それがどうやってつけられたのか検討もつかないが、髪の色と同じグラデーションがかかっていることから髪を器用にアレンジしたようだ。


 花の妖精みたいだ……。


 「さぁ、姫お手をどうぞ。」


 年甲斐もなく出た恥ずかしい喩えを隠すべくおどけたように馬車の扉を開いて支えながら手を差し出せば、きょとりとした瞳に見つめられる。


 冗談がすぎたろうかと内心慌てていると。


 「私姫じゃなくて冒険者じゃないの?こっちは若い女の子はみんな姫なの?」


 などと首を傾げられる。こちらの常識がわからないからこそ身分意識を明白にしておきたいのか、とりあえず掴んでもらった手を馬車の中へ引いてエスコートする。


 ペリドットカラーの柔らかなハーフケットを膝に広げてやる。御者台につながるタイプのこの馬車は馬を操るものと距離が近く会話を楽しめるがその分風をもろに食うので体を冷やしてしまうのだ。


 「ロサは確かに冒険者で裁縫師だけど、俺にとっては一国の姫と同じ価値なんだよ。」


 自分でも恥ずかしいセリフを吐いている自覚があるだけに顔をあげないようにしつつ扉を閉めレバ中から「いくらなんでも本物のお姫さまと一緒にしたら本物に申し訳ないじゃない。」などとつぶやきが耳に届く。


 そんなつもりはなかったのだが……。ただ自分にとって特別だと伝えたかっただけなのに、その目論見は失敗だったようである。


 そんなシンの胸のうちなど伝わることなく馬車は静かに走り出したのだった。

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