久しぶりの街だ。
買い物に行くってだけでテンションが上がる。
シンが家を購入して以来街には出ていなかったので改めて見るとやっぱり前の世界との違いに異国感というか、小説の物語に飛び込んだような錯覚。
まだここが自分の生きる世界だという実感に繋がっていない。
馬車の停泊所に停めて差し出された手にエスコートされるままに馬車から降りると停泊所の管理人室に向かうシンの後ろをひょこひょことついていく。 さらにその後ろをフェルがぽてぽてと続く。
掘っ立て小屋のようなそこに座る老人に声をかけて言葉を交わして何かの書類にサインをして半券を受け取っていた。
「ここは馬車のための駐車場?」
思ったことをそのまま問いかけると、こくりと頷かれた。
「貴族なら大店の店先に乗り付けたりするけどそれだと目立つし、気になったところにふらりと立ち寄れないから案外不便だからね。」
そういいながらさりげなく手を繋がれる。絡められた指に気恥ずかしさを感じつつもその隣に並ぶ。今日もどこからか飛んでくる視線が痛いが、いちいち反応していたら疲れるだろうし、できるだけ普通にしている。
「行くのは手芸店でいいの?」
「うん。リボンと紐と……ボタンかフックみたいなものがあればいいんだけど。」
街中を歩くだけで視線が集まってくるのに女性だらけの手芸店なんて行ったら集中砲火を浴びるのでは……?
そんな一抹の不安を感じつつ、そっと隣の横顔を見上げる。
「フックかぁ。そういう細かいものってなかなか見つからないんだよなぁ。金属加工って刀鍛冶がメインでやるせいか武器に使うことのほうが多くて日常の細工にまでなかなか回ってこないんだよなぁ。細工師に頼むっていう手もあるにはあるが……。装飾に関するものは貴族が抑えるから市場に部品として出回ることはほぼない。」
「そうなんだ……。まぁ、フックはあればラッキー程度にしか思ってなかったからいいの。取り敢えず手に入るものでやってみるから。」
素直に思っていることを伝えれば、ふと何かを思ったのかシンがつながれた手をクイクイと引く。
「俺もたまに手芸屋は行くんだ。馬車の内装に布を貼ったりするから。貴族に人気の大きな店もあるがあそこはどうも……落ち着いて選べないというか。裏路地の小さいが品揃えのいい店があるんだ。」
慣れた道筋なのだろう。大通りから筋を入って細い道をすいすいと歩く背を追いかける。フェルは迷子にならないよう腕の中に抱いた。
「ここだよ。」
しばらく歩いて立ち止まった路地。
横幅3メートルほどの狭小店舗の中心に樫の木で作られた一枚のドアが「さぁ、こいや!」とたたずんでいた。
表の看板には『白山羊の糸紬』と横文字で描かれている。
からんからんと軽快な音を立てて店に入れば奥のカウンターに白髪の老人がちょこんと座っている。長いあごひげと鼻に乗った丸眼鏡の奥に細められた目が山羊をほうふつとさせる。
看板に偽りなしとはこういうことだろうかと思いながら店内を見渡す。
カウンターの隣に備え付けられた階段から二階に上がれる作りとなっていて、どうやら三階まで吹き抜けの店舗となっていて壁に作りつけられた棚にぎっしりと商品が規則正しく並んでいる。
色とりどりの棚はとても美しい。
あちらの世界で500色セットの色鉛筆が販売されていた。受注生産で定期的に数か月かけて届くそのセットは色のグラデーションが美しく全て並べればずっと眺めていられるほどきれいだった。
その色鉛筆の箱に飛び込んだらこんな風景かもしれない。
「これは……時間を忘れて長居しちゃいそう。」
ぽつりとつぶやけば、どうやら聞こえていたらしい店主がフォフォフォっと笑いながらこちらを見つめる。
「嬉しいことを言うてくださる娘御だ。しかし、いかんせん狭い店じゃてほどほどにしておくれ。」
まんざらでもない様子から不快を示すものではないらしい。
