【閲覧注意】※本エピソードでは実在した元死刑囚、および元死刑囚の死刑執行について言及します
映画『それでも私は Though I'm His Daughter』は、一連のオウム真理教事件の首謀者とされる松本智津夫元死刑囚の三女・松本麗華さんへ密着したドキュメンタリー作品である。
松本元死刑囚の死刑執行前から取材は始まり、元死刑囚の死刑執行前後の元死刑囚の身内の様子などをうかがい知ることが出来た。
松本麗華さんは、まず、大学受験に合格したものの、入学を拒否されるという憂(う)き目にあった(その後、弁護士の
大学卒業後、なんとか職を見つけることが出来たものの、その職場もすぐに
また、銀行口座を開設しようと銀行を訪れるも、「総合的に判断した結果」などと述べられ、
また、上記の人権侵害に加えて元死刑囚の死刑執行直後からSNSでの酷(ひど)い誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)も始まった(「お前も死刑になれよ」等)。
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映画の内容についてネタバレをするのはここまでとする。
興味を持った方は是非見てほしい。
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筆者は7月某日、横浜の映画館「シネマリン」で本作を鑑賞した。
その際、本作の監督をつとめた長塚洋氏がトークセッションをおこなったので、筆者も質問をぶつけてみることにした。
(筆者による) Q. 監督は、麗華さんに取材を重ね、血の通った生身の人間として麗華さんと向き合ってこられた。麗華さんがSNSで酷い誹謗中傷を浴びせられたが、SNSの一人一人も特定していけば顔のない怪物ではなく血の通った生身の人間であるはずだ。いま、誹謗中傷だけでなく、社会や世界では分断がおこっている。これは、ひとえに「想像力の欠如」が原因なのだろうか?監督はどう思うか?
(監督にる A. を一言一句正確に記述できないため、要約します)
これに対して、長塚監督は「想像力の欠如」がたしかに分断をもたらすと認めておられた。
本作も、松本麗華さんという「元死刑囚の娘」としてではなく、一人の人間として観客の想像力に働きかけるよう制作をしたものとみられる。
監督がおっしゃっていたので印象的だったのは、とにかく現実を記録し、伝えることをご自身の使命とされているような言葉だった。
というよりも、監督は「記録し、伝えることしかできない」とどこか寂しげでもあったと筆者の目には映った。
本作を受けて、観客や世の中がどうなっていくかまでは監督がコントロール出来ることではない、という諦めにも似たような感情を見せた一幕だったといえる。
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ただ、監督がドキュメンタリー作家として黙々と「記録し、伝える」という信念を持って活動されていることに筆者はおおいに感銘(かんめい)を受けた。
実際に、筆者も本作で想像力を喚起(かんき)された一人だったので、監督の言葉には説得力があった。
長塚監督はノンフィクションで、筆者はフィクションで、とフィールドは違うかもしれないけれど、同様に人々の想像力をかき立てていく活動だと思う。
長塚監督は「記録し伝える」。筆者は、「創造し書く」。その先のことは、世間や観客、読者がどう受け取るか次第で、我々は粛々(しゅくしゅく)と目先の出来ることをやるよりほかにないのかもしれない。
最後に、一連のオウム真理教事件によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、今もなお事件の後遺症に苦しむ被害者の皆様にお見舞いを申し上げます。
また、犯罪加害者の身内が活動をしたり、表舞台に立つのを快く思わない方々が世間で一定数おられる現実も承知しております。このエピソードをお読みになって、ご不快に思われたとしたら大変申し訳ございません。全ての責任は筆者にあります。
四森