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第10話・悩ましいほど不器用な愛を(2)


「せがまれたのは甘いキスじゃなく……まさかの離縁かよ! だが心配するな。エリアーナちゃんを手放すなんて『王の眼』の異能にしがみ付こうとしてるジークベルト侯爵家が許さんだろう」


「だがエリーは異能を発現していない。期待が外れて失望した両親が、離縁を受け入れる事もあり得る」


「そんなに心配なら、異能をだろ? 『王の眼』はアビス一族が代々受け継いできた。先代の実子であるエリアーナちゃんにも、その役目を担う義務がある。『王の眼』が復活さえすれば、反乱分子の化けの皮は剥がれ、国も陛下も安泰。で、君ら夫婦は円満! まさにウィンウィンじゃないか?」


 カインの軽口とは裏腹に、アレクシスの表情はますます重くなる。

 青灰の瞳は深い憂いを湛えていた。


「エリーの母親はその『王の眼』のせいで暗殺され、亡骸を刻まれた挙句に捨てられたのだ。あらゆる勢力が喉から手が出るほど欲する『王の眼』──つまりは嘘や偽りを見抜く異能を持ち、国王の隣に立てば、エリーの身は常に危険にさらされることになる」


「はいはい、その話、もう百回は聞きましたよ。だけど解決策は一つでしょ? アレクは大事な奥さんを守る『騎士』に徹して、エリアーナちゃんは『王の眼』として君に愛される。悪くない未来だと思うけどね?」


 カインの言葉は、アレクシスとて重々承知していた。

 異能の発現によって生じるエリアーナの身の危険さえなければ──それは国王や国にとっても、そして夫婦にとっても、まさしく得るものばかりなのだから。


「エリーは俺が守る」


 短く、しかし決して譲らぬ響きだった。

 言い切った瞬間、カインはその視線がふっと柔らかくなるのを見逃さない。

 営業用に投げるキラースマイルではなく、彼の確かな愛情が、離れた場所にいるエリアーナに向けられていた。


「おっ。離縁を持ち出されて、ヤンデレのアレクもやっと決心がついたか。と言うことは……いよいよ今夜が新婚初夜ッ!?」


 アレクシスは困ったように嘆息する。


「そう簡単に言うな。エリーの異能は、単にからと言って発現するものじゃない」  

「その愛情。言葉でも態度でも、全部ぶつけてやればいいだろ? そうすりゃ、エリアーナちゃんの心だって一発で燃え上がるさ!」


 あからさまに頬を緩ませるカインをよそに、アレクシスは真剣な面差しを崩さない。


 ──愛するエリアーナを、彼らと同じ目にあわせるわけにはいかない。


「いや、エリーの異能は。エリーを国王の眼になどさせるものか。これまで通り、ジークベルトの屋敷の中で俺が守り続ける」


 硬派な内面の奥に、彼の妻エリアーナをどうしようもなく案じる熱が息巻いている。


 国王への忠誠心はアレクシスとて確かに持ち合わせている。

 けれどそんな義務や名誉よりも、エリアーナの安寧が全て──それが、アレクシスの愛情のカタチなのだった。


 その時、回廊の窓の外に白い鳥が飛んだ。


「……!」


 大きな羽音が耳に届いて、ふたりは揃って、冴え渡る青い空を見上げた。


 エリアーナの異能は、発現しなかったのではない。

 アレクシスがのだ。


 エリアーナとの婚約を交わした、あのアコレードの日。


 アレクシスが騎士となったその日に、当時の『王の眼』の異能者だった、エリアーナの母親から託された言葉が脳裏をよぎる。


『いずれエリアーナの夫となる貴方だけには、幼いエリアーナ自身もまだ知らない大切な事を、今のうちに伝えておかねばなりません。エリアーナの母としての、最後の責務です。』


 彼女がそんな風に言ったのは、虫の知らせだったのだろうか。それとも身に迫る危機を悟っていたのかも知れない。


 当時十六歳の少年だったアレクシスひとりを呼び出し、まるで遺言のように伝えたあと、時を待たずして先代の『王の眼』──エリアーナの母親の命は絶たれた。



『《王の眼》の異能は、代々アビス家に受け継がれるもの。

 特に、女児にだけ現れるとされています。


 でも──その力はただのではありません。

  深く愛し、愛され、心を通わせた者との間に真の《信頼と愛》が生まれたとき……そのときに、はじめて芽吹くものなのです。


 エリアーナは無垢な子です。

 国や陛下のために、その力を使う意味も……まだ理解していないでしょう。

 だからこそお願いです。

 どうか、エリアーナを守って。あなたにしかできない事なの。


 あの子には、ただ幸せに生きてほしいのです。

 それが母としての……わたくしの本音なのです』



 エリアーナを妻として迎えた今となれば。

 あの日の言葉は重い枷となって、アレクシスの理性を繋ぎ止めているのだった。


「だからと言って、エリアーナちゃんをこのまま故意に遠ざけておくわけにもいかんだろう? その結果の『離縁』発言だしな……」


 全ての事情を知るカインは、いつでも親身になってアレクシスを案じてくれる。

 エリアーナとの距離だって、いつまでもこのままでは居られない。そんな事はアレクシスとてわかっている。


 心から愛し、愛されることを知ったとき──『王の眼』の異能は、静かに芽吹くのだ。


 エリアーナの異能が発現しないよう夫の勤めを放棄し、遠ざけ、ただ守りたいが為に繋ぎ止めておくのは自己満足の極みでもあり、身勝手だとも知っている。


 それは愛する妻、エリアーナへの──

 アレクシス自身も悩ましいほどの、『不器用な愛』なのだった。




 カインから少し距離を取って歩き出したアレクシスは、何気ない風を装いながらも、フロックコートの内ポケットに手を差し入れた。


 一枚の小さな布切れに、指先が触れる。

 それはエリアーナが縫いかけたまま置き忘れていった、刺繍布だった。


 ──エリーは案外、不器用なんだ。


 白と黄色の刺繍糸で紡がれたマーガレットの花は、たしかに歪ではある。だが、それ以上にあたたかみのある形をしていた。


 アレクシスの脳裏には、幼いエリアーナが巣から落ちた鳥の雛を助けようとして、細い枝にしがみついたまま降りられずにいたあの光景が浮かぶ。

 泣き出しそうな瞳で雛を胸に抱えていた、可憐な少女──それはアレクシスにとって、忘れ難い《出逢いの日》だった。


 ──彼女らしいな。

 変わらない、昔も、今も。

 誰かの痛みを放っておけない、それがエリアーナだ。


 刺繍糸の軌跡を指先でそっとなぞる。

 ほんのわずかに口元が緩み、すぐにまた、いつもの怜悧な表情へと戻る。


 陽光の射す回廊を進む背中は、無口で頑ななアレクシスのもの。

 だがその歩みの奥底には、誰よりも深くエリアーナを案じ続ける──揺るぎない想いがあった。




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