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第12話・魔窟にて〜決行前日(2)


「順番、ここまで回ってくるかしら?」


 彼女が取り巻きたちに言いながら振り返ると、綺麗に巻いた紫色の髪が肩でふわりと跳ねた。

 釣り上がったローズレッドの瞳には棘があり、彼女の穏やかではない性格を表しているようだ。


 ひとり、またひとりと注文を終えていき──いよいよアンの番。


 もしも至近距離にジゼル・レディー・ライラックという《天敵》さえいなければ、アンは無邪気に歓声をあげていたに違いない。

 けれど彼女は肩をすぼめて控えめに、声を小さくして注文する。


「星屑のパンが一個と、火の玉サラダ、ほ…… 焔薔薇のグリル肉……っ」


 ──とうとうやったね、アン!


 エリアーナは心の中で歓声とガッツポーズと決める。

 新学期が始まって以来、アンがこのジビエをどれほど食べたがっていたかを知っているからこそだ。


「おめでとう! 今日は君がラストだよ」


 白ねずみシェフが可愛い声で言いながら、小さなおててをパチンと鳴らす。その瞬間、メニュー盤のグリル肉に《完売》の札がぱたりと掛けられた。

 後ろに並んでいた生徒たちから「ええ〜?!」「あ〜ぁ……」と、落胆の声があがる。


「……アン?」


 香ばしい薔薇の香りが、ふんわりと鼻腔をくすぐった。

 料理を受け取ったアンは、下を向いたまま小刻みに震えている。


 ──アン、嬉し泣き……。


 念願のメニューにようやくありつけた喜びがエリアーナにもひしひしと伝わってきて、もらい泣きしそうになる。


「私は『星屑のパン』と『森の息吹スープ』にしたの。いい匂い…… 窓際の席で食べよう?」

「抜け駆けしてごめんっ。エリーにもひと口あげるから」

「ふふ。気にしないで全部食べてね」


 ほかほか湯気を立てるスープと、霧に包まれた月形のパンが載ったトレーを受け取りながら、エリアーナはアンにそっと微笑みかけた。


 その背後から──


「私に譲ってくれない?」


 あまりにも唐突なその声は、甘く、けれど毒を孕んでいた。


「アン。その優雅なメニューは、あなたに似合わないわ。私が食べるべきよ」

「薔薇と言えばジゼルだもんね」


 取り巻きが嘲るように笑っている。

 ジゼルはジビエ料理を譲れと言っているが、それが本心でないのは明らかだった。

 アンとエリアーナに絡んで、いたぶる口実が欲しいだけなのだ──いつもの彼女のと同じに。


 その証拠に、ジゼルは自身が注文していた料理をすんなり受け取っている。


「似合うも似合わないも、アンが注文したんです」


 エリアーナが言い返した瞬間、矛先を変えたジゼルの鋭い視線が突き刺さった。


「あら……エリー・ロワイエ。あなたそこにのね? 幽霊みたいに影が薄いものだから、見えてなかったわ」


 そっぽを向きながら、ジゼルが小馬鹿にしたように言う。


「たかが食堂の食事ごときで泣くなんて笑っちゃう! どんだけの?!」


「あなたたち、家ではろくなもの食べてないんでしょう? せめて学園ここで栄養をつけなきゃね。ふたりとも今のままじゃ存在が薄すぎて、そのうち消えちゃうかも……!」


 隣でアンが固まっているのがわかる。

 ダークブラウンの目は見開かれており、トレイを持った両手が小刻みに震えていた。


「アン、気にすることな……」


 言いかけたその瞬間、エリアーナの隣をジゼルがスッとすり抜けた。


 ──ドンッ


 アンの身体に、衝撃。

 ジゼルの不自然に張られた肩がぶつかる鈍い音とともに、アンがよろめいた。

 トレーが宙に舞い、肉の皿が、スープが、パンが、ゆっくりと落ちていく。


 ──ガシャーン!


