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第19話 擬似的自殺

※このエピソードでは「自死(自殺)」について扱います。



 筆者には、自殺願望がある。一方で、自殺未遂のようなものを起こしたことはない。強いて言うならば、睡眠薬を多めに飲んだくらいであろうか。


 本当に肉体の生命維持活動を停止させるという自死とは、ちょっと違う形で、筆者は擬似的な自死を行なっている。


 一つは、経済的自死。

 お金を無駄遣いすることで、経済的に追い詰められようとする擬似的な自死だ。


 もう一つは、記憶的自死。

 自分にとって大切なものを、捨てることによる、擬似的自死だ。


 どちらも、やってみるとスッキリする。

 あるいは、経済的自死も、記憶的自死も、大切なものを失おうという企てなのだから、取り返しのつかない行為といえば行為であり、それゆえに自分を否定することによるカタルシスが得られる。


 いずれにせよ、どちらも、本当に肉体的に死亡するよりはずっとマシだと筆者には思える。


 擬似的自死では、お金の無駄遣いや、大切なものの破棄など、のちのち後悔することになる場合もある。


 ただ、後悔できるだけ、肉体的自死よりも、ずっとはるかにマシなのだ。

 肉体的に自死してしまっては後悔すら出来ない。


 まあ、成人の場合、憂さをはらすのはアルコールと相場が決まっているかもしれないが、ヤケ食いでも喫煙でも、ちょっとずつ自分を傷つけたらいいさ。(リスカはやめといたほうがいい)


 それでなくても、人間は刻一刻と寿命が縮んでいるのだ。

 ちょっとばかり、身体に悪いことをする。これも擬似的な自死だ。


 まあ、筆者も、無責任に「生きろ」とは言えない。ただ、これだけは伝えたい。


 死ぬまでは生きようとしてほしい。


 筆者に目標があるとすれば、ことである。


 仮に、筆者が肉体的に自死したとしても、能動的に死ぬのは、きっと本意でないはずだ。

 受動的な死を待ち望んでいる。


 死ぬまで死なないってだけの人生はこれからも続く。どのくらい続くんだろ?短いかな?長いかな?


 ベタな言葉で締めくくる。

 

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