目次
ブックマーク
応援する
10
コメント
シェア
通報

第4話・秘めたる想い

  * * *



 軽い朝食のあと、出掛ける用意を済ませて階下に降りると。

 階段ホールの戸口に連なる双扉の両脇にメイドたちが五人ずつ整列して、エリアーナを待ち構えていた。


 モノトーンのお仕着せを隙なく着こなし、髪を丸く後頭部に結ったその様は、まるで同じ鋳型で作られた彫像のよう。

 微動だにしなければ、本当に石像かと見まがうほどだった。


「行ってらっしゃいませ、若奥様」


 十人揃って頭を下げる角度までぴったり一致している。

 機械仕掛けの人形みたいで、少し怖いくらい。


 かつて実家だった辺境伯の屋敷にもメイドはいたけれど、それぞれに個性があって、あたたかみのある笑顔を見せてくれたものだった。


 ジークベルト公爵家で見られる無機質な規律は、義母ロザンヌの徹底したの賜物だ。

 それはエリアーナがこの家に嫁いで、ひと月足らずで痛感することになった。


 ロザンヌの姿が見当たらないのを確かめて、左側のメイドにこそっと囁く。


「……お義母様がご覧になっていないときは、私の見送りは要りませんよ?」


 メイドは最低限の会釈だけを返し、まばたきすらしない。そして機械的に言う。


「わたくしたちの仕事でございますので」

「でも、毎朝こんな人数で……。皆さんも忙しいでしょうし、無駄だと思うのだけれど」


「わたくしたちの仕事でございますので」

「私なら、裏口からこっそり出かけることもできますし……」


「わたくしたちの仕事でございますので」


 ──前から何度も言っているけれど、やっぱり埒が明かない。


 《若奥様》と呼ばれる立場でも、要望が通る事は滅多に無い。

 ジークベルト侯爵家では、エリアーナの発言など夫の愛犬のひと吠え以下だ。




 *




 広大な庭園のロータリーで馬車に乗り込もうとしていたとき。

 最悪なことに、愛犬を連れたアレクシスと鉢合わせた。


 愛人の住む離れ屋敷から本邸へ戻る途中のようで、シャツ一枚にブレーといったラフな格好だ。

 それでも長身の体躯のせいでじゅうぶんサマになっており、清潔な白いシャツが爽やかだ。整った顔立ちの仕上げをするように、艶のある銀灰の髪を春風にさらりとなびかせていた。


 ──いつも眩しい旦那様。

 今朝も離れ屋敷で、アルマ様と、抱擁を……?


 エリアーナの心の声など聞こえるはずもなく。

 涼しい顔をしたアレクシスは二頭立ての馬車を見据え、目を眇めて冷ややかな視線を向けてきた。


「出かけるのか?」


 アレクシスは、エリアーナが魔術学校に通っていることを知らない。義母の説明によると、彼の意識では『良妻賢母を育てる淑女学校』らしかった。


 ──お義母様が隠そうとするのは当然よ。私に期待していた能力が無かったこと、旦那様はもう諦めている。もしも旦那様に知られたら、恥さらしだと……今さら何をしても「無駄だ」と反対するに決まっている。


 愛犬の喉を撫でながら、アレクシスは吐き捨てるように言った。


「お飾りの妻が。今さら花嫁修行とは、滑稽だな」


 ── そんなこと、私が一番よくわかってる。あなたに《妻》と呼ばれる日は、きっと永遠に訪れない。


「いえ、その……。お友達もできましたし、通い始めたらすっかり楽しくなってしまって」


 笑顔を作り、夫の感情に波風を立てぬよう、嘘ほうべんを並べ立てる。


 ──あの場所が楽しいなんて、とんでもない。


 張り裂けそうな胸を抑え、エリアーナは小さく会釈した。

 アレクシスは、スッと視線を逸らして言う。


「……まぁいい。夫の務めを放棄した私が、とやかく言う筋合いはない。好きにしろ」


 その声色に、感情の温度はまるで感じられなかった。


「では、旦那様……行ってまいります。ご機嫌よう」


 精一杯の作り笑いでカーテシーを投げてから、逃げるように馬車に乗り込んだ。

 車窓からちらりと振り返ると、アレクシスはすでに背を向けていた。こちらを振り返ることもなく、本邸へと歩き去っていく。


 ──まるで、最初から私なんて見えていなかったみたい。


 けれどその隣で、艶のある黒毛のドーベルマン──マルクスだけが、こちらに惜しげなくしっぽを振ってくれていた。


でてほしかったよ!)


 頭に響くような低いトーンの《声》は、マルクスが心で語る感情の音。それはエリアーナだけに届く《ことば》だった。


(大好きだよ、エリアーナ! また撫でてね……!)


 アレクシスがたしなめるように、リードを強く引くのが見えた。エリアーナはそっと手を振りかえし、微笑む。


「私も大好きよ、マルクス……!」


 神様は、エリアーナの家系が持つ『人の嘘偽りを視読する能力』── 『王の』と呼ばれる──を、授けてくださらなかった。

 唯一できることと言えば、こんなふうに鳥や動物たちの声を聴くことだ。


 ──旦那様と顔を合わせるのは、やっぱり辛い。あんな夢を見てしまったから余計に。


 アレクシスの冷たい声と、避けるように逸らされた視線を思い出せば、心臓がぎゅうと掴まれるように苦しくなる。


 本当に『良妻学校』だったなら、どれだけ良かっただろう。

 夫に愛され、妻として立派に尽くす道があったなら。


 ──だけど、現実は違う。


 《ロッカジオヴィネ学園》──

 そこは、《魔術》という異能を持つ者たちの『魔窟』。


 集まるのは、常識を超えた力を持つ変わり者ばかり。

 そうして練り上げられた異能や魔力は、例外なく権力者に《利用》される運命にあるのだ。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?