前話で、村上春樹の言質のもと、警察批判をしたお詫びとして、村上春樹の良い言葉を紹介したい。
村上春樹
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
(文藝春秋)P.53
> 「失礼なことを言うようですが、限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか」
(引用終わり)
『色彩を〜』で、主人公の多崎つくるは、大学時代から駅に興味があり、土木工学科で駅の設計を学んでいた。
そのことを同級生に不思議がられると、多崎は(同P.53)
> 「それに僕の場合、それを作ることに
(引用終わり)
そう、クールに答えてみせる。そんな言葉を受けて同級生から発されたのが、
> 限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか
という発言なのである。
あくまで、『色彩を〜』に登場する、しかも主人公ではなく脇役の台詞であるけれども、筆者は心を動かされた。
やはり、ネオページの諸君には共感していただけると思うけれど、
この世には、学問、スポーツ、ゲーム、ビジネス、投資など、極めようと思えるジャンルは数多ある。
その中から小説に、
小説に
もっとも、小説を書くことを天職とすることの出来る人間は残念ながら一握りではある。
しかし、村上春樹は「限定した興味を持てるだけで一つの達成だ」と説いてくれているわけだ。
あくまで登場人物の台詞であって、村上春樹本人の言いぶんではないと断りを入れたうえで、小説に
今でこそ、村上春樹が描く「奥さんに逃げられて一人でスパゲッティを茹でる男性」のような人物像は茶化しの対象になっているけれども、こうした何気ない村上春樹による小説創作時の佇(たたず)まいが、日本で圧倒的な支持を得る一因になったのではないか。
もっとも、人間・村上春樹本人は、結構天邪鬼(あまのじゃく)である。
たとえば、「この世界から猫と音楽、どちらかが無くなるとしたら、どちらが無くなったら嫌ですか?」というような読者からの質問に対し、「そういうことを答えると、本当にどちらかが無くなってしまいそうだから、明言は避ける」などと煙にまく人間なのである。
そのような、ある種、詭弁ともいえるような調子は、春樹の作風とも実は一貫しているのかもしれない。
読者は、物語の展開が謎が謎を呼ぶものなので、夢中になって読み進めるけれど、結局物語が終わってみてもどういう話だったのか判然としない。
蓮實重彦はこのような春樹の作風を「結婚詐欺」と断じていたけれど、はたして・・・
東京で、外国人観光客をよく見かける。筆者は文学賞に投じるような作品は、紙に印刷して公園やら百貨店の屋上やらで推敲をするのだけれど、もし外国人観光客に話しかけられて、「なにをしているの?」と聞かれたら、「アプレンティス・オブ・ハルキ・ムラカミ(村上春樹の弟子です)」と答えようと思っているのだけれど、残念ながら声はかけられない。もっぱら、「喫煙所はどこですか?」とかそんなようなことばかりだ。
村上春樹さんに聞いてみたいことがある。
「もし、将来、村上春樹賞が創設されることになったら、どう思いますか?」と。
おそらく、春樹はそういうのは嫌いだろうと筆者は睨んでいる。
各出版社に、くれぐれもそういう賞は作らないでくれ、と既に言ってあるかもしれない。
でも、村上春樹賞なんてものがあったら、みんな喉から手が出るほど欲しいんじゃないかな?どうだろう。