路地裏にある白山羊の糸紬を出ると、素早くシンの手が重なって指に絡まってきた。
「そろそろお昼にしようか。」
うっ、爽やかな王子顔のスマイルが眩しい……。柔らかに細められた目がこちらを見つめている。
「もう正天の時刻を過ぎたからね。お腹空いてない?」
正天とはこの世界で真昼を指す言葉である。
どうやら店内散策に夢中になりすぎて空腹を感じる暇がなかったらしい。
そう思うと随分と店内で待たせてしまったのだと反省する。店主のご老人となにか話していたようだったけど、私は棚に夢中だったし、男同士の会話に混ざるどころか聞き耳を立てるのも無粋な気がした。
「待たせちゃってごめんね。夢中になってたから正天って気づかなかったし、お腹もあまり空いてないの」
「いや、俺も楽しかったから。」
「ほんと?それならいいんだけど……。」
気を使わせているかもしれない。そう思って見上げてみるとがっつり目線がかち合った。
え〜と……?
「それに……。」
頬が赤いのは気のせいではないと思うのだが、その先を言うような様子はないので首を傾げる。
何かを察したのだろうか、シンに大人しく抱かれていたフェルが一度私、シンを見上げて腕の中から飛び出した。
軽くなった方の手が伸びてきて頭を撫でられる。思ったより大きくてごつごつしたそれは壊れ物でも扱うような優しい動きが気持ちよくてそっと目を伏せる。
頭上の手は頬をなでると離れていく。そのことが寂しいような切ないような気がして顔を上げれずにいると、カサリと乾いた音がして腕の中が軽くなる。
「持つよ。さ、何が食べたい?そろそろ秋の収穫祭シーズンで中央広場に屋台が立ち並ぶと思うけど。」
「じゃぁ、チキンがいい!あとサンドイッチかハンバーガーみたいなのは流石にないかなぁ?」
「あ〜。あると思うよ。さすがにあっちの世界そのままの味とはいかないだろうけど。」
なんと驚いたことにこの世界には醤油も味醂も酢もあるらしい。聞けばダンジョンからドロップするハズレのポーションがそうだったようで、今まではこの世界の人たちが廃棄するものだったらしい。
あと味噌は転生者が果物から発酵させた酵母とマメ科と思しき植物を使って作られているのだという。生粋の現地人であるこの世界の人々は苦手なようだったが、一部の変わり者と、アジア圏や日本食好きの転生者には好まれてあちこちで流通しているらしい。
どうやら転生してきた人達が最初にぶつかる壁は食べ物だったらしい。
シンが他の転生者から聞いた話だと初めてこの世界にきた転生者は味が薄くて油まみれだったこの世界の食べ物改革に躍起だったそうだ。
そのお陰で今ではこの国の食文化はとても向上しているんだとか。もちろんあちらの世界の味を知る転生者たちはあちらで食べていた自分の好物を再現することに燃えて中にはより近い食材探しのために冒険者になる者も少なくなかったという。
かくして第一次食文化革命でこの国は大分発展したらしいが、それは洋食要素が強くて、近年ポーションのハズレが調味料であったことを発見した転生者により和食を中心とした第二次食文化革命の真っ只中らしく、和食レシピが空前のブームらしい。
郷土料理を登録したらいいとさらっと進められた。
なんでもすでに豚汁はあるようだが、突き上げやがねといった揚げ物、中でも魚系はまだ定着していないらしい。
せっかくなので食事の後に商業ギルドに寄って販売用のレシピ登録に行こうと話をしていればいつの間にか広場についていた。
みれば肉まん、サンドイッチ、バーガーにフランクフルトといった食事系からクレープのような物やまとめ売のクッキーのようなものもある。転生者主催で行っているようなので首肯けるラインナップだ。
聞けばこの時期は店を構えるような人じゃなくてもきちんと許可を取れば屋台を出していいらしく、地方から作物を運んで出稼ぎに来る人も多く、王都でも珍しいものが食べれるとあって貴族から庶民まで列をなす。
普段踏ん反り返っている貴族であろうと、王命により保護されている転生者から『列を乱すな』と言われては強く出れないらしく、どういった経緯なのか開催当初あった揉め事も今はない。
なんでもこの期間広場で騒ぎを起こして秩序を乱すと身分に関わらず民衆から粛清を貰うらしい。しかも治安を守る騎士団は黙認する事になっているらしく、どんなにリンチにあっても助けてもらえず、粛清した側も罰せられないらしい。
『食べ物の恨みは怖いから』
と、シンはあさっての方向を向いていた。
また普段の行いが悪い貴族ほど我慢ができずに騒ぎたてるため、はじめの頃はだいぶやられたらしく鬱憤の溜まった庶民の捌け口と素行の悪い貴族を躾けたい王族の利害が一致したのではなかろうかと私なりに理解することにした。
素面の無礼講をゆるすなんて王様ストレス溜まってたんだろうなぁ。
この期間はジャンキーなフードが手軽に食べれるということで、多くの人が集まるのだという風景を久々のバーガー片手に眺めながらフェルにはフランクフルトを串から抜いて与え、まだ見ぬ王様の苦労を忍んだ。
「それにしてもおいしいねぇ。これなら毎日でも食べたくなるねぇ。」
化学調味料など入っていないことを考えても一見ジャンキーな食べ物の並びもよいものに見えるから不思議。
活気のある広場のベンチでシンと並んであちこちで買ってきた屋台の食べ物に舌鼓を打っていると、急に視界が陰って思わず顔を上げると、そこには白いレースの日傘を側仕えに持たせて扇で口元を隠した女性が立っている。
ピンクのひらひらしたレースやフリルをふんだんに使われたワンピースに見事な金髪ドリルもとい縦ロールが存在感を主張している。
いやいや、主張しすぎてドン引きだよ。
などと冷ややかなことを思っているが、90年生きたスキルが働いて驚きはなんとか顔に出ずに済んだ。
見るからに貴族のご令嬢といった風体のその人はこちらを待ったっく無視しているのか視線もよこさない。どうすればいいのかわからずシンを見つめると、彼も丁度こちらを見て困ったような顔をしている。
知人じゃないのかな?
