目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

第5話 クロード・ロジエの秘密(1)



 * * *




 ダイニングルームで一人きりで摂る夕食のあとは、眠るまで自室にこもりきりになる。


 日中も自由な外出は許されておらず、いわば広い屋敷の敷地内に《軟禁》状態。唯一、塀の外に出られるのは、魔術学園という《魔窟》に通うためだけ。


 ──学校はいつもと変わらないのに、なんだか疲れちゃった……。


 湯浴みを済ませるとようやくホッとして。

 身体中に温かな血液が巡るのを感じながら、窓際の書卓へと足を運んだ。


 朝から夫の不機嫌な顔に出鼻をくじかれたうえ、学園の朝礼に遅れてしまい……エリアーナにとって、最悪な1日となった。


 ──よりによってトロールだなんて。ブロブリンの方がずっとマシだったのに。


 遅刻の罰としてマダム・リーズの魔法で首から上に変身術をかけられたエリアーナは、トロールの頭部にされたまま教場を過ごした。

 どす黒い緑色をしたトロールの頭部は腐った卵のような悪臭を放ち、クラスメイトたちを文字通り鼻つまみ者にしてしまった。


 意地悪いジゼルとその崇拝者たちには『悪臭を洗い流す』という名目で頭から大量の水を浴びせられたし、指導教師たちからもあからさまな嫌悪の視線を向けられた。


 魔法が使えないエリアーナには、濡れた衣服や髪を乾かす術もない。アンが乾かしてくれたおかげで助かったけれど……今でも思い出すだけでゾッとする。


 ──いつかのように帰りの馬車で座面を濡らして、御者のアルバートさんにまた迷惑をかけていたところだったわ。


 ここでは語り尽くせないほどあった。

 けれど、今はそれを手紙に綴る気分でもない。


 ──親愛なるクロード。


 手のひらの下に敷いた、まだ真っ白な便箋をじっと見つめる。

 伝えたい気持ちは押し寄せるように溢れて来るのに、一行目に綴る言葉が思い浮かばず、ペンをそっと置いた。


 夜風がカーテンを揺らし、卓上の白薔薇が一枚、はらりと花びらを落とす。


「……どう書くべきかしら」


 書卓に頬杖をつきながら、長いあいだ考えた。

 すらすらと滑るように文字を綴れる夜もあれば、ひとことに迷う夜もある……今夜は後者だ。


 夫に愛人がいること。

 自由のきかないこの屋敷で、エリアーナがどれほど孤独かということ。

 それをクロード・ロジエはよく知っている。


『エリー。辛くはないか? 寂しくないか?」


 嫁いでからの手紙には、いつもエリアーナを気遣う言葉が綴られていた。


 ──を綴れば、クロードを心配させてしまう。


「クロード……私は元気です。少しも、寂しくなんか……」


 お決まりの文言を書きかけて、ふと手が止まる。

 しばらくしてから、その便箋を破り捨てた。


 ──いいえ、違う。


 心から信頼する相手だからこそ、正直な気持ちを打ち明けたい。

 エリアーナはペンを持ち直すと、新しい便箋に綴り始めた。




 =================================


 親愛なるクロード


 旦那様と初めてお会いした、あのアコレードの日から

 この想いに変わりはありません


 エリーは今でも、旦那様をお慕いしています

 だからこそ、旦那様と顔を合わせるのが、辛いのです

 嫌われている、、、

 そう感じるたびに、胸が張り裂けそうに痛むのです


 いっそ、離縁した方が良いのでは、と、、、


 ==================================




 淡い桃色の便箋はエリアーナのお気に入りだ。

 細い筒に収まるギリギリのサイズの紙で、一度に書ける量は限られている。


 いつもは余白も惜しいほど文字を並べるのに、今夜は途中で筆を止めてしまった。

 これ以上書けば、寂しさを際限なくこぼしてしまいそうで。


 母親が亡くなった日から続くクロードとの文通。

 魔法鳩が運ぶだけの手紙のやりとりだけれど、その言葉のひとつ一つに幾度も励まされ、支えられてきた。


 ──クロード。

 あの日、私の鳩があなたの部屋に迷い込んでから、もう何年になるのかしら。

 私は十八歳になって、アレクシス様と結婚をしました。

 あなたは、いま幾つなの?


 学生だと言っていたあの頃から、きっとあなたも変わらず歳を重ねている。

 もしかしたら、結婚をして素敵な奥様や子供がいるかもしれないわ。


 ──そういえば、私……クロードのことを何も知らない。

 それなのに、誰よりも心を許してしまっているのが、不思議。


 エリアーナは思わずクスリと笑みをこぼす。

 ほんのわずかでも、胸の奥にわだかまっていた澱がほどけた気がした。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?