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第27話 統合失調症候群


 筆者は統合失調症と診断されている。

 筆者としては統合失調症を患っている認識はないので、自分を統合失調症の患者だとは思っていない。あくまで、そう診断されているだけだと思っている。


 まあ、自分の精神状態を鑑みるに、おそらく正常ではないのだろうという自覚はある。


 統合失調症はその症状が多種多様で、患者によって様々な症状を発することから、「統合失調症候群」と呼称するべきだと主張する専門家もいると聞いたことがある。


 統合失調症は、以前は精神分裂病と呼ばれており、古くは似たような症状について神経衰弱(トランプを使った遊びではない)という呼称がおこなわれていたはずだ。


 神経衰弱だったと言われる歴史上の人物こそ、あの文豪・夏目漱石。

 漱石が小説家になる前、イギリスへ留学したところ、ひどく精神的に不安定になり、帰国後も「隣人に見張られている」などという妄想を抱いていたらしい(NHKのドラマ『夏目漱石の妻』を見て、得た知識だ)。


 そんな精神的に不安定な時に、猫を飼うことになった。

 そして、時を同じくして、高浜虚子(たかはま・きょし)から「小説でも書いたら気がまぎれるのではないか」と提案をされた。


 そこで、漱石が書き上げたのが、あの『吾輩は猫である』なのだという。


 ※


 伊坂幸太郎が朝日新聞に連載を始めるにあたり、古の朝日新聞の専属作家だった漱石のオマージュをしようということになったらしく『吾輩は猫である』が猫目線で語られるように、自動車(意識を持っており、自動車同士では喋れるけれども、人間とは喋れない)が事件を見聞きするというユニークな小説『ガソリン生活』をスタートさせた(もっとも、『吾輩は〜』は朝日の連載ではない)。


 ※


 筆者は池袋によく足を運ぶのだが、池袋駅から歩いていけるところに(駅でいうと、東池袋や都電の駅のほうが近い)、雑司ヶ谷霊園がある。

 そこに、漱石先生は奥様と一緒に立派な墓石が建てられて、眠っていらっしゃる。


 筆者も漱石先生の墓所の前で手を合わせ、厚かましくも『なにか、小説のアイデアはないものですかねえ?』と心の中で問うた。

 すると、漱石先生からなのかは分からないが、『自分で考えろ』という声が聞こえたような気がした。

 特に、漱石先生のお墓参りをしたといっても、何かインスピレーションが沸いてくるようなことはなかった。きっと、多くの不埒(ふらち)な輩(やから)が同じような問いを立てたので、漱石先生もうんざりしていらっしゃるのだろう。

 門前払いならぬ、墓前払いといったところか(もしかしたら、不謹慎かもしれませんね。ごめんなさい)。


 ※


 本エピソードは、何を伝えたいのか要領を得ない感じになってしまった。

 精神的に不安定でも小説を書く人は書くし、精神的に正常でも小説を書かない人は書かない、といったところか。


 統合失調症(候群?)。発症の要因は特定されていないけれど、東大やら京大やらの研究チームが、かなり研究を進めているらしい、と聞く。


 筆者の持論だが、統合失調症もそんなに悪いものではないような気がする。こんな世の中、マトモでいるほうが返って苦痛ではないか?

 マトモでないからこそやり過ごせるようなこともあるような気がする、一方で、マトモでないからやり過ごせないこともあるような。

 まあ、とにかく難しい。


 本当に要領を得ないですね。今日の四森は歯切れが悪い。

 最近の『人生論』では、「本日の名言」シリーズがお気に入りです。やっぱり、自分の言葉でなく、著名な作家が書いたことっていうのは、筆者の持論ではないので、人のせいにして言いたい放題出来るからだろうか?


 ともあれ、本エピソードをお読みいただき、ありがとうございます!


 『最後のトリック』という小説があります。それは、「その小説を読まれることによって、ある人がどんどん死んでいってしまうので、読者が犯人だ」といった趣旨の内容なのですが、筆者の場合は逆で、お読みいただいたおかげで生きることが出来ます!いつもありがとうございます!!

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