 陶器が砕ける音、カトラリーが床に転がる音。

 けたたましい音は昼休みのざわめきを一瞬で止め、視線が集まった。


「あら、ごめんなさい? わざとじゃないのよ?」


 ジゼルが口元に手を添えて耳打ちをする。

 頬を引き攣らせたまま、アンはその場で立ち尽くしていた。


 雪ねずみシェフが厨房から顔を覗かせて「あらま」と呟いた。

 あっという間に床に散らばった食器と料理が魔法で素早く片付けられ、何事もなかったかのように消え失せる。


「今のは不可抗力だ。ジビエは残念だったね。待ってて、代わりのものを用意するから」


 ねずみシェフがチュウチュウと厨房に向けて指示を飛ばす。

 そのわずかな間に、ジゼルと取り巻きたちはクスクス笑いながら二人の脇を通りすぎた。


「代わりのものをくださるって。よかったわね?」


 そんな捨て台詞だけ残して。


「……アン」


 窓際の席に座っても、エリアーナはいたたまれず、震えるアンの背中をそっとさすった。


 アンは両手でトレーを抱えたまま動かない。

 代わりに渡された『雷鳴獣のいかづち焼き』を見つめて、声を出せずにいた。


 ジゼルの嫌がらせは、今に始まった事ではない。

 エリアーナが学園に編入してきた時から──あるいはもっと前から、アンはあの執拗な悪意の矢面に立たされ続けていた。


「ごめんね……エリー。私といるせいで……あなたにまで、嫌な思い……させて」


 アンが弱々しく呟く。

 ダークブラウンの瞳には、涙が滲んでいた。


「違うの、アンのせいじゃない。私のほうこそ……っ。落ちこぼれで、遅刻魔だから……っ」


 エリアーナだって、遅刻がしたいわけじゃない。

 けれどジークベルト家の屋敷は学園から遠く、本来ならば寮生活を強いられるほどの距離にある。

 天候や馬の機嫌ひとつでも到着時間が変わってしまうのだ。


 だからと言って、侯爵家の嫁たる者が寮に入るなど、義母が許すはずもなく。


「トロールの頭が臭かったから……ジゼルたちに目を付けられて……」


 言いながら、エリアーナはメガネの奥で睫毛を伏せた。

 笑い話のようだが、深刻な問題だ。


 遅刻をした日は罰として、風紀担当教師のマダム・リーズに魔獣の頭にされてしまう。

 悪臭が漂い、教場はおろか移動の際にも、周囲は地獄と化す。


「私が……っ、学園中の、疎まれ者……だから……っ」


 力なく俯いたエリアーナの声は、掠れていた。



 *



 少し離れた席で、騒動を遠巻きに見ていた数人の男子生徒のうちの一人が、フォークに刺した野菜を口元に運びながら毒づいた。


「なんだありゃ。子どもじみた嫌がらせじゃん」

「ジゼルって美人だけど、性格が終わってるよな」

「アンの隣にいる子……誰? 知ってるか」


 隣にいた男子学生が、優雅な仕草でナイフとフォークを使いながら、視線をゆっくりとエリアーナに移す。

 彼のあおい瞳が、エリアーナをしっかりと捉えた。


「エリー・ロワイエ……編入生だ」


 艶やかに伸びる声が、迷いのない答えを告げる。


「おっ! 流石は副会長。末端の生徒の事まで把握してるんだな」

「なぁレオン。あれが噂の、か?」


 編入生と聞いて、他の生徒たちが驚いたように顔を見合わせる。まるで《化け物の正体見たり》とでも言いたげに。


「あの地味で影が薄そうな子が? 人は見かけによらぬもんだな」

「俺、あの子知ってる。トロールの頭部被ってた臭い奴だ!」


 レオンと呼ばれた蒼い瞳の学生は、彼らの問いには応じず。

 ただ一度、目を伏せて──エリアーナに向けていたまなざしを、沈黙のままそっと外して。

 切り分けた肉の一片を、静かに口の中に運んだのだった。







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