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第30話 本日の名言 by 伊坂幸太郎 その2


 伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』(新潮文庫)P.82より


 > 「理由になっていない」


 (引用終わり)


 伊坂幸太郎のデビュー作こそ、『オーデュボンの祈り』。

 主人公は行きがかり上、不思議な島へとたどり着く。

 その島で一人、銃を持っていて気に入らない人間を撃つ< 桜(さくら)>という登場人物がいる。

 桜は、自身を怒らせたことについて色々と言い訳をしてくる相手に対して、前述のとおり「理由になっていない」の一言で一蹴し、銃の引き金を引くのだ。


 この桜による銃撃というのは、伊坂ならではの伏線になっており、読み進めるとカタルシスを得ることが出来る。


 桜が発砲することについて、島の住人たちは誰も異を唱えず、「そういうものだから」とみな、了解をしている。

 桜の場合は一見悪役にも思えるが、物語上、どちらかというとヒーロー的なる側面も含んだ人物である。


 現実世界でも、「そういうものだから」ということで理不尽がそのままになっていることはあるのではないだろうか。

 ところが、最近では一昔前の常識は通用しなくなり、「そういうものだから」に待った!をかけるムーブメントも多数起こっていると思う。


 ちなみに、桜は善とか悪とかの判決を下すわけではない。桜のルールを踏みにじった者を、容赦なく撃つ。

 島のみんなも「桜が撃ったんなら仕方ない」と思っている。


 現代の日本にそういう絶対的なものってあるだろうか。

 政治家は汚職をし、省庁は文書改ざんをし、警察は詐欺をする、ときている。

 絶対的に信用できる存在ってない気がします。


 もっとも、たとえば国会議員は法律を作る人間で、でも人間だから間違った法律を作ってしまうこともある(旧優生保護法など)。そんな時に、最高裁判所が「その法律間違ってますよ」と正してくれる。

 最高裁判所くらいは絶対的であってほしい・・・。


 まあ、共通認識の絶対的なるものって、あまり無い気がしていて、個々人の「推し」であったりとか「教え」であったりとかを自身らにとっての絶対的なるものに置いている人こそいるけれども、社会が合意した絶対的なものってあるのかな?・・・


 桜は容赦なく撃つ。日本や世界を見れば色々な思惑や打算、下心、忖度(そんたく)で動いているけれど、桜のように弾丸を発射してくれる「絶対的なるもの」はどうも見当たらない。良いか悪いかは別として、絶対正義もしくは絶対悪って、物語の中にしか存在しないのだろうか。

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