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第9話 小説と政治

 第8話で政治的議論は芸が無いなどと述べた。

 とかく、物書きと政治というのは密接している。

 東京都知事をつとめた石原慎太郎しかり、作家の行き着くところは政治家ということになるのかもしれない。


 筆者は小説と政治のどちらが世の中の役に立っているか検討したい。


 これは、あくまで筆者の主観だが、小説は特に何の役にも立たないとは思う。

 しかし、政治が大嫌いである。

 その点、はなから何の役にも立たない風でいる小説のほうがまだマシだ。


 世の中の役に立っているものとは、例えば、何か?

 電話、通信、水道、ガス、電気、鉄道、宅配業者・・・

 蛇口をひねって水が出なくなるのと、小説が読めなくなるのと、どっちがいい?と聞かれたら、迷わず小説が読めなくなるほうを選ぶ。

 小説が読めなくても、特に不便ではないだろう。

 だからこそ、小説には価値があるのかもしれない。小説は単体で存在してもさして意味はないけれど、多くの読者に浸透し、共通認識に域まで落とし込まれることで、なんというか、一つの思想として価値が生じるような気がする。


 大きな目で見て、政治も小説もそう変わりはないのかもしれない。今まで、いわゆる文壇というところで行われてきた作家の交流はまさしく政治で、でもそんな文壇に迎合することをよしとしなかった村上春樹が天下を取った。


 これから、小説が生まれる場、読まれる場は、ネオページが主流になると筆者は信じる。

 文學界、群像、すばる、新潮、文藝、そしてそれらに掲載された小説に贈られる芥川賞、これらは確実に衰退すると見て間違いないだろう。

 それは、たしかに、文芸誌に載せることの作家価値みたいなものは消えないかもしれない。でも、それが何?

 文芸誌に載っているものが凄くて、ネオページに載っているものはたいしたことない。・・・という考えの持ち主は、これからどんどん淘汰されていき、文芸誌信奉は必ず打破されると筆者は確信している。


 これからはネオページだ。そうでなければならぬ。

 媒体に固執するようではダメだ。ある媒体がオールドメディアなどと呼ばれ出した時点でその媒体には見切りをつけないと、生き残ることなど出来ないのである。


 特に、小説というのは同時代の人に向けておこなうだけでなく、未来人へのメッセージでもあるわけだから。

 手っ取り早く金を得たければ、同時代人に向けてやるのがよろしいけれども、本当の小説とは未来人に向けてやるものだという筆者の主張である。


 あまりにも、とりとめがないかもしれないけれど、小説の価値が問われるのは、何年も経ってからである。


 一方で、政治は、その時点の有権者から票を得なければならない。有権者が少ない若者に有利な政策を出しても票が取れないから、政治はますますオワコン化していく。

 これを打破するのが、小説でありネオページだ。


 小説は未来へのメッセージであり、政治は現在からの搾取。

 どうだろう。圧倒的に小説のほうが魅力あるだろう?

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