忘れがちだけれども、人間はこうしているあいだにも刻一刻と寿命が短くなっていっている。
普通にしていても、人間は死へと向かっているわけだけれども、そこに交通事故やら病気やら犯罪やらに巻き込まれてしまうという理不尽が待ち構えていることもある。
ただ、とにかく、生きることは命懸けなのだ。色々な理不尽とは関係なしに。
生きるということは、死ぬまで死なないということであり、そして、天寿を全うできるというのは実はかなり恵まれた話なのではないかと筆者には思える。
ご高齢の方を見ると、今までよく生き延びられたものだと感心する。みんな、平々凡々と平気で生き残っているわけではなく、彼女ら彼らもそれなりに命の危機、死線をくぐり抜けて、今生きていらっしゃるのだろう。
宇宙が誕生してから今日までの時間の流れのなかで、一人の人間が生きているというのは、おそらく流れ星が流れて消えるよりももっとアッという間のことだと思う。
100年生きてみたところで、宇宙の中では一人の人間が生きるよりももっと長くの時間の進行がある。
つまり、生きている状態のほうが不自然で、死んでいる(生きていない)状態のほうが自然だとも言える。
それほどまでに、生きているということは奇跡的なることだと言えるわけだ。
筆者は折に触れて死について考えるけれども、そんなに悪いものではないだろう、と期待をしている(かといって、早く死にたいわけでもなし)。
というのも、産まれる前の状態に戻るだけだと考えると、スッと心が楽になるからだ。産まれる前、別になんにも無かった(本当に存在すらなかったわけだから)。
と、まあ、書いたけれども、物心ついてから人間は主観に支配される。その主観が消えてなくなる恐怖、これはあって当然なのかもしれない。
生きることは命懸けで、ちゃんとした死の前に死なないってのは、実は意外と大変なんじゃないってことが、このエピソードの結論である。