目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第44話 直木賞と選考委員と『半落ち』と

【2025年8月13日 追記】

 ※「半落ち」のストーリー上の欠点を最初に指摘したのは北方謙三選考委員ですが、それを選考上の障壁として譲らなかったのは林真理子選考委員(現・日本大学理事長)です。


 本エピソードのなかでは一部、北方氏に落ち度があると誤解させるような表現がありますが、そもそも筆者は直木賞選考会そのものに懐疑的であるため、修正はおこなわないものとします。


 しかしながら、「半落ち」の落選は林真理子選考委員(現・日本大学理事長)によるものです。




【以下、本編】


 2025年上半期の芥川賞・直木賞がともに、「該当作なし」という結果になったことで話題になった。


 筆者は『人生論』の「第5話 日本文学衰退会」で、芥川賞・直木賞批判をおこなっているが、日本文学振興会が関与できるのは候補作の選出までで、受賞作決定は両賞の選考委員がおこなうので、今回の批判の対象は両賞の選考委員になる。


 もっとも、そもそも候補作が脆弱ぜいじゃくであったという指摘はあるべきであり、「もっと候補にするべき作品が他にあった」と議論されている場合は、候補作の選定をする日本文学振興会に問題がある。


 参考までに、芥川賞の選考委員は、小川洋子(63)、奥泉光(69)、川上弘美(67)、川上未映子(48)、島田雅彦(64)、平野啓一郎(50)、松浦寿輝(71)、山田詠美(66)、吉田修一(56)。


 直木賞の選考委員は、浅田次郎(73)、角田光代(58)、京極夏彦(62)、桐野夏生(73)、辻村深月(45)、林真理子(71)、三浦しをん(48)、宮部みゆき(64)、米澤穂信(47)。


(※以上、WEBサイト『直木賞のすべて』による)


 ここ10年来、筆者は芥川賞直木賞ウォッチャーをやっているが、両賞「受賞作なし」は筆者ははじめて目撃した。


 歴史的な回になり、選考委員の名前とともに、忘れてはならない「負の遺産」となるであろう。



 それはさておき、特に、直木賞と選考委員の関連でいうと、過去にとんでもない事件があった。


 2002年下半期の第128回直木賞において、候補になっていた横山秀夫氏の小説『半落ち』について、北方謙三選考委員(当時)が「現実ではありえない問題点がある」などと主張。その点も含めて、『半落ち』は落選となった。


 ただ、横山氏が再検証したところ、北方氏の指摘するような「問題点」は存在しないとの結論が導かれ、事実上の日本文学振興会の母体である文藝春秋社が横山氏に謝罪するという流れになった。


 著名な小説家の伊坂幸太郎氏も、複数回直木賞の候補になったが、ある時を境に候補入りを辞退している。(執筆に専念したい、とのことだ)


 本当に、直木賞が文芸界を盛り上げるために貢献しているのかどうかははなはだ疑問だ。


 そして、それはメディアにも言える。

 メディアがこぞって取り上げる文学賞は、芥川賞・直木賞・本屋大賞。


 ところが、純文学では谷崎潤一郎賞、エンタメでは山本周五郎賞といった賞が、実はその年の最高の文学、文芸を選出している側面もある。それなのに、芥川賞直木賞ほどは注目されない。


 芥川賞直木賞は、日本文学の向上に寄与しなければならない。両賞を立ち上げた菊池寛(きくち・かん)は、「賞ではなくSHOWだ」と言った。

 芥川賞直木賞はお祭りなのだ。今の両賞は、神輿(みこし)のないお祭りをしているようなもので、本末転倒だ。

 本質を見失ってはならない。

 何かに固執するあまりに、文学を停滞させてはならないのだ。


 一方で、M-1グランプリの審査員を積極的にやりたがる芸人がいないように、芥川賞直木賞の選考委員も、汚れ仕事ではある。


 読者が「こんなに面白くないのに芥川賞なの?」とか「こんなに面白くないのに直木賞なの?」とか、そういった不満を抱いた場合、責任は作者ではなく選考委員にある。


 だから、積極的に推せる作品がなければ「該当作なし」になってしまうのも致し方ない。


 ただ、候補作になるというだけでは、筆者を含む本読みライト層は購入してくれない。

 やはり、受賞作なしでは寂しい。本読みの総意だろう。


 もっとも、ここであぶれた作品は、本屋大賞が救済してくれる。逢坂冬馬氏の『同志少女よ敵を撃て』は直木賞で受賞を逃すも、本屋大賞で大賞に輝いた。


 本屋大賞が救済してくれるからこそ、まだ、「該当作なし」で絶望する必要はない。


 それにしても、両賞「該当作なし」は驚いた。


 文藝春秋社も頭が痛いだろう。

 芥川賞作品は雑誌「文藝春秋」に掲載される。例えば、二作受賞の場合は、二作の単行本をそれぞれ買うよりも、文藝春秋を一冊買ったほうが二作読めてお得なのだが、「該当作なし」では、どうしようもない・・・。そんな雑誌、誰が買うの?


 まあ、選考委員が真摯しんしに作品と向き合った結果だと信じたい。


 受賞作が選ばれても、「これが受賞であれがダメなの?」などと話題になるが、全候補作がダメの烙印らくいんを押された今回、本読みたちのあいだでは論争による論争が巻き起こること必至だ。


 ちなみに、筆者は数年前までは直木賞候補作を全部読むということをやっていたが、今回に関しては「受賞作だけ読めばいいや」というスタンスだった。

 特に塩田武士氏の『踊りつかれて』に期待を寄せていたが、直木賞に選ばれなかったと聞いて読むのをやめた。SNS問題などのテーマで、どうせ説教じみた内容だろうから、せめて直木賞でも獲ってもらわなければ、読む気にならない。

 映画『真相をお話しします』や『でっちあげ』など、SNSや世論といったものへの批判を加える、観客説教系映画を立て続けに見ているので、もう説教は懲り懲りだ。(読んでいないので、説教系かどうかは分からないのだが、なんとなくそう感じる)

 だから、せめて直木賞を獲ってくれれば読む気になったのだが。繰り返しになって申し訳ない。


 筆者の認識では、芥川賞直木賞は令和7年7月16日をもって完全に終わったと感じている。


 もう、芥川賞直木賞に頼るのはよそう。


 ここは、村上春樹さんに一肌脱いでもらって、村上春樹賞創設しかない!!


 大江健三郎さんも存命中に大江健三郎賞をやっていたのだから、村上さんも日本文学のためだと思って村上春樹賞の創設をお願いします!!(悲痛な叫び)


 村上さんは、芥川賞を逃し、その後いわゆる文壇とは距離を置いているけれども、日本文学の向上には絶対に関心があるはずだと信じたい。


 村上春樹賞、是非!!!!

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?