反出生主義その1とその2はあまりにも常識とかけ離れていたので削除した。
というのも、筆者は反出生主義者で、しかもかなり虚無主義に近い立場であるため、どうしても熱くなってしまうからである。
そこで、冷静な書き手による、反出生主義に言及した文章がないかと思案したところ、一つそれに近しい内容を思い出したので、引用したい。
伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮文庫)
『重力ピエロ』には語り手を兄とする兄弟が出てくるが、語り手の弟は強姦によって妊娠した子ども(だから、生物学的父親が兄弟で異なる)という設定だ。
この出生の秘密があるため、語り手の弟は、いささか生に否定的で、どこか虚無的なるところがある。
以下、引用(P.62)
> 「おまえは、性的なこと、セックスなしで生きていくつもりなのか?」私は揶揄(やゆ)するつもりで、言い返す。トルストイの、「クロイツェル・ソナタ」を思い出した。性への嫌悪を主張する男に対して、主人公がたしなめるように言う台詞があったのだ。
> 「『性を否定するなら、それじゃ、どうやって人類は存続してゆけるんでしょうね?』」うろ覚えで引用した。「『われわれはいなくなっちゃうじゃありませんか』」と。
> 春(※筆者注。語り手の弟の名前)がその小説を読んでいることは、知っていた。彼は頬を緩めると、やはり記憶を辿るような顔になり、「『じゃ、なぜわれわれが、いなければならないんです?』」と引用を返してきた。
引用終わり
引用した文章で、伊坂もトルストイの引用をしているので、いささか読むのにややこしいかもしれないけれども、要は語り手の弟(春)が「人類なんて、いる必要ある?」と問いかけたと解釈してもらえればいい。
反出生主義者にとって、虚無主義者にとっては。
> 『じゃ、なぜわれわれが、いなければならないんです?』
この指摘がすべてだ。これ以上言うことはないのである。
これは筆者の主観も多分に含まれるけれども、作家というものは限りなく死への憧れ(といったら語弊があるかもしれないが)があるような気がする。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成、ヘミングウェイの共通点を考えてもらえれば分かっていただけるだろうか?
一方で、
アニメーション監督の宮崎駿は映画を通して、「子どもたちに、この世は生きるのに値するのだ、と教えたい」というようなことを述べていた。
宮崎は、『君たちはどう生きるか』の製作中に、盟友の高畑勲を亡くし、かなり精神的に追い詰められた様子がNHKスペシャルでカメラに捉えられている。
拙著『だけど絶対に愛しない』でも言及したのだけれど、筆者の考えとしては、今ある命を否定するつもりはない。それ故に虚無主義とはいえない。
ところが、人類の命があり続けるべきなのかどうかについては、筆者のなかで相当な葛藤があり、
> 『じゃ、なぜわれわれが、いなければならないんです?』
という言葉どおりのスタンスになってしまっている。
【以下、閲覧注意】
かなり、センシティブな話にはなるけれど、筆者は成人男性である。
そして、二十歳をすぎてもいわゆる精通が訪れることが無かった。
これはおかしいぞ、ということで二十代半ばごろ、いよいよ病院の泌尿器科を訪れると、「あなたの睾丸は標準の10分の1以下のサイズで、精子を作るのに適していない」と診断された。
このことが、筆者の思想に影響しているのかは、わからないけれども、明確に人間として肉体的に欠陥がある、という診断が下ったことについて、どうか筆者が受けた衝撃を想像してみてほしい。
ただ、反出生主義は、人類繁栄には向かないかもしれないけれども、積極的に人類に害なそうなどと考える思想ではないことを改めて強調したい。
うーん。どうだろう・・・やっぱり、削除対象になってしまうかもしれないエピソードになってしまった。
ただ、他のエピソードでも言及しているとおり、生きることは命懸けだ。
精神的に自ら破滅に足を踏み入れてしまうリスクというのは、多かれ少なかれ誰しもあるのではないか、と筆者は想像している。
そんなとき、反出生主義という思想もあるのだよ、という事実が、もしかしたら誰かにとっては救済になるのではないか、と祈って筆を置くこととしたい。