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第20話 白山羊の糸紬~シン視点~

 『白山羊の糸紬』に入ってからロサの機嫌はすこぶる良い。


 きらきらした目で店内を見渡しては『おおぉ!』とか『うひゃぁぁ』など小さな声で感嘆をもらしては棚から棚へと蝶が花を渡るように動いては、棚の中身をしげしげと眺め、初めての生き物に触れるように息をひそめて手を伸ばす。夢中になって商品を手にとっては素材を確かめるように裏返してみたり陽に透かしてみたりと忙しそうだ。


 是非ともそのキラキラの目を自分にも向けてもらいたいものである。


 そう思ってしまう俺は男として健全だと思う。


 けしてロサロス5年を拗らせた結果ではない。……たぶん。


 そんな飼い主の様子をフェルは俺の腕の中でおとなしく見守っている。


 すでに彼女が主だと認識しているのか、彼女の動く様子を目で追いかけては首が右へ左へとロサに負けないくらい大忙しだ。


 ロサが棚の前でしゃがみ込むとその様子を観察している。何かを学習しようとしているのか時々首を捻っている。一度だけ『キャン』と鳴いたが、ロサが唇の前で人差し指を立てて「しぃ―。」と言うとそれ以降鳴かなくなった。


 さすがフェンリルといったところか、知能はだいぶ高いと見える。


 「そいつもしかしてフェンリルか?」


 「そうです。クマさん知ってるんですか?」


 白山羊の糸紬などという看板でその屋号に偽りないくらい山羊のような顔立ちのこの老人、そのビジュアルを裏切って名前はクマという。その奥方も負けず劣らずの山羊のようなご婦人で裁縫師であり、その道では有名な腕前である。


 「昔一度、冬毛から夏毛に変わる時期に遭遇してその毛を拾ったことがある。あいつは神の眷属って言われてるからなかなか遭遇しないが、いい織物の素材になったんじゃがあれは今でも忘れらえないねぇ。うちのが大分喜んだものさ。」


 ただでさえ細い目をさらに細めて遠くを見た。素材を思い浮かべているのか、在りし日の喜ぶ奥方を思い出しているのかは謎である。


 「へぇ、生え変わりの毛も素材になるんですね。」


 いいことを聞いた。なんとくフェルの頭をなでると耳が垂れた。何か感じとったらしい。


 人間の会話に敏感なフェルとは対照的に、どうやらロサはこちらの会話すら耳に入らないほど夢中のようだ。


 「そのフェンリルお前さんのかい?」


 「いえ……この子は彼女の従魔です。」


 「ほぉ。しかし、そいつの卵はお前さんの二つ名を生み出したレイド報酬じゃないかい?」


 ニヨニヨと楽しそうな山羊顔の老人がカウンターから顔を上げる。


 「まぁ、そうなんですけど。」


 この紳士な老人は答えを分かったうえで聞いている。染み込んで抜けることの無い年功序列の意識が揶揄われていると分かっていても目上を尊重してしまうが、受け答えの歯切れは悪い。


 「なんじゃ、嫁が欲しがることを見越して命投げうってレイドに参加して戦果を得るなんて見上げた男じゃないか。」


 「どうも……。」


 「で、その英雄が骨抜きの女があれとはの。幼女趣味とはのぉ。」


 「それはただの結果です。」


 「つまり嫁が生まれ変わったら幼女じゃったと?……男の夢じゃろうに。」


 この店に世話になって4年はたつだろうか。ちょいちょい思うが、山羊じゃなくて熊じゃなくて狐の間違いじゃなかろうかこの爺さん。


 「お前いまわしをきつねか何かと思ったじゃろう。」


 なんでわかるかなぁ……。


 内心の焦りを顔には出さずに明後日のほうを見る。フェルは相も変わらずロサを見つめている。


 「まぁ、いい。しかしなんじゃ。お前さんの目なかなかじゃないか。」


 「え?」


 「ありゃぁ化けるぞ。」


 「知ってますよ。70年連れ添いましたからね。いい女でしょう?」


 「ふぉふぉ。素人ど「ヤメロ。」」


 何か言いかけた言葉を阻むように言葉を遮る。


 「路地裏の姫君たちが噂しておったぞ?嫁を拗らせすぎて凄かったといいふらしとったぞ。」


 「たった一回がえらい言いようだな。ついでに言うと嫁と違いすぎて昂れない身の上でしてね。」


 白旗を振るようにカウンターの加護に置かれてハンカチを手にして振ってみる。


 「ふぉふぉ。期待したところに次々フラれた女たちが腹いせに広めたか。プロの矜持はロレンス山脈より高いからのぉ。」


 顎髭を撫でつけながら老人はケラケラ笑う。


 「わしもその口だからわからんでもないがの。無駄打ちせんから今でも現役じゃ。」


 「その情報はいらないです。」


 「まぁ、なんじゃ。幼くともあれだけの女じゃ。よそがいらぬのは当然じゃのぉ。」


 「ええ。俺みたいな若輩者の腕には一人で精一杯です。だからこそあの笑顔を持てる力で守るんです。」


 「ほぉ、年寄相手に惚気おって。」


 そこまで言ったときに頭上から聞こえる。


 「何だこの幸せ空間。」


 ふいにつぶやかれた言葉に老齢の紳士と共に肩を震わす。


 あ~。あの顔をされて庇護欲を掻き立てられない男がいるだろうか。否。そんなの男じゃない。惚れた女の何かに夢中になる全力の姿を守りたいと思うのは男の本能で、その女を腕の中に描き抱きたいと思うのは男の欲だ。


 俺たちに笑わたことに気づいたロサがちょっと拗ねた風を見せるがそれもまた可愛くて仕方がないということはあえて伏せておく。本当に拗ねられたら降参する以外の手段なんて取れないだろう。


 しばらく二階のリボン売り場で思案している姿を眺める。


 「何にせよ嫁が見つかってよかったのぉ。お前さんのそんな穏やかな顔初めて見るわい。」


 予想外の言葉に一瞬反応が遅れる。


 その孫を見るような眼をやめてほしい。実際この御仁には自分と変わらない歳の孫がいる。一度会ったことがある。孫の様にみられるのも仕方ないが……。


 少々照れ臭くなるのは大目に見てもらおう。


 「彼女のおかげでよく寝れるようになりましたから。」


 「ふぉふぉ。抱きつぶさぬようきをつけねばのぅ。」


 「!?」


 思わぬセリフに言葉を失っていると店内籠のなかを幸せでで満たしたロサが戻ってきてカウンターに籠を乗せたものの、店主と俺の顔を交互に見つめる。


 「どうかした?」


 店主が計算をしている間に囁かれてしまう。


 「いや。なにもないよ。」


 「そう?なんだか……狐か狸にでも化かされた顔してるよ?」


 それが聞こえたのだろう。老人の小さな方が震えている。何とも言えずに天井を見上げていると会計を済ませたロサに見つめられて外へと促す。


 「また来ます。」


 と店主に返すロサの頬を撫でて店主に片手を上げて店を出ると同時に上げた手をロサの手へと絡めるのであった。


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