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第49話 生の肯定(こうてい)


 筆者は反出生主義者(はんしゅっせいしゅぎしゃ)であるが、いま、生きている命を必ずしも否定するものではない。

 ぼんやりと、発生したくなかったなあ、と思うだけで、発生してしまった以上は生きることはやむを得ないことだ。


 宇宙の発生からいつか宇宙が消滅する時が来るとして、一人の人間が個人としてたかだか百年、二百年生きたところで、宇宙の時空のあいだではそれは一瞬にしかすぎない。


 宇宙的には、一人の人間が生きている時間など限りなくゼロに近く、つまり、我々一人の人間は宇宙からすれば、生きている時間よりも死んでいる時間のほうが圧倒的に長いのだ。


 つまり、生きているというのは状態としては稀(まれ)な状態といえる。


 人間は、動物と同じように、いつ死んでもおかしくないわけだが、人々は、あまり人間が生きていることを褒(ほ)めない。


 本来、生きている人間は生きている人間同士で、「今日もお互いに生きていて偉(えら)いね」などと褒めあうべきなのである。


 ところが、ふたを開けてみれば、人間同士がやっているのは、つまらない諍(いさか)いやトラブルばかり。

 呆(あき)れるよりほかない。


 一年に一度、誕生日の時ばかりは「おめでとう」を言うタイミングがある。だが、みんながみんな祝ってもらえるわけでもないだろう。

 ほんらい、年に一度の誕生日くらいは、国やしかるべき公的機関から、「生きていて偉い」を伝えるのが筋(すじ)だと思う。


 自治体(じちたい)によっては、百歳の誕生日を迎えるとお祝いがあるところもあるかもしれないが、みんながみんな百歳に到達(とうたつ)できるわけでもないし、百歳まで生きられなかったら偉くないというわけでもない。

 国や自治体から届く書類といえば、やれ税金だの、年金だの、と、これではまるで生きていることが金がかかってしょうがないと言わんばかりだ。(まあ、実際そうなのだが・・・)


 ほんらい、生徒児童なんかは登校したら学校なんかのホームルームで、先生が「はい、みなさん、今日も生きてますね。生きていて偉いです。みなさんで、称(たた)え合いましょう」と一分間拍手をする時間があってもよいくらいだ。(※本気で言ってます)


 反出生主義者の筆者がこう言っているのだから、積極的に生を肯定しようとしない今の社会がいかに異常かお分かりいただけるだろう。


 そのくせ、事件や事故や自死が起きると、「尊(とうと)い命が・・・」とか言い出すでしょう?普段からそれをやっておけよ!


 アイドルなんかはファンに、「今日も生きてて偉いね」なんて言ってくれるかもしれない。しかし、ほんらい我々はそう言い合うべきなのだ。

 


 さて。


 読者諸君、読んでくれてありがとう。

 

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