「シンさま、ごきげんよう。」
「こんにちは。えっと……。」
「エキセントリック家のパトリシアですわ。ご無沙汰しております。最近はお勉強ばかりで籠っておりましたの。お誘いもお断りしていましたのでお忘れになったのかしら。」
「はぁ……。」
ご令嬢の言い方だとシンがアプローチをかけていたけどご令嬢が断り続けたから諦めたのね。と言わんばかりの物言いだ。
しかし、当の本人は全く心当たりがないのかはたまた見慣れぬ令嬢に戸惑っているのか半眼になっている。
「あれだけ熱い抱擁を交わしてくださったのにお忘れになるなんて……。」
ちらりと令嬢がこちらを見る。どうやら鞘あてられているらしい。
熱い抱擁……。抱擁の温度って何だろう?
「あら、熱い抱擁だなんてとんだ妄想癖だわ。人混みを理由にわざとぶつかっていったのを止められただけじゃない。」
急に投げられた背後からの声にそちらに目を向けると燃えるような赤い髪の令嬢がレモンよりも黄色いドレスを翻して立っている。風もないのに。
「シン様、ご無沙汰しておりますわ。最近は商業ギルドでもお目にかかれず寂しいですわ。」
こっちは商家のご令嬢らしい。シンさん人気者ですね。
「あら、レイチェル・ヒステリックさんじゃございませんの。こんなところでいかがなさいましたの?商家ともなればおつきもなく自由ですわね。」
「まぁ、思い人を前に付き添いなんて無粋な真似しませんわ。いつまでもおもりが必要な子供じゃございませんもの。」
頭上でバチバチとほとばしる火花から避けるようにそっとフェルを膝に抱いてシンをちらりと見れば、食べていたものが詰まったのか真っ赤な顔で胸をたたいている。慌てて手に持っていた自分用の飲み物を差し出すとしゃべることのできないシンがそれを受け取ってごくごくと飲み干した。
「大丈夫?こっち、シンさんのもまだあるよ?」
言葉と同時にベンチの真ん中に置かれていたコップも差し出す。
「大丈夫。ごめんね、ロサの飲み物全部飲んじゃった。代わりの飲み物買ってこようか?何がいい?」
「ううん、平気喉乾いたらシンの少しちょうだい。それよりこっちのおいしかったよ。食べる?」
「あ~それちょっと悩んだんだよね。じゃぁ、一口。」
自分の手にしたバーガーを勧めると前かがみになったシンが私の手に握られたバーガーを無造作にぱくりと口に含んだ。
「ん。やっぱこっちでもよかったなぁ。」
「まだ食べるなら買ってこようか?」
「ん~。いや、いいよ。まだ別なのあるから。ありがとう。」
「そう?次何食べる?チキンとサンドイッチあるよ?」
「じゃぁ、チキン。」
「はいは~い。」
ガサゴソと紙袋を漁ってなかから取っ手を叩いてなめされた木の葉で巻いたチキンを取って差し出す。シンがそれを受け取ると同時に今度は先ほどのコップを上取ってベンチの端に置くと、片手で握ったままのバーガーをもそもそと食べる。
ふと、先ほどまで頭上でやかましかったカナリアのさえずりがなくなっていることに気づく。しかし、視界の端にちらちら見えるピンクと黄色に彼女たちがまだいることを悟る。
え?見られてる?
「まぁ、まぁまぁまぁまぁ!見まして!?」
ママがどうしたご令嬢。
「ええ!見ましたわ!見ましたわばっちりですわ!」
なにが……?
「隠密王子であるシン様にまとわりつく女がいると聞いて見に来てみれば!」
それ前にも聞いたなぁ。いつから王子になったのシンさん。
そんなことを思っているとまたシンが咳き込んでいるのでシンのコップを渡してその背中をさすってみる。
「一体どこの小娘かと思っておりましたけど。」
や、まぁ、小娘であることは否定しないけど何なんですかいったい。
シンもなにやら不審な空気を察したのか手早く残りの食べ物を紙袋にまとめると私を引き寄せてフェルごとまとめて膝の上に抱きあげられる。
「なんて健気でかわいいのかしら!こんな子ならわたくしの侍女にしたいわ。」
「何を言いますの!こんな子を侍女だなんて。うちに来ればわたくしの妹としてお世話しますわ。」
なんか勝手なこと言いだしおった。
「ねぇ、あなたうちに来なさいな。」
「あら、うちに来るのよね?」
ただでさえ迫力ある顔がこちらに向けられて、思わずシンのシャツをぎゅっと握ってしまう。ここははっきりと断らないとまずかろう。と、口を開こうとしたとき視界が揺れた。
どうやらシンが私を抱えたまま立ち上がったらしい。
「お嬢様方、ご厚意はありがたいが彼女はうちですでに暮らしておりますのでお嬢様方の保護は必要ありません。先を急ぎますので失礼します。」
いうが早いかシンは颯爽と踵を返して広場を後にする。
残されたのはご令嬢方の黄色い悲鳴が上がったようだが、ずんずんと進むシンに抱きあげられた私には確認のしようもなかった。