今日も今日とて鍋をグツグツしている。
「よし、カレーはもう完璧ね。」
野菜はごろごろじゃなくて小さめで子供や女性でも食べやすいように小さめにカット。
鍋に動物性油を適量、カットしたじゃがいもと人参を炒める。同時進行で温めたフライパンにスライスした玉ねぎを炒めてしんなりしたら鍋に移して水を加える。
さらに今度はフライパンに薄切りの豚肉を炒めていく。肉から出る油で炒めつつ、砂糖と赤ワイン、出来損ないのポーションと言う名のみりんと醤油を投入。
程よく火が入ったら鍋に入れてグツグツと煮込む。ひと煮立ちしたらスパイスを投入。弱火でクツクツ煮たら日からおろして冷ます。
程よく覚めるように鍋をかき混ぜていると裾のあたりをクイクイと引かれて振り向くと落ち着きのないフェルがこちらを見上げていた。
カレーの匂いがきついという抗議ではなさそうだが。
「フェル?どうしたの?」
引かれるままについた先はクッションに置かれた卵である。フェルと一緒にシンからもらった卵が不自然極まりなくゆらゆら揺れている。
「フェル、もしかして卵ちゃん生まれるの?」
『アン!』
「そっかぁ、教えてくれたんだね。ありがとう。いいこいいこ。」
頭を撫でてあげると更に一声鳴いてその場にしゃがみこんでこちらを見上げている。どうやらこちらの成り行きを見守るらしい。
揺れていた卵には小さく亀裂が走っている。こういうのはあまり人間が手を出すのはよろしくないだろうと思いこちらも見守ることにしよう。幸いカレーは火からおろしたから焦げる心配はない。
「なかなかに良いタイミングで生まれようとしているねぇ。それとも私の手が空くのを待っていてくれたのかな?お利口さんだねぇ。ありがとうね。」
軽く撫でるつもりでそっと卵に手を伸ばすと卵が光を帯びてパキパキと音を立て始める。
「眩しい。」
光に耐えかねて目を閉じたのは一瞬。気がつけばクッションの上に小さな黒猫が立っていた。
そう、立っているのだ。人間のごとく二足歩行で小さな黒い毛並みが日の光に反射してキラキラと光る様は夜空か宇宙そのものを思わせる。
「あなたがケットシー……?」
ポツリとつぶやいた言葉にその生き物は目を細めて長いしっぽを一度波打たせた。
『お初にお目にかかります。マイ、マスター。我はケットシー願いを受けてここに参上した。さぁ、我に名を与えてくれたまえ。』
小さな黒い体がうやうやしく右手を体の前でかかげ、腰をおる。この世界の人々があまり好まない立礼。
「名前……えっと、じゃぁ、クロー。とてもきれいな毛並みだから私が前にいた世界で黒色を意味する言葉だよ。私はロサこれからよろしくね。」
『クロー。それが今日から我の名前。』
紡がれた言葉と同時にクローの体が光る。
『ここに契約はなされた。マスターこれからよろしく頼むよ。』
ニコリと細められた猫目が楽しそうだ。その語りと立ち居振る舞いは紳士と言っても過言ではない。
「蝶ネクタイ似合いそう……。」
思わずつぶやくと慌ててポケットを漁ると赤い布を引っ張り出してその首にちょうちょ結びを作る。
「うんうん。よく似合ってる。紳士って感じがするね。」
『おやおや。マスターから早速贈り物をもらうなんて従僕冥利に尽きるじゃないか。』
首のリボンをふにふにの肉球で触っている。染色を試してみようと赤い花を潰して絞り出した液体に染めた布が思いの外うまくいったので気に入って裁断、端処理したあとにサイン代わりに青い糸でバラの刺繍がしてあるこだわりの品である。
「従僕冥利って……。サモナーの契約獣はマスターから何かもらうことに意味があるの?」
『おや?フェルから何も聞いていないのかい?』
キョトンとした顔で問われてもちょっと困る。
「だって、フェルはクローと違って喋らないからそんなこときけないというか。」
『は……?』
思わずクローとロサは揃ってフェルを見るが、当のフェルはそぉーっと視線を外した。
『お前……。だからまだ早いって言ったのにマスターに会いたいからって焦って出てきたんだろう。まぁ、気持ちはわからなくもないが。』
呆れた様子でクローは足を動かすことなく宙を進みフェルの頭に着地して前足でペチペチと叩いている。かわいい。
『マスターからの贈り物はそれだけで主従の絆を深めるし、互いの魔力の往来がスムーズになる。それにマスターを持つものたちからすると、そもそも贈り物をもらえるということ自体稀で自慢なんだよ。』
どうやら名を交わす主従契約のあとは特に何かを送り合うことはないらしい。必要に応じて魔力供給は互いにするらしいがそれ以上はないというからなんとも淡白な関係だ。
「って、そんな特別なものなら先に生まれてくれたフェルに何も上げてないのは不公平だよね。ごめんねフェル。ちょっとまっててね。」
ダッシュで部屋に駆け上がり目当てのものを手にして走って戻ってくるとフェルのそばに膝をつく。
「フェル、遅くなってごめんね。これ、もらってくれるかな?」
手の中にある青い布をフェルの前に差し出すとそっと鼻を寄せて匂いを嗅いでいたがおとなしくその場に座ってくれる。
最近成長して体が少し大きくなったフェルでもつけれるようにと大きめのものを選んで持ってきた。首の後ろで結び目を作って留めるとマフラーを巻いているように見える。
「どうかな?気に入ってくれれば良いんだけど。」
『マスターに頂いたのだ。気に入らないはずがない。感謝する。』
「へ?今のはフェルの声?」
ハッハッと舌を出しているフェルから重低音の声がした。
『どうやら贈り物の効果で魔力供給のパイプが強まったのであろう。やっとしゃべるようになったか。』
『ふむ。マスターに会いたくて出てきたはいいが言葉が通じずもどかしかったがこれで某も会話ができる。マスター、フェンリルのフェルだ。改めてよろしくお頼み申す。』
「紳士と侍。なかなかに濃い組み合わせだけど……。ま、いっか。こちらこそこれからもよろしくね。」
それがクローとの出会いだった。