倒れて来た少女を咄嗟に抱き留めると、そっと地面に身体を横たえさせる。
ここにはモンスターが出ることが滅多に無い程に、平和な場所だった筈なのに、ぼくの目の前には助けを求めて来た人がいて、さっきまでいつもと変わらない日常を過ごし、今日も一日が終わったら布団に入り寝るだけだった日常から、とんでもない厄日へと変わってしまったのかもしれない。
そう思いつつ少女の様態を確認する。
唇の色を見る限り、血液内の酸素が不足する事起きる症状に似ているし、口元に耳を近づけると呼吸は浅く不規則で、今すぐ何らかの処置を行わないと危険だ。
けれど、今できることは本人が意識を完全に失わないように声をかけつつ、対応を考えることくらいしかない。
「大丈夫ですか?ここがどこか分かりますか?」
少女に声を掛けながら、眼鏡越しに診察を始める。
この眼鏡はぼくが治癒術を使用する際に扱う道具の一つで、これを付けることで患者の体内の状態が分かるようになる特殊な魔術が付与されている魔導具だ。
それ以外にも簡単な鑑定を行う事もできる優れた道具ではあるけれど、これを作ってぼくに渡してくれた人の事にかんしては今は語らずに割愛する。
見る限りでは少女に異常はない。
とりあえず、何らかの毒が体内に入っているのではない事が分かって、安心出来たけど、ならこの症状は何なのだろうか。
詳しく調べたいけれど、今の手持ちにある道具では、これ以上の事を知る事が出来ない。
何とかこの少女を家まで運ぶ事ができれば、必要な処置を施しながら調べる事が出来るけれど、患者の容態が分からないのに無理矢理動かすわけにはいかない。
とりあえず、体内に毒が無いという事はやはり、血中内の酸素が足りないのかもしれない、だから治癒術で肺の動きを制御し、充分な量を体内に入るようにする必要があると思い、今ここでできる施術を行おうとした時だった。
少女が息を深く吐くと、徐々に弱弱しく不規則だった呼吸が徐々に落ち着いて行く。
そしてかっと眼を見開くと、ぼくの手を掴んで勢いよく起き上がり。
「人の気配がする……人だっ!人がいる!」
三度も同じ言葉を使わなくても、ここにはぼくとこの人しかいないから分かる筈だ。
それにしても、元気な姿を見ると、先程までの症状はいったいなんだったのか。
意味が分からない、あんなに苦しそうにしていたのに、いきなり手を掴み激しく上下にぶんぶんと振る少女を見て、唖然としてしまう。
「……さっきまで、あんなに苦しそうだったのに、とりあえず落ち着いてください!あなたはさっきまで──」
「うるせぇ!こちとら食う物すらない状態で遭難したせいで、ろくに飯が食えてねぇんだ!何か持ってんなら食わせろ!」
……この人はなんなんだ?
いきなり飯を食わせろと言われても、手持ちに食料になるような物は無い。
今は元気そうだけれど、これが興奮からくるもので、一時的に感覚がマヒしている場合、落ち着きを取り戻したら、再び意識を失い倒れてしまう可能性がある。
そうなる前に、何とか道具が揃っている家に連れていって、しっかりと診察をするべきだ。
ただ、初対面の相手からいきなり、家に来てくれと言われても警戒するだろうから、とりあえずご飯を食べさせる約束をした方が良さそうな気がする。
「落ち着いてください!……わかりました、それならぼくの家が近くにあるので、そこでご飯を作ってあげるから、とりあえずその手を離してくれないかな」
腕の痛みから、思わず口が悪くなってしまったけれど、意味が通じたのか激しく振られていた腕の動きが止まる。
「……おっ?こうしないと逃げられるかと思ってたけど、本当に飯を食わせてくれんのか?」
「ちゃんと、そう言いましたよね?」
「おぉ!?おまえいい奴じゃん!なら着いて行くからさ、さっさと連れて行けよ!」
「分かった、分かりましたから落ち着いてくださ──」
「とりあえずどっちに行けばいい?」
先程とは比べ物にならない程の力で、腕を掴み引き寄せると、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ始め、ぼくが通って来た方向を向く。
「あっちか?あっちから、おまえの匂いがするからあっちだよな!」
この人は犬か何かなのだろうか。
立ち上がり、今にも走り出しそうな少女を止めないと、このままではぼくの身体が危ない。
ただでさえ、乱暴に扱われて腕が痛いのに、このままだと勢いよく引きずられてしまう気がする。
「ちょっと待って!確かにそっちの方向であってるけど!ちゃんと連れて行くから、まずは話を聞いて!」
「うるせぇっ!善は急げって言葉があんの知らねぇのかよ!俺は腹減ってんだ!さっさといくぞ!」
そうまくしたてると、腕を掴んだまま引きずるように走り出す。
……本当に何なんだこの人は、突然現れて倒れて込んで来たと思ったら、お腹が減ったと言いながら起き上がり、人の話を聞かずに突っ走って行く。
ぼくの平穏で、落ち着いて穏やかな生活が、この少女に出会ったおかげで崩れてしまった。
けど、この出会いのおかげで、今まで止まっていたぼくの時間が動き出す。
でも、この出会い方のせいで、ぼくから見たこの少女の印象は最悪だった。