「噂の嫁御とはお嬢さんかな?」
人好きのする顔がちらりとシンに視線を送る。
「噂って……。まぁ、そうだけど。」
噂ってなんだ。噂って。
転生してほとんど家にいた引きこもり同然だったので、世の中の動きがわからない。ゴシップも含めて。
それがかつてのパートナーの事であれば気にならないはずもない。というか、様子から察するに自分の事も含めての噂なのだろうか。
「フォフォ。お前さんが女をここに連れてきたのは初めてじゃからな。それにここに出入りするお針子たちが来るたびに悲鳴を上げておったからの。嫌でも耳にはいるわい。」
「それはお騒がせしました。」
肩を竦めるシンはどこか楽しげだ。
「まぁ、ゆっくり見ていってくんな。」
それだけ言うと手元に視線を落として何か作業に戻ってしまったので、お目当ての商品を探すべく店内を歩き回ろうとする。
「ロサ、フェルは預かるよ。探しにくいだろ?」
差し出された両手に何を思ったのか、フェルは腕の中からぴょんと飛び出してシンの腕に納まると大丈夫とでも言いたげに片手を上げる。
「じゃぁ、お願いね。」
心配なさそうなのでお目当ての棚を探す。
まずは手近にあったボタン売り場で足を止める。先日考えたデザインを思い浮かべながら、棚に並ぶガラス瓶をのぞき込む。瓶はすべて四角の同一でそろえられていて、ボタンの種類ごとに収められており、一段目に大きめのボタン、二段目に同じデザインの中くらいの大きさ、三段目に小さなボタンが瓶詰にされていて目的のものが見つけやすいよう工夫されている。
どうやらボタンは単一売りのようで瓶のふたに一個あたりの値段がかいてある。
木でできたボタンに貝を削ったもの、カラフルな布で包まれたくるみボタンの瓶は飴細工を思わせるし、絵付けされた陶器ボタン、また素材は木でも花や蔦、羽、どこかの家紋と思われるような飾り彫りが凝らされているボタンは見ているだけで楽しい。
白樺に花の飾りが入ったボタンを選び、いくつか大きさを変えて手に取る。
次に向かうのは糸売り場。
やはり素材別に丁寧に並べられた売り場は5センチほどの薄い板に巻き付けられた糸が浅いひきだしに並んでいる。
せっかくだから素材をそろえたい。
ツキミタンポポかどうかはわからないが綿糸の棚をみつけて棚の上から下までをじっくり眺める。
やばい。楽しい。色見てるだけなのに。
これは我が家にも欲しい棚だなぁ。
何色にするか決められずに、せっかくなんだから使いやすいように12色ぐらい思い切って買ってしまうか……。
や、まて。金銭は有限なのだ。際限なく使うわけにいくまい。
いつか絶対全部そろえてやる。
わけのわからない決意をして、とりあえず必要な色を考えて、赤、青、緑の色系統から3つずつを決める。
後ろ髪を引かれる思いでリボン売り場へ向かうべく階段を上がり、息をのむ。
階段上の壁が端から端まで虹がかかっている。
否。
虹の様に並べたるのはリボンだ。
こちらは素材ではなく色ごとに棚の横一直線に色系統でそろえてあり、手前が黒に近い深く濃い色合いで奥に行くほど薄く白くなっている。
「なんだ、この幸せ空間。」
思わず漏れてしまった感想に慌てて口を紡いだが、どうやら遅かったらしい。
『ブフォッ!』
吹き抜けの階下から聞こえる盛大な空気の漏れる声に落下防止の手すりから下を見れば、プルプルと震える2つの背中。
仕方ないじゃない。本当にそう思ったんだから!
気にしたら負けだ負け。
気を取り直して選んだ糸と近い色のリボンを探す。
同じ色でも素材、幅、柄など様々で選びごたえがある。
リボンだけじゃなくレースも眺めて色をそろえて何本か手に持ちカウンターへと出す。
リボンとレースはそれぞれ2メートルずつ買ってすべての代金を差し出すと引き換えに紙袋を渡される。
「まいど。」
柔らかな笑顔で言われ、思わず「また来ます。」とつぶやいて店を後にした。