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ダイニングルームで一人きりで摂る夕食のあとは、眠るまで自室にこもりきりになる。
日中も自由な外出は許されておらず、いわば広い屋敷の敷地内に軟禁状態。唯一、塀の外に出られるのが魔術学園という《魔窟》に通うためだけ。
──学校はいつもと変わらないのに、なんだか疲れちゃった……。
湯浴みを済ませるとようやくホッとして。身体中に温かな血液が巡るのを感じながら、窓際の書卓へと足を運ぶ。
朝から不機嫌な夫の顔を拝まねばならなかった不運の連鎖か、学園の朝礼の時間に遅れたエリアーナは悪臭に耐えながら最悪な一日を過ごしたのだった。
──よりによってトロールだなんて。ブロブリンの方がずっとマシだったわね。
まずは遅刻の罰としてマダム・リーズの魔法で首から上に変身術をかけられた。
どす黒い緑色をしたトロールの頭部は悪臭を放ち、クラスメイトたちにまで迷惑をかけてしまった。
意地悪いジゼルとその崇拝者たちには『悪臭を洗い流す』という名目で頭から大量の水を浴びせられたし、指導教師たちからもあからさまに嫌な顔をされた。
エリアーナは魔法が使えないので、衣服や髪が濡れたってどうする事もできない。
──アンに乾かしてもらえなければ、帰りに馬車の座面を濡らして御者のアルバートさんに迷惑をかけてしまうところだったわ。
ここでは語り尽くせないけれど、他にもまだ
──親愛なるクロード。
手のひらの下に敷いた、まだ真っ白な便箋をじっと見つめる。
伝えたい気持ちは押し寄せるほど溢れて来るのに、一行目に綴る言葉が思い当たらず静かにペンを置いた。
夜風が窓際のカーテンを揺らし、卓上の一輪挿しに揺れる白薔薇の花びらが一枚、はらりと舞い落ちる。
「……どう書くべきかしら」
書卓に頬杖をつきながら、長いあいだ頭を悩ませた。
すらすらと滑るように文字を綴れることもあれば、書く内容によってはひどく時間がかかることもある。今夜は後者だ。
夫に愛人がいる事や、結婚してからエリアーナが自由のきかない孤独のなかで苦しんでいることを、手紙の宛名の人物『クロード・ロジエ』はよく知っている。
『エリー。辛くはないか? 寂しくないか?」
エリアーナがジークベルト侯爵家に嫁いでからというもの、クロードからの手紙にはエリアーナを案じる言葉が度々綴られるようになった。
──私の下手な文章で
「クロード……。私は……元気、です……。少しも寂しくなんか……」
お決まりの文言を書きかけて、ふと、手を止めた。
少し考えてから、書きかけの紙を千切って丸める。
──いいえ、違う。
心から信頼するクロードだからこそ、正直な想いを打ち明けられる。
エリアーナはペンを握る指先を持ち上げた。
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親愛なるクロード
旦那様と初めてお会いしたあのアコレードの日から、この想いに変わりはありません
エリーは今でも旦那様をお慕いしています
だからこそ、旦那様と顔を合わせるのが辛いのです
嫌われている……そう感じるたびに、胸が張り裂けそうに痛むのです
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淡い桃色の便箋はエリアーナのお気に入りだ。
便箋と言っても、ごく小さな筒に入れることができるギリギリのサイズの薄い紙。一通に書ける文字だって限られている。
いつもなら余白まで惜しいほど文字を書き並べるのに、少し余ってしまった。これ以上書けば際限なく、寂しい、辛いと訴えてしまいそうで……。
母親が亡くなった日から続くクロードとのやり取りの中で、エリアーナがクロードに語ったエピソードの数は計り知れない。
魔法鳩が運ぶ手紙でやり取りするだけの関係だけれど、『クロード・ロジエ』と名乗る、どこの誰かも知らない者の言葉にエリアーナは何度も励まされ、支えられてきた。
──クロード。
私の鳩があなたのお部屋の異空間に迷い込んでから、何年経ったでしょう。
私は十八歳になって、アレクシス様と結婚をした。あなたは幾つになったのかしら……。
出会った頃は学生だと言っていたけれど、あなたも私と同じように、歳を重ねているはずだもの。結婚もして、素敵な奥様と可愛い子供がいるかもしれないわね?
クロードはほとんど自分の事を語らない。私生活の事も。
──そういえば私、クロードのことを何も知らないわ。