目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第55話 Netflix と 芥川賞 と 太宰治


 小説家にとってのほまれとは何であろうか?


 もちろん、素晴らしい小説を書ければそれで良い。

 筆者の尊敬している小説家の一人にヘンリー・ダーガーというアメリカ人がいて、たしか「人生論」で以前に書いたと思う。


 ただ、やはり、読者の皆さんに届いてナンボの世界ではある。

 作者の主観しゅかんのうちに「素晴らしい小説」が成立しているだけではダメで、読者の皆さんの主観が作品を「素晴らしい小説」ととらえ、そして、「素晴らしい小説」という客観的きゃっかんてき事実じじつが出来上がると思う。


 それはともかく、小説家の誉れとしては、なんだろう・・・?


 芥川賞?

 直木賞?

 本屋大賞?

 山本周五郎賞?

 谷崎潤一郎賞?

 世界幻想文学大賞?

 フランツ・カフカ賞?

 ノーベル文学賞?

 (谷崎賞からノーベル賞までの四つの賞は、筆者が敬愛する村上春樹さんが受賞された賞だ。・・・。おっと、村上さんはまだノーベル賞は受賞してないか。失礼した)


 2025年時点で、筆者が思う、小説家としての最高の名誉は、Netflixで映像化されることだ。


 テレビドラマや劇場公開用映画の原作になることももちろん素晴らしいことだと思う。


 ただ、小説の世界観を最も多くの人に届けたいと思った場合、Netflix以上の媒体ばいたいは無いように筆者には思える。


 筆者もいつか、Netflixで映像化される小説を書きたいと思っている。


 こんなこと、10年前には思わなかったことだ。 



 約10年前、筆者が大学に在学していた頃、ちょうどシナリオと呼べる代物を書き始めるという、闇の世界に片足を突っ込んでしまったわけだが、その頃、同い年の朝井リョウさんが直木賞を、当時お笑いコンビ「ピース」として大人気だった又吉直樹さんが芥川賞を受賞したのを見て、芥川賞直木賞にものすごい憧れを抱いた。


 もはや中堅からベテランに贈られる賞になった直木賞はともかく、文芸誌「文學界」、「新潮」、「すばる」、「群像」、「文藝」、「トリッパー」←これらに掲載された短編小説を対象とする芥川賞は目標設定としてわりと現実的だと思う。


 この六誌に掲載されるのが実に難しいのだが、掲載されれば一気に芥川賞候補になれるかもしれないという「純文学ドリーム」がある。


 あの日、憧れた芥川賞・・・。でも、筆者があの日憧れた芥川賞を見るように、今の若者は芥川賞を憧れていないような気もする。


 芥川賞?なにそれ?


 でも、ネトフリのドラマの原作と聞いたら憧れてくれるかもしれない。


 (これでは、人々に憧れられるために小説を書いているみたいで大変お恥ずかしいが、しょーじき、モチベーションとしてそれはあります!笑)


 芥川賞に固執こしつするならば、文學界新人賞、新潮新人賞、すばる新人賞、群像新人賞、文藝賞に投稿を続けるか、もしくは、同人誌か何かに自作をせ、前述した六誌に転載てんさいを目指すかしかない。


 狭き門ではあるが、芥川賞候補になるのは筋道すじみちが確立されているので、わかりやすいといえばわかりやすい。


 このテーマは以前、「人生論」で言及したような気がするけれど、あの日見た芥川賞がいつまでも色褪いろあせないとは限らない。



 ただ、こういう夢物語を膨らませるのはともかくとして、筆者は目の前の小説に一生懸命に取り組むよりほかにない。


 ただ、小説に取り組むにあたって、ワンチャンこういう成功がしたいなあと夢想むそうすることは決してモチベーションとしては否定されるべきものではないはずであって、何ら恥ずかしいことではないと筆者は考える。


 純粋じゅんすいに物語をつむぎたいのだという欲求よっきゅうも当然 称賛しょうさんあたいするけれど、ちょっと欲を出して俗物ぞくぶつ的であるのも恥ずかしいことではない。


 あの、「太宰だざいおさむ」もお金に困り、賞金目当てで『芥川賞を受賞させてくれ』、と「川端かわばた康成やすなり」に頼み込んだという逸話いつわがある(結果として、太宰は落選)。


 はじの多い生涯しょうがいを送ろう!

 恥もいずれ、語り草になるさ!

 人間に失格も、合格もないのだ!

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?