第3話でSF作家の山本弘さんに言及した。
しかし、山本さんは時代が追いついていなかった。もっと評価されてしかるべきだったのだ。
そういう意味でいうと、村上春樹は時代と伴走したといえる。春樹本人にはそんなつもりは微塵もないのだろうけれど。
春樹のデビュー作『風の歌を聴け』だけを読んで、ここまでの大作家になることを予想できた人は少ないだろう。
春樹の大躍進を予見していた一人が、丸谷才一。丸谷才一は既に亡くなっているけれど、丸谷が亡くなったときに、春樹は遺族からある原稿を見せられたのだ、という。
それこそ、村上春樹がノーベル文学賞を受賞した時に丸谷才一が贈るつもりだったという祝辞だったらしい。
村上春樹がノーベル文学賞の候補といわれるようになったのは、やはり、2006年にフランツ・カフカ賞を受けたことがキッカケだろう。2004年と2005年にカフカ賞を受けた作家がカフカ賞と同じ年にノーベル文学賞を受けているものだから、春樹に国民から多大な期待が寄せられるのも無理はない。
だが、ひとつ思いを馳せなければならないのは、2004年のイェリネクと2005年のピンターはカフカ賞と同じ年にノーベル文学賞を貰っている。
逆にいえば、カフカ賞を受けた年にノーベル文学賞を貰えなかった場合は、ノーベル文学賞を貰えないのではないかという仮説が立ち上がるのだ。
もちろん、イェリネクとピンターと春樹という少ないサンプルではこの仮説を立証できない。
ノーベル文学賞はきわめて政治的な賞だ。
第一回ノーベル文学賞の時はまだトルストイが生きていたが、トルストイは受賞に至らなかった(ドストエフスキーは十年以上前に亡くなっていた)。トルストイの政治的立場が原因で受賞を逃したと噂される。
また、戦時中にイギリスの首相をつとめたウィンストン・チャーチルにもノーベル文学賞が贈られたことがあるのだが、その年を気に、さすがに政治家に文学賞はないだろう、ということで黒歴史化している。
春樹は、自身がノーベル文学賞を受賞するかどうか騒がれていることについて、「わりに迷惑」とだけ言及している。
ともあれ、実際受賞となれば春樹としてはまんざらでもないだろうと筆者は推察する。
今後、春樹よりずっと下の世代で、日本人がノーベル文学賞候補になるとすると、やはり女性作家が有力だろう。綿矢りさ、金原ひとみ、村田沙耶香……。
逆にいうと、平野啓一郎や中村文則なんかは充分に候補になってもおかしくないはずだが、男性だという理由だけで弾かれるかもしれない。
日本文学のGOATは夏目漱石か三島由紀夫か村上春樹のうちの誰かで、筆者はその点に関して譲るつもりはない。(皮肉にもノーベル文学賞受賞者であるところの川端康成と大江健三郎をここに並べないあたりが、筆者の天の邪鬼さを表出しているともいえる)
三島は事件さえ起こさなければ、ノーベル文学賞も貰えて、おまけに紙幣の肖像画にもなっただろうに、惜しいことをした。
漱石は精神的に不調があったといわれているし、三島に至っては明らかに不調。川端康成の最後がガス自殺、ヘミングウェイの最後が拳銃自殺だったように、やはり作家は精神的不調と切り離せない存在のような気もする。
春樹は健全な肉体が健全な文章を作るという主義で、毎日ジョギングを欠かさないらしいけれど、そういう意味でいうと、やっぱり「日本人の代表」ではないという気持ちもしてみたり……。
今後、日本人が滅亡し、日本人という民族が語られる時に、「男は妻に逃げられて一人でさみしくスパゲッティを茹でる人たちだ」という偏見を持たれることになるのかもしれない。
【つづく】